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"働くニート"になっていないか?

【まちづくりシンポジウム2019魚津】という会に参加してきました。
大学教授、市長、商工会議所会頭といった面々が集まり人口減にまつわる課題や対策、各々が取り組んでいる実例の報告をする会だ。
前半は教授が指揮を取り、情報の提示を行い、後半はプレゼンテーションとパネルディスカッションをして共通課題に対しての考えを多方面から考える時間という進行。

いわゆる"お堅い大人の会議"という場に顔を出してきました。
今回はここでの話をまとめてみます。

人口減の対策は節約
人口は2割ずつ減っていく。
止めることはできないのが現実だ。
減っても良いという状況を生み出すことが今は求められている。

人口減で公共施設の維持ができない。
その為に節約をしようという話をされた。
・広域でシェアする
・民間運営で利益を出す
・統合して稼働率をあげる
ザックリとこんなことをやっているという実例がでてきた。
よくよく考えれば大型病院や大きな体育館が各市町村に1つずつ必要かと問われたらそうは言えない。
近くにあれば便利だが、稼働率が悪くて赤字を出しているものも多い。
魚津で言えば巨大な公園と水族館だったり、大きな体育館がそうだ。

人口増で公共施設を建設している時代は雇用を生み、経済が循環していただろうが、今の時代はハコモノは大きな負債をかかえる要因にもなっている。
これらをどうしていくのか。
その決定権は行政だけのものではなくなっている。
ひとつの町の行政だけではなく、広域で考え、民間や新たな仕組み等、多角的に考えて打開策を考えていかなければならい。
そういったメッセージを感じさせる実例集だった。

財源不足で最も深刻なのはインフラ整備だ。
皆んなにとっての"目的が無くても必要なもの"を整えるお金が必要だと話していた。
道路や水道管といった類のものを維持できなくなると大問題だという。
インフラ維持ができないと実質的に破綻する。
道路が乱れれば周りとのつながりが消える。
孤立化すれば救いは無くなる。

ここの部分だけは何があっても守るという話をした後、後半のプレゼンとパネルディスカッションに続く。

決定権の在り処
プレゼンは大きく3つの方向で行われた。
・行政側の意見は魚津市長さん
・民間の意見は商工会議所の会頭さん
・若き意見は仕掛けづくりをする企業さん
内容は現在動いているプランと過去の実例をまとめたものです。
短期的なものもあれば長期的に継続している事業もあります。
効果性は高いけど、継続性の無いものもありました。
都心の二番煎じのような事業も地方ではよくある話です。

その中で僕が感じた違和感。
それは"決定権の在り処"が無いこと。
行政は直接的に民間を支援することはできない。
民間は事業と市の問題の連携ができていない。
新たな事業は一部の人間とだけ進めている。
課題解決に向けて一貫性の無い事業をバラバラに行っているのが現状であり、参画する人間が少ない。
そうなってしまっている原因は決定権の在り処にあると感じた。

例えば、新規プロジェクトで魚津市にある巨大な公園の利活用を促す企画があった。
その事業の運営者は行政が選出し、運営は民間が中心となって動く。
人材の決定権は行政にあるが運営の方針は民間にある。
フェアなように見えるが、行政がすることはここまでで終わりなのです。
①魚津市の課題の在り処を出す
②人材の選出を行う
つまり、ここで行政の仕事が終わってしまうのです。
民間が結果を出せば御の字。
出なければ次へ。
この構図がずっと変わっていない。
企画がズルズルと長引くことで難病の公共施設が取り返しのつかない状況になることが続いている。
その結果の今だ。

僕が言う"決定権の在り処が無い"とは終わりを告げる人材がいないこと。
軌道に乗った時に民間に移行することを告げる人材がいない。
軌道に乗らなかった時は、
行政の金銭的支援が無くなるか、民間企業の体力が無くなった時に自然消滅的に終わってしまう。

ジャッジは誰が下すのか。
会社経営の場合、そこは最高責任者がするだろう。
行政も民間も市民も全ての人に決定権はある。
それが僕たちのまちづくり。
果たして、初まりと終わりのジャッジは誰が下すのだろうか。

質問
まちづくりシンポジウム。
前半の教授の話にひとつツッコミたかったことがある。お堅い会議の中、重役に目をつけられるのが嫌で質問ができなかった。
何かしらのアクションがあったら嬉しい。

