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醜形恐怖症?

自分の外見にコンプレックスがある。数えてみると8個ほど。外見にコンプレックスに持つようになったのは中学生の時からだった気がする。思春期の到来や不健康な生活のせいで顔つきや髪が変化したからか、その時期からクラスの仲の良かった人たちに見た目を弄られることが増えた。一番酷いと思ったのは全く喋ったことないクラスで権力のある女子に陰口を言われていたことだ。未だにそれらの悪口を全て覚えているほど俺には深く突き刺さっている。恐らくそこから自分の外見コンプレックスは始まった。

外見コンプレックスの日常にはマスクが必須だ。これをつけないとまともに外に出たり人と会話することができない。真っ暗な夜や誰も居ないところではまだ外すことができるが、日常的にマスクを着けていない人を見ると見た目が良くて羨ましいとかマスクを付けなくても生活が出来て羨ましいとか、嫉妬も入った卑しい感情を抱いてしまうことも少なくはない。

前までは家族の前では素顔を晒して生活できていたけど最近はもう家族の前ですら顔を伏せるようになったし顔を見られたくないという理由で食事の時間をずらしたり会話を意図的に減らすようになってしまった。家族の前ですらこんな酷い症状なんだから、勿論家族以外の人に対してはもっと酷い。親戚や祖父母の前ではもっと素顔を晒せないし、親戚の集まりの食事会は一番地獄だ。無理にでも食べなきゃいけないからマスクは外さなきゃいけないし大勢の人の目の前で素顔を晒さなきゃいけない状況は本当に今すぐにでも死にたくなる。年末年始はそういう行事が多いから憂鬱だ。今は引きこもりだから他人と食事する機会は殆どないけど、社会に本格的に復帰してからは大勢で飲んだりする機会が増えると思うと将来どうやって生きていけばいいか分からなくなる。

高校に通っていた頃は絶対にクラスメイトに素顔を見られたくなかったから昼食はいつも1人で食べていたし、(一緒に食べるような間柄の友達ができなかったのもある)30秒ぐらいで食べられるおにぎりを一瞬で口に詰め込んですぐマスクをつけていた。体育などで運動をする時も呼吸がしづらくても、どれだけ熱くてもマスクは外さなかった。更に、高1の頃は元から50キロ台で痩せていたにも関わらず、鏡で自分の姿を見ると太っているように見えて食事を抜いたり過剰な有酸素運動をして家族に心配されるほど痩せていた時期もあった。

最近は例え可愛い服や靴を買ったとしても、結局顔はゴミなのに洒落た格好をしても意味がない感じたり自分の顔には釣り合っていない格好だと思うことが増えてファッションも全く拘らなくなった。


精神科の先生や辞めた高校の先生や他にも色んな人に俺が外見にコンプレックスがあることを伝えたらかっこいいとか可愛いとかシュッとしてるとか言ってくれたけど、そんな言葉では特に心も軽くなることはなかったし、俺は自分では本当にゴミのような顔をしていると思う。自分の顔を鏡で見ると本当にそれだけで死にたくなるし自分の顔のことを考えるだけで普通に鬱状態に陥ることも多々ある。ハッキリ言ってどれだけお金を注ぎ込んでもいいから整形したい。こんなことを思ってしまう自分はもしかしたら醜形恐怖症なのかと疑ったりもする。

多大な苦痛が生じたり、日常生活に支障をきたしたりするという症状はあてまはまっている。しかし、「ささいな」外見上の欠点に囚われていると言うよりも、俺は最早重大な欠点の数々に囚われているから醜形恐怖症には当てはまらないのでは?と思ったけどこの思考そのものが醜形恐怖症の症状かもしれない。

俺ってどうすればいいんだろう。

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