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英語はなぜ難しいか?     (「始める」ために)

 多くのオジサン世代日本人(現在の学生は、当たり前のこととして受け入れ始めている)が憧れた・憧れている「英語ペラペラ」(私自身がまだ「ペラペ」だが😭)。English speakerを目指して、英語の音声練習(読み書きの練習とも関係する)を続ける、「音声実践編」。

 今回は趣向を変えて、そもそもEnglish speakerを目指すためのマインドについて考察する。私の記事の愛読者の皆さん🤗は、音声練習を始めている方が多いと思う。一方で、「くまりん19の言うことは分かるけど・・・。いざ始めるとなるとやっぱり😅」となっている人もいるだろう。

 新しいことを始めようとすると、どうしても二の足を踏んでしまう。あるいは、始めたはいいがすぐに止めてしまう。そういう場合にどうすれば良いか? English speakerとなって1年が過ぎた今、私は改めて考えてみた。

 なお、サムネは本記事の内容をよく表していると思う。本記事を最後までお読み頂くと、意味が分かるようになっている(ハズ)。

 本記事は英語の音声練習はおろか、英語学習自体の初習者にも向けているため、なるべく日本語中心で書く。あらかじめご了承頂きたい。

 本記事の内容を要約しておくと、

「実用英語」とは、「英語ができる」と「日本語ができる」を同じ基準(同じレベルではない)で捉えることであり、英語を「科目」ではなく「第二言語」として練習することである。いわゆる4技能は相互につながっており、その基礎として文法は重要である。音声練習を始めるにあたっては、様々な「始めない」ための理由が思いつく。音声練習の重要性は音声練習をすることによってしか理解できず、冷静に判断しようとしても無限ループにハマるだけだ。感情に身を委ね、強引に始める必要がある。English speakerになった後も音声練習は続く。様々な反応や自身の葛藤の中で、言語学習は一生続くのである。

 そもそも、English speakerって 何? となった人は、先にコチラ ↓ をお読みください。


 では、始めよう。

①「英語ができる」とはどういうことか?

 長らく「英語が苦手」の烙印を押されてきた日本社会だが、いよいよ「英語=外国語」から「英語=第二言語」の方向に舵を切ろうとしている。
 背景には、経済界からの要請があるとかないとか😅。まあ、人間が必死になるのは大抵金か異性のためであり(もちろん、同性のために必死になるケースもあるだろう)、私としては方向性が「言語」として間違っていなければ、それで不満はない。

 ところで、この記事を読んでいる「日本語話者」の貴方に質問だ。貴方は日本語ができますか? 

 ・・・、

 ・・・。

 ふざけんな‼️ できるに決まってんだろ‼️

 はい、知ってます🙇‍♂️🙇‍♂️。

 では、次の質問だ。貴方は、何をもって「自分は日本語ができる」と思っているのだろうか?

 ・・・、

 ・・・。

 あれ?

 そう、そうなのだ。日本語を当たり前に「できる」我々は、「日本語ができる」ことの基準など考えたことがないのだ。

 このことは裏を返せば、「英語ができる」ということについても基準が定まらないということであり、「英語=外国語=試験」と何となく思ってきたオジサン世代の日本人は、「英語ができる」=「英語の試験で点が取れる」と考えがちだ。本「英語はなぜ難しいか?」シリーズで何度も言ってきたが、それで問題はなかった



②「英語ができる」の変化

 突然ですが、英語講師として働いている人に質問です。貴方は、面と向かって「お前は英語ができない」と誰かに言われたことがありますか?