"人口が減っても良いようにする"というのが目的だと聞いたのですが、
「節約以外のやり方は無いのでしょうか。」

働くニートの隠れた生産性
「生産性をあげる」ことが可能だと思った。
労働時間を増やせとか、最先端の技術の導入をしましょうとか、そういう話ではない。

1つ、仮説を立てました。
それは、多くの人間は"働くニート"なのだということです。実務をキッチリこなし、利益を生み出す人間はいます。
しかし、まちづくりに関しては別。
仕事をしていても、まちづくりニートは大勢いるように思う。
今回のプレゼンを聞く限り、指名した団体や、一部の人間へまちづくりを任せてしまっているように感じた。
そこそこの結果が出たことの良し悪しはどうだっていい。
重要なのは、まちづくりに対して住民がどう変化しているか。どれだけの人を巻きこみ、変化の波を届け、その結果がどうなったかだ。

新しいアクションを起こすことは良い。
そのアクションで人を巻きこみ、流れを大きくすることを忘れなければ。
心が動いた人がすぐに参画できるような仕掛けをつくり、小さなアクションを繰り返していくことでしか変化の波は生まれない。
インフルエンサー的な存在を待つのは大間違いだ。

この町には隠れた生産力が眠っている。
"働くニートのエネルギー"を引き出すことがまちづくりには必要だと思う。

仕組みと構図の調整
声高にまちづくりをしましょうというと聞こえが良くない。
少なからず皆、より良い暮らしを望んでいるし、実行している。核となるのはガイドラインを基にした仕組みと構図だ。

どこに課題があるか。
どう運営するのか。
どこが判断をするのか。
どうやったらやれるのか。

右向け右のやり方は反感を買う。
トップダウンのデザインは旧式の異物でしかない。

課題を見つけるのは行政が得意な分野。
財布を握って勘定するのが得意なのは民間の得意な分野。
実行に移して人を巻きこむのは若者の得意な分野。
この得意不得意を認識した上で、自分の立ち位置を決めると良い。

どこの場面で自分が機能するかを見つけないと対立構造ができてしまう。
例えば、
・課題を認識できてないままアクションを起こす若者の元にはお金が回ってこない。
・アクションを起こす若者のプランに水を差すおじさんがいたら中途半端に終わってしまう。
・勘定ありきで実行しても効果は薄い。
こういった状況がスピードを失う原因になっている。

得意不得意の分野が違うことを理解し、仕組みと構図を変えていくことが求められていると僕は思う。
事業プランよりもここの問題の解決が先だ。
誰もが参画できる仕組みを考え、事業構図をデザインする。 そこに価値がある。

できることをやる
得意不得意の分野が理解できたら仕事の再分配をすることが必須になる。
特に"まちづくり"は金にならないという人には理解してほしい部分だ。
突貫工事の事業は中身が無いことが多い。
にぎわい作りという名の集客数にのみ焦点を当てた事業は県外への外注費用をだだ漏れに使って後には何も残らないことが多い。
よくよく考えてみてほしい。
課題発見と勘定が得意な行政が利益の確保を考えたところでたかが知れている。
利益の確保が得意なのは命懸けの民間企業だ。

下手に全員が参画する必要はない。
役割を理解して行動していくことで結果は出る。

働くニートの稼働率を上げる
時折不思議なことが起きる。
外から見たら素晴らしいと思えることが中に住む住民からしたら迷惑に思われているという状況だ。
どうしてそうなるのか。
答えはシンプル。"他人事だから"

外注の外注に仕事を委託してそこに"自分事"としての仕事は生まれるのでしょうか。
その仕事を見て、住民は自分事として捉えられるでしょうか。
そんな当たり前のことが抜けていることが多い。

ここに隠れたエネルギーの発掘が求められる。
先にあげた"働くニート"にヒントがあると僕は思っている。
皆、より良く暮らしたい心を持っているが、参画できない状況になっているのです。
住民は自分たちが叶えたい理想を持っているが故に、外部の動きに違和感を感じ、関心を無くしてしまうのだろう。
隠れたエネルギーを引き出して生産性をあげる。
そこに人口減を打開する可能性を感じています。

さっさと外注の外注を辞めて、内にあるエネルギーを掘り起こす方向へシフトしよう。

まとめ
①課題を知る
②課題を共有する
③役割を把握する
④できることをやる
⑤内を見て掘り起こす

初めてシンポジウムという場にいってみて、色んなメモを取りました。
何が正解かはわからないですが、当事者としておもしろい動きができる人が隠れていることはわかりました。
僕もその1人でありたい。
流れを変える人間が潜んでいるように感じた1日でした。
中身の無いまちづくりに逃げないで。
本心で動く人たちが集まればなんとでもなる。

そこに光を当てるまちづくりになりますように。

#まちづくり #魚津 #シンポジウム #隠れニート #働くニート

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