![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/60911533/rectangle_large_type_2_6632fbdb2ed29e8a1bedea5c81da65e8.jpg?width=1200)
子育てに"あがり"があっただなんて!!父にも教えてあげよう。
世間知らずのいい加減ちゃんで、赤いスカイラインに乗っていた私は25歳の時に両親の反対を押し切り、結婚して大阪から仙台へ移住した。
その後約30年間、父は遠くで暮らす私の事をいつも心配をしている。
「甘やかすだけ甘やかして、お見合い、お見合い、言うて、お金の稼ぎ方ひとつ教えてくれへんかったやん」
「会社の一つも私にくれとったら、今ごろ億万長者やったのに」
五十路娘のそんな言いたい放題も、笑ってながす父である。
つい昨日もコロナワクチンの副反応を心配して電話をしてきた。
そもそもあの時反対したといっても、結婚式も挙げさせてもらったし
夫に「よろしく」と、頭だって下げてくれた。
大阪へ逃げ帰るようなことは絶対しないし
子育てだってちゃんと最後までひとりでできるもん
それは私から父への祈り。
それでその、子育ての最後ってのはいつなん?
今、兼ねてから念願だった家族全員で暮らしている
次男とワンコと3人で暮らしていた時よりも家事が増えて結構大変ではあるが
離れて暮らしていると連絡無精な夫や長男の安否確認が
普通にいつもできているのが良い。
ノーストレス。
それでも
登山へ行く長男が10kgを超えるリュックを背負って出かけた週末は
日に何度も確認する登山用保険の捜索専用相談窓口の電話番号
胃がギューっとなる
「なぁなぁ、母さんがここまで苦労して凄い大事に育ててきたのに、山から落ちたらどうしよう」
「母さん助けに行けないんやんかなぁ〜」
たまらず次男に愚痴る。
次男はしたり顔で
「母さんよ、あなたが頑張って守ってきた彼の命、好きなように使わせてあげてください」
えっ‥そんなオチやったん‥
どこへ行く時も、肌身離さず抱っこ紐で体に縛り付けていた。国道沿いを歩いていると大型トラックが地響きを立てて側を通る。驚いた息子は小さな手でギュッとしがみついてきた。その丸くて柔らかな背中に手のひらを回してさすり、トントントンと叩いて、ぷっくりした頬を覗き込んだ
生まれ育った街から遠く、あの時感じたのは幸福感だけじゃない
もう戻れない
恐怖にも似た葛藤と不安感と切なさを飲み込んだ27年前を覚えてる。
したり顔の次男様のひと言で
女の魔法から目醒めました。
私は自由
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?