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エッセイ 「日記の書き方」

 テック系のポッドキャストを聞いている時に、mixiに自分の日記を書いているという話があった。僕も日記を書きたいという衝動は度々あってそのたびに書くのだけれど中々続かない。頭の整理というかその時にどう思ったのか?ということを書くというのはすごく頭がスッキリする。それを継続的に記録したいというのと、それを少しのよく知る仲間と共有したいというのでmixiに書いているという。「へー」と思いながら聞いていた。

8月17日 
 日々に印象的なことが起こる。「雨上がり決死隊」が解散したというのがネットニュース流れてきていた。ネットでは蛍原サイコー宮迫サイテーみたいなものがいっぱい書いてある。動画をYouTubeで観るとそうでないことがわかる。必死で生きようとしている50代の、もうあと10年数年ぐらいしか活躍できないであろう老体に鞭をうって芸人をしている2人がいた。「泥臭く」という言葉にすこし感動してしまった。

 こんな感じでたまに日記を書いている。エバーノート(ちょっとなつかしい)に記録してあるだけなんだけど、日記を書くだけでちょっと頭がすっきりする。歳をとってくると「生きる必要性」みたいなものが本当にマヒしてくる。若い時には満遍なく配られる「未来」というものに期待したり苦しんだりする日々だけど、ライフが少なくなると生きるという杞憂が少なくなる分、人生がぼやけてくるときに生活の栞(しおり)のように書いている。

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 noteとかTwitterに書いてしまうとパブリック的というか多くの人に自分の考えをさらけ出すのはちょっと嫌だけど、誰にも読まれないというのも味気ない。そういう意味で日記を書いて共有できるサイトってないことに気づく。ただダラダラと日記を書いてみたいなという衝動に駆られる人間は取り残されている。

 「人に読まれるため文章」「人にみてもらうための映像」そういったものだけが今は世界に溢れている。「バズる」というキーワードのみを追っかけている。商業的にはそうかもだけど、人って文章を書きたい衝動というか「自分てなんだろう」ってボーっと考えることってとても重要なものだと感じてしまう。

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 文章を書くのがうまいひとがいる。まとめるのがうまいというか、観たもの聴いたものをうまく表現できて、人にこうですよとよませることができる人はnoteとかのサイトに自分がこう感じたとかこう思ったというのを、ささっと書いて載せることができる。

 ただ、たくさんの不特定多数の人に読まれる所ともなる。そうでない自分の感情を書いているんだろうなと示唆もできる。すべてをさらけ出すというのは、なかなか難しいからだ。

なんも表現しないで毎日を過ごすのっていうのもなーという時に、さっと書いてというサイトみたいなものってないかな?とな思う。

 好意的に読まれるというのも大事で、パブリック的になればなるほど、批判も増えるからなーなんて思いながら、自分の思いとか自分からの観点を書き上げると面白いなと感じる。人に読まれる感があるだけで、文章が外にむけられる。自分の住む世界に「僕は今、こう思ってるんだぞ」といえるそんな感じがする。

 ただ、そんな丁度いいサイトはないので、静かに黙々と思いを書くことになる。「独り言も多くなるはずだな」と思いながら、日々を過ごしていくことになる。ただ、黙々と「日記」を書きながら思うのって、頭が整理されていないと結構人生って辛くなるんだなってこと、Twitterにつぶやいたりインスタに写真を投稿したりするのは、人にというより自分の頭を整理しているんだろうなと考えると妙に感慨深い。 

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