 私はある(私は様々な科目を教えているため、英語講師と言えるかどうかは極めて怪しいが😅)。

 具体的には帰国子女(この言い方も好きになれない😡)の後輩(!)講師からだが、温厚で有名な🤣🤣私もさすがにカチンときた。


 ・・・、今なら分かる。英語を「言語として」使いこなさず、使いこなそうとせず、できることと言えば文法の論理的な説明と読解理論(ただし、自分が読解するとなると、やたら時間がかかる😅)の紹介。そんな自分が「英語をできるつもり」になっているのが、その後輩(今でも仲良くやっています😁)には許せなかったのだ。
 何で分かるかって? それはもちろん、自分がその後輩の立場に回ったからだ。「英語を話せない人間が英語講師やってんじゃねえよ‼️」と、1年ちょっと前までの自分を棚に上げて憤るようになる。これが世に言う、English divide ↓ か?😅(絶対に違います)。


 それはともかく、「英語ができる」が、「英語の試験で点を取れる」から「言語として使いこなせる」にシフトしつつある(ここまで遅いのは世界でも稀な)国である、日本。我々が愛してやまない😍ガラパゴス日本。
 いわゆる「実用英語」とは、文字通り実際に言語として使いこなすことなのだが、日本社会ではしばしば「英会話中心」と混同される。文法・訳読中心の英語教育からの反動とでも言おうか。どーして両極端になっちゃうかねぇ😅。
 そして、塾講師にとって恐ろしいことには、「英語の試験」も「実用英語」の方向に寄せてきている。これは、最新の過去問を解き続けることによって、体感できたことだ。
 

 ガラパゴス日本でもついに、「言語習得は音声から」「言語において、音声と文字はリンクしている」という意識が、学校現場で浸透し始めた

 ・・・。

 私の勝手なイメージだが、どの科目であれ、指導理論・方法では塾・予備校の方が学校より進んでいると思っていた。何と言っても、「生徒から人気ないからクビ」がない学校教員よりも、塾講師の方が指導に関して本気であると信じていた(まあ、自分も塾講師だし)。「英語の音声」問題を意識するようになるまでは😱。



③4技能は相互に絡み合っている

 4技能とは、言語習得におけるlistening、speaking、reading、writingのことを指す。この順序で習得を「始める」のが言語として自然であり、現在の小学校英語教育はこうなっている。
 
 listeningが最初に来ていることに驚くのは、日本のオジサン世代(もちろん、かつての私も含まれる)にほぼ限定され、世界的に見ても貴重だ(笑)。言語習得は必ず音声から。いつも言っていることだが、あと10年後には「アイツ、あんな当たり前のことを何をムキになって主張してんだ?」となるのは必須だ。今のうちに沢山言っておこう😁。言語習得は必ず音声から。言語習得は必ず音声から。言語習得は・・・


 この4技能は「インプット・アウトプット」「音声・文字列」という2つの基準で分類できる ↓ 。

 ここで大切なのは、この4技能は相互に絡み合っているということだ。
 日本語で考えてみると分かる。聞いたことを自分でも練習して話せるようになる。話せることを文字に起こすのが書くことであり、文字列を読むときには脳内で音声に変換されて(≒話す)いる。言語習得において「音読」が効果的なのはこのためだ。
 
 また、「日本語は話せるけど、読むのは苦手」「日本語は聞き取れるけど、自分では話せない」「日本語の文章が上手く書けない」という人は、日本語ができない or 日本語が苦手、ということだ。「日本語を話せない(≒口から出そうと思えない」人間を「日本語ができない」と呼ぶことに、貴方は躊躇しないだろう。
 同じ基準を英語に当てはめる、それが「実用英語」である。それだけの話だ。

 英語4技能学習については、コチラ ↓ も参考にして頂きたい。

 「理論大国」日本、ワロタ🤣🤣。理論を捏ねていても、実践しなければ「英語ができる」ようにはならない。


 なお、「あれ? 英会話は4技能に入らないの?」と思った読者は鋭い。「日本語を話せるけど、他人との会話は苦手」という人を、貴方は何と呼びますか? 
 はい、「コミュ障」じゃなかった😅「人見知り」「空気が読めない(英語で何と言うか、いまだに模索中)」ですね。これは言語習得とは別の問題だ。だからこそ、文部科学省も4技能に「英会話」を含めていないのだ。ここのところを誤解している人(かつての私も当然含まれる)が多過ぎる。
 もちろん、「会話を通じて言語力を磨く」は日本語でもよくある話であり、英会話を通じて4技能を高めるというのは自然な話だ。
 


