不登校から人生が始まったのかもしれない。

 前々から色々な方の記事を読んではいたけれど、改めて「note」って世界が広いなあ。今って「何者でもないわたし」が、一夜にして世界から注目を浴びるようになったり、夢が叶っちゃったりするんだもんなぁ。あの頃の自分に見せたい。

 ...あの頃。記憶を辿るとキリがないので、わたしを形成したであろう幼少期のねじれまがった話、今や全員バラバラ!解散〜!な家族の話はおいておくとして。
わたしは不登校/保健室登校の常連だった。初めて保健室登校したのは小学校1年生の頃。中学校も半分も登校していない。いじめや交友関係のねじれ、この勉強がなんの役に立つんだ!とつっぱねまくり、あまりの不登校加減に7者面談の場が設けられたけれど、椅子を蹴っ飛ばして部屋を出たこともある(本当にごめんなさい)。保健室登校もよくあったし、学校を抜け出して担任の先生とカーチェースならぬフットチェースも繰り広げたし、マラソンの時間にはコースを脱線して平気でカラオケに行ったこともある。人を傷つけないレベルの「子供の悪事」は思いつく限り色々とやりつくしたつもり...本当に何をやってきたんだろうと、今でも夢で謝ることが多々...ある。
(それと同時になぜか、生徒会副会長に推薦されたり、模試の結果が学校1位だったりして、出席日数不足やその他が免除された幸運者でもある...勘と運がいいんだろうな。)
 
 ...今思い返せば恵まれたとても恵まれた環境だったし、本当にただの甘えなんだけれど、学校をサボって友人と落ち合っている時間や、友人と別れ、親が寝静まるまでプラプラと一人あてもなく歩く時間、常に心にあったスローガンは「ここではない、どこかへ」だったと思う。「いつか自分の足で遠い場所に行く」そう思い始めてからは、仙台の外れの少しだけ開いた町にいる自分はひどくつまらない人生を送っているはずだ!と日々思い込み、外の世界に足を伸ばしたくて高校1年の初夏からバイト掛け持ち生活を始めることになる。
 ラーメン屋からスタートしたバイト史。これもまた、わたしのその後の人生に転機をくれるものばかり。

しかし、とても長くなるので、これまた次回以降。なにとぞなにとぞ。