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今年を振り返ってみると休養の年でした

今年は定期的に投稿しよう!と意気込んで始まった1年でしたが、あまり投稿できませんでした。

子供のころから色々なことがあり、数年前心も体も限界を迎え、自分なりに休養しているつもりでした。
それでも完全に休むことは許されず、私にとって死がゴールで、死ぬために頑張る日々でした。
なぜか私は、死ねないのは「許されないから」、罪を償うために生きているという思いが漠然とありました。
だけど、その思いがおかしいと思う自分もいて、自分が嫌だと感じること、怖いと思うことにかかわることを極力減らし、自分を労わるよう心掛けました。
結果、子供のころから期待も望みも持たないよう、自分を殺し、人に合わせて生きてきすぎたため、自分のことなのに何もわからないことに気づけました。
痛いと思ったら我慢できない。
辛いと認識したら耐えられない。
だから、感情に蓋をして、もう一人の私に誤魔化してもらっていました。

今年の春に交通事故に遭いました。
車同士の事故で、赤信号を無視して交差点に侵入してきた車にぶつけられ、私の車は横転し、廃車になりました。
事故の規模に対し、入院することもなく、比較的軽症で済みましたが、通院で夏と秋が終わりました。

私には介護している母がいます。
母は養母ですが、noteでは「母」と記載しています。
母は今、特別養護老人ホームにお世話になっていて、病院の通院など細々としたことのみを対応していました。
でも、交通事故の通院を優先したいので、お金を払って施設の方に通院の付き添いを代わってもらいました。
母の通院がなくなり、正直ホッとしました。
まだ、色々なことに向き合えないし、消化しきれていないので、何に病んでいるかは文字にはできませんが、母が私のトラウマスイッチになっています。
母にとって私がトラウマスイッチになっているように。

まだ文字にできないことが多すぎて、曖昧な文章になってしまいました。

今も、母への差し入れや母分の養父の相続(養父の死後5年経ちます)が終わっていないため、母の後見人となる弁護士さんとの連絡等、心が休まらいことが続いています。
ですが、母の通院を代わってもらって初めて、自分にとって想像以上に母とかかわることが辛かったのだと認識できました。
もちろん、彼女に愛情がないわけではありません。
ただ、母を通して、父の親族にされた怖い記憶を思い出してしまうのです。
今もうまく息ができないことがありますが、母と距離を置けたことで、前ほど息ができないことがなくなりました。
いいのか悪いのか、交通事故で通院することになり外出することもできるようになりましたし。
というわけで、本当の意味での休養はまだできないですが、初めて自分の心に寄り添えた一年だった気がします。

いつか、母に成年後見人を付けたわけなども書ければと思いますが、
とりあえず、食べて美味しかったものや手作りの料理を書けたらいいなと思います。

では、来年が今年よりももっと、素敵な1年になりますように!




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