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KICK BACK考察【チェンソーマン OP】

どうも。にこはぴです。
今回は、アニメ「チェンソーマン」のOP主題歌、米津玄師さんの「KICK BACK」の歌詞、またOPの映像を考察していこうと思います。
かなーり長いので心して読んでください…。

注意 ネタバレアリ

思いっきり原作のネタバレ含むから注意やで。
それではレッツラゴー!

映像

オマージュ映像

チェンソーマンOPには、多くのオマージュ映像が使われています。
この元ネタである映画の一部は、原作者の藤本タツキ先生が単行本にて「大好き!」と言っていたものが使われています。
また、どれもチェンソーマンに似たものを感じさせる内容が含まれているので、興味があったら調べてみてください。
今回はオマージュ映像について説明する気はないので割合します。

映画を見る一同

「ランドリー今日はがら空きでラッキーデー かったりー油汚れもこれでバイバイ」の歌詞の部分で、映画を見る一同の映像が流れます。
登場するのは、左から
一列目に

  • デンジ

  • マキマ

  • アキ

  • 姫野

  • コベニ→パワー

  • 荒井

そして二列目に天使の悪魔、一席空いてビーム、三列目に蜘蛛の悪魔、見えづらいですが四列目に岸辺、となっています。

さて、これは個人の感想なんですが、恋愛感情があるペアが隣に並ぶという構図が好きです(デンジとマキマ、アキと姫野、コベニと荒井)。
あと、一瞬席を立った間にパワーに席を取られて絶望するコベニが面白い。

さて、真面目に考察していきます。
ここから言えるのは、

  • 荒井と暴力の魔人が同じ説が公式で決まった?

  • 自分たちが写っているであろう映画を楽しそうに見る、狂気に満ちた公安メンバー

という二つです。
一つ目の「荒井と暴力の魔人が同じ説」というのは、
コベニのバディーであり、かつコベニをかばって死ぬという結末を迎えるという共通点を持ち、なによりも「暴力の魔人のマスクの下が、荒井にそっくり」という点で、長年ファンから言われていた説です。
暴力の魔人のマスクの下は、荒井と似た顔立ちの、四ツ目の青年となっています。
これは、凶暴な暴力の魔人の力をおさえるために、

  • 死んでからそれほど時間がたっていない(そのほうが人間の人格の影響を受けた魔人になる)

  • 比較的まともで人格者

  • やる気は十分だが実力不足」と評される(能力が低い為安全だと考えられた)

という点を持つ荒井の死体を使ったのではないか、と言われていたのですが、
今回の映像、公安編に登場する主要キャラクターのほぼ全員がいるのに、荒井がいて、暴力の魔人がいない、という状況を、
荒井と暴力の魔人は同じだから、同時に存在できない
と説明でき、やはり暴力の魔人は荒井である、と考えられます。

二つ目の、「自分たちが写っているであろう映像を見る、狂気に満ちたメンバー」については、あとで説明していきます。

あと、最後にポップコーンをマキマから口に入れられるデンジのシーンに、「マキマさんの犬になりたい」などと言っているデンジの性格が出てますね…。

カタツムリ、そしてマキマが見る世界

サビ直前の、「あなたのその胸の中」という歌詞の部分で、触角が緑になったカタツムリと、手で枠を作ってシャッターを構えているようにも見えるマキマが交互に写ります。映画監督がやってそうなアレ。
前者のカタツムリは、マキマの能力である「支配」に大きくかかわっています。この「触角が緑っぽくなった状態」というのは、「ロイコクロリディウム」という寄生虫に寄生されたカタツムリの姿です。ロイコクロリディウムは、芋虫のような見た目でカタツムリをだまし、自らを食べさせることで、なんとカタツムリの神経を乗っ取り、その状態でわざと鳥にたべられることで、鳥の中で子孫を増やす…という、恐ろしい生態を持っています。
重要なのは、この「自らを食べたカタツムリを乗っ取る」という点で、これは、デンジのことを「支配」しようとするマキマを表しているんじゃないでしょうか…。

そして、「手で枠を作りシャッターの様に構えるマキマ」というのは、「今までのオマージュ(というよりパロディー)の監督はマキマ」という事を表していると言えます。それを見ているのが、先ほど説明した、映画を見ているシーン。今までの動きが全てマキマの作った映画のための映像で、それを見ているのだとしたら、狂気としか言えません...。
これは、「すべてはマキマの掌の上」という、本編の状況を表しているんじゃないですかね。
ちなみに、原作でマキマが「映画が好き」と発言するシーンがあるため、これも影響しているのでしょう。