 などと、理屈を書けば長くなるが、そんなことは正直どーでもイイ(ならば書くんじゃねーよ、というツッコミはなしでお願いします🙏)。

 ぶっちゃけ、貴方は英語を話せるようになりたいでしょ? 何かしらの必要性があって、あるいは何かしらに憧れて、英語の音声を練習しようと思ったからこそ、本記事に辿り着いたんでしょ?😍


 ならば、いつ音声練習を始めるのか? 







懐かしい😁



④でも、実際に始めるとなると・・・

 ここからが本番だ。英語学習・指導において、「沈みゆく船から逃げ遅れたネズミ」である、日本のオジサン世代。貴方はその一人である(だから本記事を読んでいる)。とりあえず、そういうことにさせてくれ😝。

 「英語を言語として使えていない(ほとんどのケースで、不足しているのはspeaking ability)」オジサン世代が、「さすがにこのままじゃヤバいな」と音声練習を始めようと思ったとき、行く手を阻むのは「イイんだよ、そんな面倒なことしなくって👻😻」という、数々の正当化だ。
 単なる「言い訳」で片付けられないのは、これらの理由は全て正しいため、本人が音声練習から逃げることがいとも容易く肯定されてしまうからだ。

 以下、実際に私自身がかつて思ったことや、「英語ができない」人間から直接ぶつけられた「言い訳」を列挙する。( )内は、現在の私からのツッコミだ。

・日本人なんだから、英語を話す必要はない(「できない」と「必要がない」のすりかえ)

・日本人のくせに、ペラペラ英語喋ってんじゃねーよ(こ、こんなに練習した結果なのに😭😭)

・俺は英語の文章を読むのが好き(Me too‼️ ただし、音声大切)

・英会話は文法を無視している(文法は4技能の基礎。無視している訳がない。むしろ、文法だけやっていると、逆に文法の意義が分からなくなる)

・1文ずつ丁寧に和訳するのが大事(頼むから、学習の初期段階だけにしてね)

・英語が聞ける・話せるなんて、ネイティブか帰国子女だけ(くまりん19の記事を読みましょう😝)

・どうせネイティブレベルにならない(そりゃそうだ。英語に触れている時間が違う。準ネイティブレベルには、練習次第でなれるけどね)

・日本人だから英語ができないのは当たり前(音声練習を続ければ、誰でも英語の音声を操れるようになるよ🤗)

・文法研究に忙しくて時間がない(文法は言語習得の一部。研究時間よりも練習時間を!)

・俺は日本語を守る!(Me too‼️ 英語ができるようになることは、日本語を捨てることに決してつながらない。むしろ逆)

・listeningしていると和訳できない(いや、そもそも和訳なんてしませんって😅)

・俺は指導する立場だから、生徒ができるようになればイイ(・・・。マジですか😱)

・講師は生徒と真摯に向き合うことが大切(全くもってその通り。ただし、自分の英語力に目を向けてね)

・生徒からの評価が大切(全くもってその通り。ただし、貴方の英語力以上のものを生徒に与えることはできません)

・生徒に英語の知識を与える(頼むから、授業の「一部」にしてね。英語は「勉強」ではなく、「スポーツ」「音楽」。練習あるのみ‼️)


 ざっと、こんなところか。書いていて気付いたのだが、「音声練習をする」と「和訳しない」は、かなりリンクしているように思う。English as it is  ↓ が常識になろうとしている現在、オジサン世代に深く刷り込まれた「和訳」から脱却する上でも、音声練習は有効だ。
 なお、私は高校生の頃から和訳を避けるようにしており、生徒にも「和訳をするな(日本語を仲介するのが癖になる)」と常々言ってきた。この辺りの事情については、いずれ書く機会を設けたいと思う。




