見出し画像

新しい家族5

40年後に想い出したこと…

 相変わらず家のテト(猫)は嘔吐を繰り返し、騒ぐ日と大人しい日が交互にくる生活をしている。爪の伸びるのが比較的早く小さい手なので皮膚に刺さり傷が絶えない。ただコタツに怯えていたのがこの頃コタツで寝たり膝で寝るようになった。少し猫らしくなっている。

 僕は春になると少し鬱が入る。原因はわかっていて変な夢だ。もう10歳の頃からみている。最初は夢のことを忘れて起きると汗がびっしょりだった。オネショしたかと勘違いするほどでその夢をみると決まって鬱になった。ただ一過性のものでその夢を見るのも2回から3回でそれが3月の頭から中旬あたり(3月5日~3月15日)ほどのこと。ただ毎年来る恒例行事だった。その夢の内容がわかったのが20歳頃で、内容とは声で「お父さんのことが好きなんだよ。大好きなんだ」と聞こえるというもの、その対象は俺なのか?俺の子供?などちょっとホラー的なミステリー的な要素を深めながら毎年その頃に夢をみる。

 30歳後半になると口癖でぼそぼそとしゃべるようになり、この頃テトがいるのでテトの前でしゃべっていたのを相方(奥さん)に聞かれた。そこで初めて人にしゃべった。「不思議な話だね」言葉少なに相方は返事した。ただその夢を見ると平衡感覚が鈍り、よくこけたり頭をぶつけたりするのが厄介で少し鬱になるんだよ。というとそれは気づいていたみたいだった。

 3月の頭にやはり同じ夢をみた。その時は声だけでなく、テトが俺に向かってしゃべっていた。気持ち悪いわ!と突っ込み気味に起きた。汗はいつもより少ないがすごく喉が渇いていた。仕事が忙しく朝6時半に出勤だったため慌てていたのか自転車に乗って段差で思いっきりこけた。こけたのはもう何十年もなかった。幸いケガもなくどこかにぶつけた時にスボンの二つ折り財布のクレジットカードが折れただけで済んだ。交差点で人はいたので少し恥ずかしかったけど。その時走馬灯のように記憶が想い出された。

子供の時の記憶

 それはまだ東京の鎌田にあった団地に住んでいた時だった。僕の兄弟の生まれてきていたら5番目にあたる兄弟を生活苦から母がおろした時だった。オヤジは酒を飲み自分がふがいないことを苦しむからなのか、母親を「人殺し」とやじり、母は痛めた身体と精神的に耐えられなかったためか近くの良くしてくれ知り合いの所に僕以外をつれて避難した。僕はオヤジと二人にさせられた。その腹いせなのかその時は神戸にいた母の親(祖母・祖父)に電話をかけさせ(かけないとなぐった)それで紙にかいた汚い字を読まさせた。「お前の娘は人殺し、おかあさんは僕の弟をころしたんだ」そう書きなぐられた紙を、僕は泣きながらよみ電話に出た祖母は耐えられなったのか受話器を下においているらしかった。その時僕は泣いていてこんな不条理がこの世にはあるのだと思った。となりで「南無妙法蓮華経」とオヤジが唱える。こんな宗教を僕は信じていない。この世に正義などはないのか、そう思っていたいた時に受話器をおいた僕から発せられた意外な言葉が「それでも、みんなお父さんの事が好きなんだよ。大好きなんだ」だった。オヤジは黙るとそのまま寝てしまった。僕は泣きながら台所でふて寝をした。その後の記憶はないが(6歳だった)その記憶だけをしっかりと想い出した。

 それを相方に喋ると、「そうだったの」と言ったきり、少し泣いていた。まあシャレにならないけれど、想い出した時そこにはいないはずの「生」を少しだけ感じた。鬱がはれた気がした。生きていくのは不条理で答えがないのだけれど、触れ合う楽しさというか覚えて記憶しておくというのも、自分の中では大事なのかもしれないなと思った。テトが朝あまえてくるウザさが少し楽になって嫌がるテトを抱きしめた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?