金のボールと卵

サビ最後の、「努力 未来 a beautiful star×4 なんか忘れちゃってんだ」の部分で、

金のボールを転がしてそれに乗っていく作戦を思いつくデンジ
→金のボールをハンマーで転がすパワー
→悪魔を切る
→画面が切り替わり、卵割りに失敗し、首をかしげるデンジ(料理中の模様。)

という映像が流れます。
この卵の黄身の色が金のボールに似ているのが良い表現だなっていう感想は置いといて...。

デンジは、何故首をかしげているのか?
卵を割るシーンだけで言えば、
「うまくできたと思ったんだけどな、なんでミスったんだろう」
みたいな理由だと思えるんですが、
何故バトルシーンの間に、本編に全く関係がなく、バトルにも関係のない料理シーンを挟んできたのか」という疑問を考えると、首を傾げた理由は別にあるのでは...?となります。
ここで僕が考えたのは、「存在しない記憶が脳に流れてきたから」という説です。
この「存在しない記憶」というのは二つあって、
一つ目は、直前のバトルシーンです。このバトルシーンに出てくる悪魔は原作に登場しない上、なんで悪魔が爆発するんだ(直後のシーン)って話ですよ。しかし、こちらはデンジの脳内に流れる理由がこれと言って無い(マキマの記憶改変を使えば可能だが、マキマもそうする理由が全くと言っていいほど無い)ので、可能性は薄いです。
なので、それより有力な二つ目を考えました。
二つ目は、直後に出てくる扉です。
これは、デンジの夢の中によく出てくるとされる、通称「夢の扉」であり、その奥には、父親の自殺デンジの父親殺しに関しての真実があります。
これは「存在しない記憶」というよりは、「消し去ろうとしている記憶」といった感じでしょう。
直前のバトルシーンが実際にあったと仮定するなら、料理中にそれを思い出し、その時にふと扉のことも思い出して
「あれ?扉なんてあの戦いに何も関係ないのに、なんで今?あとあの扉何だったっけ?…まぁいっか…。」
みたいな感じなんですかね...?
わざと首をかしげることで自分の記憶をごまかしているとも考えられます
「なんか忘れちゃってんだ」の歌詞に合っているのも後者なので、僕は取り敢えずこの説を推していきます。

というわけで映像の考察は終わりです。
最後の「コン」→暗転、も気になりますが、僕の解釈力ではわからないので皆さんのご想像にお任せします…

歌詞その1 オマージュとチェンソーマン

kickbackでは、歌詞にもオマージュがあります。
その元ネタがモーニング娘。の「そうだ!We're ALIVE」です。
まずは、その曲とチェンソーマン、kickbackの関わりを考察していきます。

そもそもなぜこの曲が選ばれた?

実は、チェンソーマンの時代設定とモーニング娘。のデビュー年は、どちらも同じ1997年。
また、原作85話のタイトルは「超跳腸・胃胃肝血(ちょうちょうちょう・いいかんぢ)」なのですが、「超超超いい感じ」はモーニング娘。の「恋愛レボリューション21」という曲にもある歌詞なんです。(kickbackの歌詞の最後には、「なんかすごい良い感じ」という歌詞があるのも、多分そこからでしょう。)
原作との関係も多くあるようですね。

ちなみに、この歌詞を使うにあたって、米津玄師さんがつんく♂さんに申請したらしく、完成した曲を聞いたつんく♂さんは
才能の塊というのは本当に恐ろしい。彼の頭の中にあった一欠片のひらめきはいつの間にか、強力なメッセージとなり、美しい旋律と共に僕の耳の中に入ってきた。作品ってこういうことだよなぁ。」
と語っていたそうです。

「未来」と、「前進」「平和」

kickbackで何度も出てくる「努力 未来 A beautiful star」という歌詞は、この「そうだ!We’re ALIVE」からオマージュしたものです。
しかし、原曲では、「未来」の箇所が「前進」「平和」になって代わる代わる歌われています
しかし、なぜkickbackでは「未来」ばかりを連呼するのか?
それを、1番の最後の歌詞から考えてみました。
なんか忘れちゃってんだ」。
ここにおいて、「なんか忘れちゃっている」のは、「前進」することと、「平和」を目指すことなのではないでしょうか?
前進することも忘れ、平和に夢見る事も忘れ、ただ虚無に満ちた心で未来を見続けている…。
そう考えると、切ない曲でもありますね。

