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痛みを伴う教訓

痛みを伴わない教訓には意義がない
人は何かの犠牲なしに何も得ることなどできないのだから

しかしそれを乗り越え自分のものにした時………
人は何にも代えがたい鋼の心を手に入れるだろう

鋼の錬金術師 27巻より

入職してはや一ヶ月。まだ研修中の身。

患者さんの移乗にて、細かいけれど大事なところをいつも忘れてしまう。
先輩に見てもらって、後で毎回注意を受けるけれど、またその時になると注意すべきところが飛んでしまう。

教育係の人とその件についてじっくり話し合ったんだけど、その次の日にまた同じミスを繰り返してしまって、流石に悔しくてたまらなかった。
でも、その次の日は初めからミスをせず移乗することが出来た。

これは大したことじゃないけど、「精神的な痛み」ってただ辛いだけのものではなくて、同じミスを繰り返さないために必要なものなんだろうね。
だからといって、誰かを故意に傷つけるのは絶対ダメだけど。

もがきながらでもいい。怒りっぽくても泣き虫でもいい。
格好悪くても踏ん張って生きろ。
そんなことを鋼錬から学んだ10年。

聖書にも痛みを伴う教訓は多い。実習でも、嫌になるほど自分の弱さからくる痛みを経験してきた。今でもその痛みは蘇ってくる。

神様なんでなの!?
なんで私をこんな風に作ったの?生きづらいよ!!
どうしてもこうなるんだよ!治せないよ!我慢、忍耐で乗り切れないよ!

こんな思いを何度も経験し、祈ってきた。
まだ治せていない弱点、答えが聞けていないものもある。
これからの人生で、痛みの先にあるものに気付けますように。

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