自分語り。改。
桜満開の4月。
この4月からチャレンジし始めたことがある。
それは複雑性PTSD 症状からの回復のための認知処理療法だ。
自分自身をアダルトチルドレンだと自認してから10年ほど経過。
育ちのなかで得られなかったことや傷ついたことが今に影響していると理解したのはもっと遅くてやっと5年ほど前。
心の中のごみ屋敷を片付けるイメージでブログに子どもの頃のことを書き始めた。
でもその作業、一人でやっても進まない。
辛くなる。
辛いと自覚する前に
まぁ、いいかと諦めてしまって
ちゃんとした整理にならない。
これはどうも「回避」という行動らしい。
今までも自分の大学受験と受験浪人時代と大学進学については断片的に人に話したことはあった。でも、この受験生時代のことを「複雑性PTSDとなった体験かもしれない」という視点で語ったことはなかった。長年、もうこのことを言っても仕方がない、と諦めていた。それは完全に私の怠惰と努力がなかったことの結果だと思い込んでいた。
改めて話してみるととてもじゃないが受験勉強に集中できる環境ではなかったし、その時の私のやりきれない想いに寄り添ってくれた家族がいなかったことも分かった。長女なんて家族の世話係。介護要員。そういう価値観で育てられたことがとても悲しかった。言っても仕方がないのはこのことだった。
きちんと「酷い体験だった」と認識し直した。そして私の怠惰や努力不足だけではなかったことも理解ができた。
自分語りをどう語るか
誰に聞いてもらうか、は重要だ。
どう語り、どう聞いてもらったかはその後の回復に大きく影響すると実感している。
もう少し思考と気持ちに整理がついたら私の暗黒歴史の一つ「だった」この大学受験の話も書き留めておこうと思う。
今日はここまで。
写真は2022年の満開の桜。桜の咲くこの時期にこの取り組みを始めたのできっとこれからは桜を見ると自分を生き直し始めたことを思い出すだろう。
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