見出し画像

写真部と強制フラッシュとジンギスカンの話

高校生の時に美術部に入った。幼少期の頃から絵を書くのが好きで、とりわけ、植物を細部まで描くのが好きだった。小学校のうちは、随分と大きな賞をいくつかもらって、学校を早退して大きな表彰式に出るようなこともあった。なんの制約もなくのびのびと描いて、それで褒められていたのだから、たいそう面白かったのだと思う。

高学年になってバスケットボールを始めてから、絵からはなんとなく遠ざかってしまったので、高校でちゃんと美術部に入って、油絵というものを描いてみたいと思ったのだ。


当初のモチベーションは、美術部に入って3日目くらいでくじけた。完全に先生とウマが合わなかったし、指導の仕方も気にくわなかった(偉そうな高校生だったんです)。3ヶ月くらいして、最初の油絵が完成しそうな時に、先生が横から手を出して勝手に色を足されてしまったので、それ以来、美術部には行かなくなった(頑固な高校生だったんです)。

美術からまた遠ざかってしまった私は、それでもアートと呼ばれる分野が好きなことに変わりはなかった。高校生の時にHIROMIXの写真集をみて衝撃を受けて以来、大学生になったら写真をやろうと決心した。


めでたく大学生になって、サークル勧誘が始まってからは、私は一目散に写真部を目指した。この年は入部する一年生が多くて、すぐに気の合う友達もできた。モノクロ写真の現像方法の流れを一通り覚えてからは、暗室に一人で入って自分だけで自由に現像ができるのが、とても嬉しかった。

深夜に暗室を予約しておいて、全暗の中でフィルムをリールで巻くのも好きだったし、印画紙を現像液に入れたり取り出したりして、タイマーとにらめっこしているのも好きだった。バライタの現像も楽しかったし、それなりモノクロ写真の作業には興味があったけれども、どういうわけだか、モノクロ写真はぜんぜん好きになれなかった。

そのうちモノクロ写真を撮ることを完全にやめて、私はカラー写真ばっかりを撮るようになった。私が好きな写真家は、みんなカラーだったし、その方が断然楽しかった。

写真部では自然や動物をテーマに撮る人が多い中で、HIROMIX好きの私が撮るのは、ほとんどが人物のスナップ。酔っ払って寝込んでいる友人とか、深夜の公園で花火をしているところとか、若さゆえの、訳わからないくらいの派手なファッション写真とか。太陽光でも撮っていたけれど、強制フラッシュで撮るのも好きだった。


写真部には年に2回の合宿があった。山の中にある青年の家みたいなところで、一泊二日で滞在して、お互いの写真を批評し合うというものだった。

モノクロ写真が中心の作品の中で、カラーばかりの私の写真は異色だったし、飲んでる時のふざけたスナップ写真みたいなのばかりなのだから、褒められることなんてほとんどなかった。

一人ずつ前に出て作品の意図とか話さなければいけないのも苦痛で、写真なんていう感覚的なものを言葉で説明するのもなんとも滑稽な気がした。

20人ほどいる写真部全員に「うーん…」という顔をされているのもいたたまれないし、あれこれダメだしされるのも嫌だった。「ただのスナップだよね」とか、「フラッシュは普通使わないものだ」とか、なんとか。ただのサークル活動なんだから全てを自由にやりたかったし、自分の写真を誰かに好きになってもらわなくても別にいいやと思っていた。

その反面、自分がやりたいことが一生このまま誰にも理解されないのかもしれない、とか、評価してくれる人があってこその作品だ、とか、ぞっとするような恐ろしさみたいなものもあった。


魔の批評会が終わると、合宿所での夜ご飯は決まってジンギスカンだった。ジンギスカンは羊肉の焼肉のようなもので、私はこの合宿で初めて食べるものだった。何名かずつのグループに分かれて、ジンギスカンの鉄板を囲んで、じゃんじゃんお肉を焼いていく。

お肉はラムなのかマトンなのか、よく分からなかったけれども、直径10センチほどの円形になっていてお皿に山盛りにされていて、大学生が束になってかかっても食べきれないほど、いつも大量の肉が準備されていた。クセがあるからと先輩に言われていたけれども、ぜんぜん気にならなくて、合宿の中で唯一気に入ったものだった。

そのうち、写真部にいた大学院生の男と付き合って、余計に写真部に行くのが面倒になった。サークル自体が、何かの守らなければならない決まりごとの象徴みたいな気がして、何をしても監視されているようで、疲れてしまう。せっかく一人暮らしになったのだから、自分が決めた自分だけのルールを尊重して生きていたかった。


何の因果か、私は社会人になってからも、写真を撮って、文章を書く仕事を続けている。子供の時のような全細胞が喜んでいるような自由に表現する感覚と、物心ついてからの何をしても認められない感じは、なんとなくセットになっている。

諦めたり逆らったり、時には辞めたりしながら、それでも小学生の私が、心の中で踏ん張っているのかもしれない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?