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アメリカの大学、日本の大学

 学生時代に家庭教師のアルバイトをしていた時、教えていた小学生から「東大とハーバードってどっちが難しいの?」と聞かれたことがある。
 その瞬間、ある時飛行機に乗っていて、隣とその向こうに座っていた親子のことを思い出してしまった。

 その時は、子供が父親に、窓を指さして、「どうして空は青いの?」と尋ねていた。正確な内容は覚えていないが、父親は困ったような雰囲気を出しながらも、何かしら答えていたと思う。少なくとも「青色の波長の領域の光は他の色よりも拡散しやすくて・・・」ではなかった。

 まだ4、5歳の子供に純粋な科学的な説明をしようとしても、それほど意味はないとは思う。そうではなくて、たとえその場で光に対する正確な知識がなかったとしても、子供の問いにきちんと向き合うということが大切なのだろう。

 翻って、小学5年生の子供が日本と海外の大学の入学難易度を尋ねてきたとき、どのように答えればよいのだろうか。
 その時の自分は、アメリカの大学は、学力というよりも、高校までにどのように優れた実績を残してきたかが重要だ、という話を耳にしたことがあったため、とっさに「入学者の選び方が違うから、比べられないかな」と答えた。

 それはそれで一つの解なのだろうとは思うが、あまりにもストレートすぎたのだろうか。もう少したとえを言ってみるなどしてもよかったのかもしれない。たとえば、「君は学校で、勉強で1番になるのと競走で1番になるのはどっちが難しいと思う?その人の経験や環境にもよるし、どのような機会が与えられてきたかってことも関係あるんじゃないかな」、とか。

 たぶん、その子は「アメリカの大学も日本と同じような入試制度があって、そのうえで東大とハーバードではどちらの試験問題のほうが難しいのか」という前提で問いかけてきたのだろう。そういう意味では、そもそも前提が違う。

 自分が日々疑問に思うことについて、そもそも前提が違うということもきっとあると思う。今の自分には家庭教師はいないから、常に自分の中に家庭教師を作って問いかけていく、そういう心がけが大切だと思わされる一件だった。

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