⑤そして、無限ループへ

 音声練習をしなければ、英語の音声を操れるようにならない。英語の音声を操れるようにならなければ、音声練習の重要性は理解できない。音声練習の重要性を理解できなければ、音声練習を始めようと思えない・・・。
 「必要性を理解できない → やらない → できない → 必要性を理解できない・・・、以下繰り返し」。無限ループだ😱。

 このような無限ループは、必要なことを新しく始める際について回る問題であり、何も英語の音声練習に限ったことではない。

 ここに義務教育の意義がある。必要性・重要性など理解できるハズもない子ども達に、強制力をもって必要な技術や知識を身につけさせることが、本人はもとより社会全体にとって大切なことなのだ(強制されるのはイヤなものだが😰)。

 英語の音声練習についても、現在は小学校教育の段階から強制されているため、今後は日本社会にもEnglish speaker(4技能全てにおいて、音声を中心に英語にシンクロしている人間)が増えていく、これは断言できる。

 問題は、少なくとも「学校」という場で音声練習を強制されていないオジサン世代であり、英会話スクールに通っては挫折する、を繰り返すことになる(らしい)😱。

 何度も何度も強調してきたことだが、日本語と大きく異なる英語の音声を「聞こうと思える」「聞き取る」「理解する」には、並大抵のメンタルでは続けられない音声練習が必要だ。

 英語の音声に慣れていない日本人(特に男性)にとって、英語は「奇声」、英語を話しているときの顔は「ダラシない顔」と映ることが多い。

 そんな直感的にイヤな世界に飛び込み、理解できない音声を延々と聞き続け、どう聞いてもお手本の音声から外れている自分の音声で必死に真似をする。練習しても練習しても、聞き取れない・真似できない。そんな作業の連続である。

 留学しようが、英会話スクールに通おうが、この地獄の音声練習から逃れることはできない。私は留学も英会話スクールも経験のない人間だが、多くの先輩達の記事を読み、確信している。言語習得において、音声練習が必要でないことなどありえない。コチラ ↓ も参考にしてほしい。

例外なし‼️

私も言い切れる🤗


 「英語を聞き取れる」「英語を話せる」とは、「英語が日本語に翻訳されて聞こえてくる」「自分の口から出した日本語が、勝手に英語に直される」ということではない
 「自分の耳と脳が英語にシンクロする」「自分の発音機能と脳が英語にシンクロする」ことである。
 相手が近づいてきてくれるのではない。自分が未知なる世界に飛び込むということである。変わるのは相手ではなく自分だ

 練習しても練習しても、上達を感じられない。そんな自分が悔しくて、情けなくて、でも諦められなくて(私は最後は諦めていたのだが😅)何となく続けている。そんな地獄のような練習を続けているうちに、ある日突然英語の音声が自分の中でつながり、口から知っている表現が溢れ出してくるのだ。
 その瞬間、これまでの辛い時間は全て報われ、続けた自分に深く感謝するようになる。
 というのが、個人差はあれどEnglish speakerへの道のりである。幼児は周りの世界につながることに必死であり、なおかつ記憶が長く続かないため、この地獄の過程を辛いと感じないのではないかと推測する。感じてたらゴメンね、幼児の皆さん🙇‍♂️🙇‍♂️。

 賛否両論あるが、英語の早期教育の最大のメリットは、音声練習の負担が少ないことだと思う。年齢が上がれば上がる程、耳は英語の音声を「奇声」「雑音」だとみなし、聞き取れなくなる。
 しかも(カタカナ英語、日本人英語に触れてきたために)間違った音(correct pronunciation ↓ から逸脱している)で英語を覚えてしまっているため、それを修正するのに時間がかかる


