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子育てに"あがり"があっただなんて!!父にも教えてあげよう。


世間知らずのいい加減ちゃんで、赤いスカイラインに乗っていた私は25歳の時に両親の反対を押し切り、結婚して大阪から仙台へ移住した。

その後約30年間、父は遠くで暮らす私の事をいつも心配をしている。

「甘やかすだけ甘やかして、お見合い、お見合い、言うて、お金の稼ぎ方ひとつ教えてくれへんかったやん」

「会社の一つも私にくれとったら、今ごろ億万長者やったのに」

五十路娘のそんな言いたい放題も、笑ってながす父である。

つい昨日もコロナワクチンの副反応を心配して電話をしてきた。

そもそもあの時反対したといっても、結婚式も挙げさせてもらったし

夫に「よろしく」と、頭だって下げてくれた。


大阪へ逃げ帰るようなことは絶対しないし

子育てだってちゃんと最後までひとりでできるもん

それは私から父への祈り。


それでその、子育ての最後ってのはいつなん?



今、兼ねてから念願だった家族全員で暮らしている

次男とワンコと3人で暮らしていた時よりも家事が増えて結構大変ではあるが

離れて暮らしていると連絡無精な夫や長男の安否確認が

普通にいつもできているのが良い。

ノーストレス。

それでも

登山へ行く長男が10kgを超えるリュックを背負って出かけた週末は

日に何度も確認する登山用保険の捜索専用相談窓口の電話番号

胃がギューっとなる

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「なぁなぁ、母さんがここまで苦労して凄い大事に育ててきたのに、山から落ちたらどうしよう」

「母さん助けに行けないんやんかなぁ〜」

たまらず次男に愚痴る。

次男はしたり顔で

「母さんよ、あなたが頑張って守ってきた彼の命、好きなように使わせてあげてください」


えっ‥そんなオチやったん‥


どこへ行く時も、肌身離さず抱っこ紐で体に縛り付けていた。国道沿いを歩いていると大型トラックが地響きを立てて側を通る。驚いた息子は小さな手でギュッとしがみついてきた。その丸くて柔らかな背中に手のひらを回してさすり、トントントンと叩いて、ぷっくりした頬を覗き込んだ

生まれ育った街から遠く、あの時感じたのは幸福感だけじゃない

もう戻れない
恐怖にも似た葛藤と不安感と切なさを飲み込んだ27年前を覚えてる。


したり顔の次男様のひと言で
女の魔法から目醒めました。

私は自由







#一人じゃ気づけなかったこと

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