見出し画像

インナーチャイルドと行く遍路旅

2022年のゴールデンウィークは四国八十八か所巡礼の遍路旅から。
お遍路は30代の頃に一巡し、高野山まで行った。
今回は2巡目の旅。
2巡目は夫と娘、3人で一緒に周り始めたのが2016年。3人のスケジュールがなかなか合わずに徳島の霊場でストップしてしまっていたのを思い切って再開させた。
今回も結局3人では行けず、私一人の遍路旅となった。
高知県の霊場はお寺からお寺までの距離が長くて移動に時間がかかる。第38番金剛福寺から宇和島方面、43番明石寺ぐらいまではどうしても日帰りは厳しい。この際、二泊三日の旅程をとって人でも巡礼を続けようということになったのだ。

第37番岩本寺からのスタートで43番明石寺までの順礼を予定している。

実はこの旅程、2回目ではなく、私にとっては3回目の旅路。
初めて行ったのが小学校3年生のちょうどゴールデンウィークだった。

祖母と一緒にお寺のツアーに参加した。
出発までに宿題を終わらせないと行かせないといわれていたのでめちゃくちゃ頑張って宿題を終わらせたのを覚えている。
車酔いがひどくて(当時の観光バスは喫煙もアリだったので匂いも酷かった)足摺岬は往路、復路ともにリバース(@_@;)
青白い顔をして泣いていたら
年配の修験者の方(遍路ツアーやお寺で行く場合は「先達」といわれるベへテランのお遍路さんや修行を積んだ方が一緒に行くことがある)に
南無大師遍照金剛と書いた札を浸した水をもらって
飲むと不思議と車酔いが落ち着いた。
車酔いはひどかったけど一緒に行ったお寺の檀家のおじいちゃん、おばあちゃんが優しくしてくれて嬉しかった思い出のひとつだ。

この旅には「大人の事情」があったらしい。

本当はこの遍路旅は父親と母親の二人で行くことになっていたらしい。
父親は信仰にはほとんど興味はなく、母親が脅迫的に墓参りや信仰をしていただけなのでおそらく父親はなんだかんだと理由をつけていかないことにしたようだった。
二人急にキャンセルするのも悪いのでどうするかと考えたときに祖母が行くことになり私にも話が回ってきたのだと思う。

母親はこの後ずっと
「あの時のお遍路は本当は私が行くはずだったものをあの人(祖母)が割り込んできて取り上げたんだ」
と恨みがましく私に語る。
祖母と母親の関係は良くなくて
それに加えて父親のギャンブルで作る借金もあって
いつも我が家の大人たちはギクシャクしていた。

そんな家にいるのはとても息苦しかった
特に母親と一緒にいるのが息苦しかった私は母親から離れてどこかに旅行に行くことが本当に楽しみだった。
だから車酔いで何度も吐き戻しても
一日に何度もお経を唱えても
まわりはおじいちゃん、おばあちゃんばかりだったとしても
家にいなくてもいいホッとできる時間だった。

今でも私は旅行が好きだ。
年に数回はふらっと一人旅に出る。
今は我が家が居づらいから旅にでるわけではない。
むしろ
帰りたい家があるから安心して旅に出られるのかもしれない。

当時
子ども用の遍路着(白衣)がなかったので
ひいばあちゃんが私の遍路着を手作りしてくれた。
背中の「南無大師遍照金剛」は父親が書いたもの。



呪物のような遍路着。孫ができたら着せたいかというと…。もういいかなあ。

当時の私は
大人のいろんな思惑や想いを着せられて旅をしていたのかもしれない。
(そのプレッシャーで吐き戻したのかもしれない…。)

本堂で甘茶を購入。ホテルにて。懐かしい味。

今度は
大人になった私が
子どもの私を連れていく。
大人の都合に翻弄されて不安な子どもの私に
大丈夫。帰りたい家があるから旅は楽しいんだよ。と言いながら。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?