 最初から正しく音声を聞き取る・音声を真似するという意識と習慣さえついていれば、「音声コピー」の練習にさほど時間はかからない。現にEnglish speakerとして覚醒してから1年も経たないうちに、私は15ヵ国語を正しく聞き取れる・正しく口から出せるようになった。

 私がガチで英語の音声練習を始めてから、English speakerになるまでに要した期間は10年間。時間にしておよそ5000時間。そのうち、「音声コピー(発音のメカニズムを知り、自分の口の形や舌の形などを矯正する)」に本気で取り組んだのは、主にアラビア語の音声(笑)についてで、100時間も要していない。最初からやっておけば😰😰。というか、考えてみたら、色んな人が言っていたし🤣。
 
 言い換えれば、「言語学習は文字から、文法から」という、私の中に拭い難く刷り込まれたマインドを消し去るのに、音声練習の大半を費やしているのである。英語の音声練習とは、音声練習を通じて音声練習の重要性(特に音声コピー)を理解する過程である。

 
 長くなったが、「英語を話せるようになるとイイなぁ」とか「音声練習をすればイイんでしょ」などといった、お花畑のノリでは始められないし、続けられない。日本人に生まれた自分を呪い、音痴な自分(音感は言語習得に大きく影響する ↓ )を呪い、上達しない自分を呪いながら、音声練習の必要性を受けいれていくようになる、ということだ。




⑥「冷静な判断」はムダ

 ここまで読んでどう感じただろうか? 英語の音声練習を始めるための記事なのに、音声練習の困難を説いてどうする😡、というご指摘はもっともだ。お詫びいたします🙇‍♂️🙇‍♂️🙇‍♂️。

 だが、私は敢えて「困難さ」を説く。その困難を乗り越えるために必要なマインドについては、これまでの記事で紹介してきた。そして、その困難を克服した時の喜びも紹介してきた。

 その上で、貴方に問う。それでも英語を話せるようになりたいですか? 英語の音声練習を始めますか?

 「えーと、考えてみます」「その件は、会議で議論して〜」と答えた貴方は、OUT‼️


 議論をいくら重ねても、英語を話せるようにはならない。それはこれまでの日本社会を見ていれば分かることだ。だからこそ、私は「初めて」文部科学省の方針(=実用英語を小学校から強制する)を支持しているのである(まあ、経済界からの圧力が背景にあるらしいが😅)。

 英会話スクールに通うだけでは、英語を話せるようにならない。それは、巷に乱立する英会話スクールの数と、日本社会にいるEnglish speakerの数を比べてみれば分かることだ。

 結局は自分で「聞く・話す」練習をするしかないのである。行動あるのみだ。


 「頭では何となく必要性を理解している」が「結局始められない」ことを行動につなげるためには、頭で考えていてはダメなのだ。言い訳の数が増えるだけである。

 そうではなくて、どうしても英語を話せるようになりたい、という強烈な目的意識(恋愛感情がベスト😍)をもつ一方で、できない・悔しい・(できる人が)妬ましいというネガティブな感情と素直に向き合うことが大切だ。
 もっと端的に言えば、理性ではなく感情によって強引に行動にうつす必要がある。

 私の記事の愛読者は、本記事を読んで、「あれ、何かいつもとトーンが違うな🤔」と感じたかもしれない。構成は論理的に考えているが、文章に感情がダダ漏れである。何? いつもとあまり変わらない?😅😅
 このくらい感情に身を委ねないと、音声練習は始められないし、続けられないのだ😝。

 英語は感情とシンクロした言語であり、自分の素直な感情を表現できる。だからこそ、英語のessayでは感情を抑えて書くことが要求されるし、そのように訓練される。よく「英語は日本語よりも論理的な言語」と言われるが、それはwritten Englishの話であって、spoken Englishの基本(debate、presentationなどを除く)ではない。
 
