生活安全課

5月8日16時50分に警察署から不在着信があることに気付いたのは、その日の退勤した18時過ぎ。折り返し電話を掛けてみたけど、担当が不在ということで、また明日担当から連絡しますとのことだった。

翌日5月9日の昼休みにこちらから電話を掛けた。きっと母親のことだろうと、気が気でなく、待てずに掛けてしまった。生活安全課の方から、私の母親について、とのことだった。予想的中。

母親がわたしを敵対視していて、ジュエリーや通帳を紛失する度に、わたしに疑いを掛けていることは知っていたが、警察にも「長女が怪しいです!」と相談していたようだった。警察にまで疑いをかけられたらひとたまりもない、と思ったが、生活安全課の方からの用件はそうではなかった。

「お母様は何か精神的な疾患をお持ちですか。」ということだった。以前母親がODをして緊急搬送された際に、その病院の精神科医から「妄想性の鬱病」と診断を受けたことを説明し、生活安全課の方も合点がいったようだった。

生活安全課の方と案外長話になり、その中で少し面白かったのが、「わたしの父親の元に、保健所から医療措置入院のススメがきてはいるんです。」と伝えたところ「それは良いですねえ!」と生活安全課の方の声が弾んでいたことだ。

わたしは母親と関わるのが面倒臭いので、極力顔を合わせないようにしているし、連絡もこちらからはしない。「わたしの通帳、知らない?」というような連絡がきたときだけ「知らないよ」と返す程度。

しかし、警察は「長女に通帳を盗まれました!」と連絡がくれば、いくら電話口の相手の様子がおかしいと感じたとしても、自ら電話を切ったりすることは勿論できない。「親族相盗例になるのでどうすることも出来ないです」と言うのみで、後は相手の話を聞いてあげるだけになる。カウンセラーでもない素人が、精神病患者の世話をしているも同然だ。

だから、かなり参っていたところからきた「それは良いですねえ!」だったのだとわたしは捉えた。生活安全課の方に対して、同じつらさを経験したという、ちょっとした親近感を持った。そして、この親近感こそが、精神病患者を身内に持つ者にとって救いになるのだと思った。

生活安全課の方は、わたしの母親の一方的な電話に出続けるしかなく、どうすることもできない。わたしも、母親が面倒臭く、そして怖いので、どうすることもできない。それでも、このときに生まれた共感という感情が、わたしたちのどうしようもない気持ちの行き着く場所になる。共感に落ち着くことで、理性を保っていられる。

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