平成最後の夏に、戦争を知らないわたしが思うこと。
「ブーンと空を駆けて行く音がして、空襲警報が鳴って、ピカッと光ったと同時に、何もかもがなくなってしまった。」
平成最後の夏。
平成天皇は、戦争を知っている。でも次の天皇は、戦争を知らない。本当の戦争を知らない人が、どんどん増えてゆく。そんなことは、いまを生きる若い世代にとっては、なんて事のない話かもしれない。
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「あの日、私は被爆者になりました。」
2017年の夏、私が出会った82歳の女性の一言。一見どこにでもいそうなおばあさん。でも、女性が今日までどのように生きてきたのか、ひとつひとつ話を辿っていくと、この一言にはさまざまに複雑な思いが込められていた。
「ヒバクシャ」
ただ、それだけのことだ。そう、それだけのこと。でも、何もわからない時代に一瞬の光が人を次々に死へと追いやり、次は自分が死ぬのではないかという恐怖と心ない言葉と視線が女性を襲った。
「辛かったですね。」
そんな陳腐な言葉では消すことのできない「ヒバクシャ」であるという事実は、変えることのできない現実だ。その現実とどう向き合うことが正しいのかはわからないし、向き合うことが正しいことなのかもわからない。でも、そこにある「事実」を心に留めておくことが必要なのだと思う。
「もう二度と、私と同じ思いをする人をつくりたくないの。」
女性が口にした言葉。そして、戦争を経験した人の多くが口にする言葉。でも、悲しいことに世界では今日もどこかで銃声が鳴り響いている。そして、ひとりまたひとりと人が死んでいる。
「ヒバクシャ」ではないかもしれない。けれど「戦争」によってさまざまに苦しむ人が、世界大戦を終えた今もまだ数え切れないほどいる。
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「 〜あの夏を、忘れない〜 戦争によって多くの命がなくなりました。そして、いまもなお核兵器は存在し、その脅威に晒されています。」
陳腐なセリフはもう聞き飽きた。日本には戦争の火の粉がやってくることなく、戦争による被害の恐怖を抱えることなく、ただただ今日という日が過ぎてゆく。
平成最後の夏。というけれど、いつもと変わらない夏であることを戦争を通して実感するばかりだ。
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