 感情的になることは、英語の音声練習としては悪くないのだ。実際、English speakerとして覚醒した直後の私は、感情を素直に表現することによって生徒にドン引きされた(最大の理由は、もちろん英語をペラペラ話していたこと)😅。

 これに対して、日本社会では感情を素直に表現することが、しばしば悪だと捉えられる(捉えられていた)。英語を話すために必要なのは、自分の感情とシンクロする英語表現を探し続けることなのに😅。

 私は、「英語はなぜ難しいか?」シリーズを通じて、英語を聞く・話すの初手が封じられている、という視点を示してきた。
 英語という「奇声」が飛んできたら、怖くて逃げてしまう。これでは会話はおろか、listeningさえ始まらない。
 英語の発音練習をしていれば、「ダラシない顔」と笑われ、おかしなことに一生懸命になる奴だと思われる。練習を始めること自体に勇気が必要になる。
 やっと英語を話せるようになったかと思えば、「英語だけできても仕方ない」などの雑音が耳に入る。かと思えば、「感覚で英語を捉えている」などと言われることもある。その通りなのだが、理論を感覚に落とし込むまで、反復演習を続けた結果である😅。

 このような「初めから無理ゲー」状態を克服するためには、強烈なマインドセットが必要だ。
 極端な話、「音感がある」「絶対に指導に従う」という2条件さえ揃えば、200時間前後で日本人に英語を「話せる」ようにすることも、理論上は可能だ(今回、新しく調べてきました)。
 英会話スクールなどの広告で目にする、「3ヶ月で英語ペラペラ」という謳い文句は、完全に嘘という訳ではない(好意的解釈😍)。

 ・・・、

 ・・・。

 本記事を読んできた貴方には、この「理論上」というのがいかに虚しいか分かるだろう。日本人が英語を話せない、より正確に言えば「話そうと思えない」のは、心理的な要因が圧倒的に大きい。そこを無視して理想論を述べても無意味だ。

 学習者自身が、自らと向き合って音声練習を続けるしかないのだ。いくら理論を捏ねてもムダなのである。「理論大国」である日本。そのこと自体は素晴らしいし、実際、キリスト教の研究も相当進んでいる(そうだ)。
 もちろん、英語の「研究」も進んでいる。私が、「日本の(かつての)英語教育は評論家育成」と述べたのも、この辺りの事情を指している。

 で? その結果として、貴方は英語を「使える」ようになりましたか?

 いわゆる「英語の勉強」では英語を使えるようにならないのは、他人に指定された表現を話そう・書こうとしているからである。
 そうではなく、自分の話したい・書きたい内容を(知らなければ、調べて)話す・書くことが大切だ。active learningですな🤗。


 そして、恋人とコミュニケーションをとるために英語の音声練習をしたいというような、幸せ(イイなぁ😻😻)な環境にでもいない限り、音声練習の大半はネガティブな感情と向き合うことになる。

 聞けない・話せないという負の感情を抱きつつ、音声練習をダラダラ続け(皆さんには、短期間で集中して行うことをお勧めする😅)、諦めかけたとき(私の場合は諦めていた訳だが 笑)、突然激しい怒りとともにEnglish speakerは目覚める(私は、リアルに脳内でブチっという音が響いた)。
 なお、「激しい怒り」は私の場合は嘘🤣で、実際はコチラ ↓ の曲(韓国語version)を練習していた。


 経験者は語る。本当に「英語を話せる」ようになる瞬間は、ある日突然やってくる。必死で歌を練習している途中とかね🤣。数千時間かけて練習してきたことなのに、達成の瞬間は一瞬だ。その一瞬は、それまでの数千時間の苦しい道のりを補って余りある一瞬だ。


 この辺りで、サムネの意味がお分かり頂けただろう。そう、まるでスーパーサイヤ人に覚醒した瞬間の、孫悟空 ↓ のようだ。

 この後、無敵(自分の思いが全て英語となって口から出る)の時間を2週間程過ごした後、English speakerの第一次(?)全盛期は終わる(早っ😱)。
 そう、English speakerになった後も、紆余曲折を経て成長(退化しながら)を続けるのだ。