ということでオマージュ関連の説明はここで(ほぼ)終わりです。

歌詞その2 デンジ目線で歌うkickback

この曲は、デンジ目線で歌う事が出来る、という考察をよく見かけるので、そちらについて歌詞ごとに考察していきます。

ラッキーデーとは何か

ランドリー今日はがら空きでラッキーデー かったりー油汚れもこれでバイバイ
いきなりインパクト強いですよね、この歌詞。
「がら空き」とか「かったりー」っていう、若者っぽい言葉が急に出てくるからなのかなぁ。という感想は置いといて。
デンジにとっての「ラッキーデー」、「かったりー油汚れ」とはなんなのか
もしかして、「かったりー油汚れ」というのは、自分に借金を押し付けていたヤクザのことだったんじゃないでしょうか。
つまり、「ラッキーデー」というのは、ヤクザを殺したあの日(原作アニメともに第1話の出来事が起こった日)と考えられます。
嫌いだったヤクザも殺せて、
借金は消え去り、
美女(マキマ)との出会い。
確かにこれだけ見れば、ものすごくラッキーデー
でしょう。
しかしこの日は何の日でしょうか。
そう。
ポチタが死んだ日です。
第1話の最後で、公安での朝ごはんを説明されたデンジが「最高じゃあないっすか…。」と答える有名なシーンがありますよね。
当初僕は、親友が死んだ割には機嫌良過ぎない?となっていたんですが、
ポチタとの契約が「夢を見せてくれ」だったと考えれば納得できるかな、と。
でもラッキーデーはおかしいでしょ
じゃあなんなんだ…って考えた結果が、
虚勢」。
いくらあの性格のデンジでも、さすがにラッキーデーとまで本心で言うわけがないと思ったので、悲しみをごまかすための虚勢なのかなぁ、って思って。
幸せになってくれデンジ。()

頭の中の声

誰だ 誰だ 頭の中呼びかける声は あれが欲しいこれが欲しいと歌っている
デンジ目線で歌うなら、この「声の主」は、
ポチタ」か「デンジの本心」です。
ポチタなら、「夢を見せてくれ」が契約なので、まぁそのままですね。
デンジの夢はそんなもんじゃないだろ、もっと見せてくれ」的な。
デンジの本心だとするなら、第1話の
「なんでこいつらは十分恵まれてんのに もっといい生活を望んだ? …俺も同じか ポチタがいりゃあ それで良かったのに もっといい生活を夢に見たんだ そーか みんな夢見ちまうんだなぁ」
というセリフから考えられます。
デンジは、このセリフで言われている様に、
十分恵まれてんのに、もっといい生活を望んだ
のです。結果が疑似家族の死ですよ
って感じなんでしょうかねぇ。

この手につかみたい胸の中

幸せになりたい 楽して生きてきたい この手につかみたい あなたのその胸の中
デンジ目線で解釈するとき、この「胸の中」という単語は、2通りの考え方が出来ます
1つ目は、物理的な胸
デンジの目的は「胸を揉みたい」なので。(笑)
2つ目は、「心」を表す胸
ハートってことです。
デンジは、マキマのことが好きなので、「マキマさんのハートをキャッチしたい」という意味で解釈できます。
どちらもマキマに向けられた感情であり、どちらでも解釈できるので、「どちらも」と考えて良いかもしれませんね。

ハッピーで埋め尽くせーーーーっ

ハッピーで埋め尽くして レストインピースまで行こうぜ
「ハッピー」っていう、どことなく能天気なワードが強く印象に残るんだよなぁ…。
っていう個人的感想は置いといて、
まずは「レストインピースって何?」って方のために、簡単に説明すると、
レストインピースというのは、
安らかに眠れ」とか「ご冥福をお祈りいたします」的な意味です。
アメリカなどでは、お墓に「R.I.P.」(rest in peaceの略)と刻まれていることも多いです。
つまり、「レストインピース」という言葉は、間接的に「死」を表していると言えます。
つまりこの歌詞は、
死ぬ時まで、限りなくハッピーが詰まった人生過ごしていこうぜ
って意味なのでしょう。
マキマの「死ぬまで一緒に働こうって事」というセリフを思い起こしますね...。

「いつか見た地獄」

いつか見た地獄もいいところ 愛をばらまいて
いつか見た地獄、というのは恐らく、ポチタと過ごしていたころの極貧生活のことでしょう。
貧乏だし、借金はあるし、片目は取られるしで、「地獄」のようではありましたが、ポチタという無二の友人がいたので、今思い返せば「いいところ」でもあったのでしょう。

I love you マイハニー…

I love you 貶してくれ 全部奪って笑ってくれ マイハニー
恐らくこれはマキマに向けた感情でしょう。
「マキマさんの犬になりたい」というほどに、
貶されていい、全部奪われてもいい、だから愛してほしい、笑っていてほしい
という感情が強かったのでしょう。また、「奪って」というのは、「自分の心を支配してくれ」という意味も込めているんじゃないでしょうか...。実際マキマは「支配」の悪魔ですし()

まあ、デンジ目線での1番はこんなところでしょう。
とりあえず長くなりそうなので、今回はここで止めます。
今度2番や別解釈

中1だからサポート受け付けてないんだ~ サポートしようとしてくれたらその気持ちだけで嬉しいよ!