あまのじゃく。そんな私は法学部生。
私はあまのじゃくだ。多数派がAだと主張したらBのことも検討しないとと言ってしまう。もちろんAがよくないと思っているわけではないが、このままAでとなるとBはどうなるんだ、と思ってしまって。
好きな武将が宇喜多秀家や真田昌幸、上杉景勝であることがそれを象徴している気がする。よくよく考えると皆最期は少し不憫な人たち。なんとなくそういった人に同情してしまうのだ。
選挙速報もそう。支持政党うんぬんは別に惨敗しそうな候補者を見るとなんかもう少しぐらい票あげてやってもいいんじゃないとちょっぴり感じてしまう。
まあ、損な性格ではあるかもしれない。下級生をぱしりにすることは絶対しないが、上司や先生といった力をもった人には間違ったことがあれば盾突くのでお上からの評価は良くなるわけがない。
また、友人がすごいでしょと言えばいやでもここは~だからもっと頑張らないとと言い、ダメだったと言えば次があるから頑張ろうと言う。
もちろん自分として非の打ち所が一切なくすごいと思ったことは、ただただ人を批判したいわけではないから、すごい!って言ってるつもりだ。しかし、ほんとたまにではなかなか気持ちが伝わらないじゃないか、と思う。だから、気を付けるようにはしている。自分の中ではすごいとおもった上で、でも~は頑張らないとねと言ってるつもりだが、口に出さないと他の人には伝わらないから。
そんな私は多分無意識のうちにものごとのバランスを取りたくなってしまうのだと思う。そして、そのために弱者の方に力を貸したくなる。すでに強い方にはたとえ賛成していても強くは肩入れしたくなくなる。
うん、その点法学部は私に合っていたと思う。法律は多面的にものごとを考えた上で作られている。一つの面だけ見て作られることはない。
具体的には民法の虚偽表示とか※。虚偽表示において第三者は通常保護されるが、そのことについて知っていたら保護されないみたいな。第三者の動的安全の保護と静的安全の保護という相反する概念のバランスを絶妙に維持している。
法学部の人は学生全体でみるとバランスが取れていると思う。世間的には多数派のAを主張する人もいれば、少数派のBを主張する人もいる。なかなか偏ることはない。だから、逆張り気味の私も居心地がよい。
ゼミで議論していても、もちろん反対はされど、頭がくるってる奴とまで見られることはない。そして、「反対はされど」とは書いたが、あくまで反対であり、根拠なき批判ではないから建設的な議論であり、私の発言に興味なければ反対されないから、反応があるということは素直にうれしい。そもそも「異論認めず!」であるのなら、それは自分に気持ちの良い情報のみに浸りきっているのであり、片方に偏重していると変わりない。それはバランスがとれているとは言えない。
だらーっと思いつきで書いてみたが、案外法学部はだれでもウェルカムな学部かもしれない。どんな考え方をもっていてもそれに社会的相当性がある限り、論拠なき一方的否定はされることはない。
また、思考の面だけでなく、法曹志望の少し地味な人からインカレサークルでわいわいやってる人までいろんな人が法学部にはいる。個人の尊重(13条)を説く憲法を学ぶ法学部生だから、相手のテリトリーに過干渉することはない。そんな法学部が私は好きである、まあ。
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