 だって、日本語話者もそうでしょ? 貴方はいつ、「日本語を話せる」ようになりましたか? 正確に言えば、当たり前のように日本語を「話そうと思える」ようになったのはいつ頃ですか?
 個人差はあるが、遅くても小学校低学年には日本語を話すようになっているだろう。英語を話す(多くの日本人にとって、必要なのは技術ではなくマインドセット)ようになったというのは、それと同じことなのである。



⑦English speakerに対する誤解

 ところが、この点も日本社会では誤解されている。多くの日本人は自分の日本語力が維持されるのは当たり前で、少しずつ成長するのも当たり前だと感じている。それは、日々日本語に触れている結果だというのに😅😅。
 結果として、英語のspeakingも、一度身につければ何でもできると何となく思っている。まあ、覚醒直後の私も、そういう全能感に浸っていた訳だが😝。
 その上、先述の通り、「話せる」と「会話できる」が混同されており、「英語を話す=英会話」という謎の図式が成立しているため、ビックリするようなことを言われることもある。「英語が話せるようになったんですか。なら、英会話の指導もできますね」とかね😅。コッチが指導してほしいわ!
 
 手に入れたspeaking abilityが明らかに退化していくのを、必死で喰い止めようとする。同時にEnglish speakerに対する無理解・誤解を必死で解こうとする(この記事を書くとかね😝)。
 あと10年もすれば、日本社会にEnglish speakerが溢れる、という妄想を拠り所(現在の高校生を見ていると、かなり確率は高いと思うが)にしてみても、今度は自分自身が彼らに英語力で遅れをとる(若い人には勝てません😭😭😭)未来が容易に想像できてしまう。


 
 本記事の締めくくりに、English speakerの第一次全盛期が終わった理由を、私なりに考察する。せっかく手に入れた英語力なのだから、なるべく維持したまま練習を続けたいものだ😅。皆さんがEnglish speakerとして覚醒し、第一次全盛期を充分に楽しんだら(マジで幸せだった😍😍)、下記のような要因にお気をつけください。


・使用言語が英語に限定されなくなる

 「自分の思いが全て英語となって口から出る」とは、言い換えれば「英語でしか自分の思いが述べられない」ということである。
 日本語に触れ、自らも日本語の練習(笑)を続けているうちに、日本語がメイン言語になっていく(戻っていく)。
 溜まりに溜まった英語表現(自分の中に既に知識としてあった)が出尽くせば、すぐに普通のサイヤ人(それでも地球人よりは強いが🤣)に逆戻りである。


・英語を話すことに抵抗感を覚えるようになる

 当初こそ、自分の思いのまま英語を話しているが、そのうちに相手の冷ややかな or ドン引きした態度に嫌でも気付いてしまう。または、相手の理解度に合わせた英語を話そうとする。
 そうすると、相手に100%全力の英語をぶつけるのはマズいなと感じるようになり、英語を話す自分にブレーキをかけるのが癖になってしまう。

 いわゆる、「英語特区」や「社内公用語の英語化」というのは、「英語を安心して使える」空間を確保する意図だと思う。
 まあ、今度は、英語を使えない人達はどうするのか問題が発生する訳だが😰。
 English divide(本記事で既出)は、今後の日本社会が避けて通れない問題だと考える。


・英語を話すこと自体が「悪」

 日本社会で英語を披露すると、しばしばマイナスの反応が飛んでくる(本記事で既出)。かつての自分もそのような反応を示していたのであり、いまさら文句を言う訳にはいかないのだが😱。
 今後の日本社会が向き合う(向き合ってほしい)問題だろう。

 という訳で、今回はここまでだ。新しいことを始めるためには、始めようという強烈な感情に身を委ねるしかない。See you‼️

考えるな!
行動せよ!
 

 


 



 






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