【ボカロ名曲】コバルトメモリーズ/はるまきごはん②
2投稿目。今回は「コバルトメモリーズ」2番の感想を綴っていきたいと思います。ご自分の解釈と比べながら楽しんでいただければ嬉しいです。
間奏の絵です。麦わら帽子をかぶった白髪ちゃんがてくてく歩く姿に、コバルトの空が透けています。揺らめく髪からも少女の透明感が感じられて好きなショットです。
しかし気になるのは何といっても空全体に散りばめられた謎の落下物。前回考察したように作品の背景には戦争がありますから、不穏な感じがします。
ここでYouTubeのコメント欄を読んでいて、「コバルト爆弾」なる核兵器が存在することを知りました。
タイトル「コバルト」の伏線回収ですね。2人の少女の夏の思い出に印象的に描かれる(海や空の)コバルトブルー、背景にある核戦争を暗示する「コバルト爆弾」のダブルミーニングになっているようです。これは震えました。間奏で描かれる落下物も、核爆弾と考えてよさそうです。
核兵器ならば街から人が消えてしまったことにも納得がいきますね。直撃を受けて亡くなったか、放射性物質による汚染から身を守るため避難したか、どちらもありえそうです。
2番が始まります。
夜間に空襲があり、戦火で夜の空が紅色に染まったようです。描かれる時間軸は1番の「数年前のヒットソング」の「数年前」に合致し、この時期に戦争が勃発していたとみて間違いないでしょう。
「メイデ―」は遭難信号(Mayday)、「助けて」という意味なので、「うるさい合図」は空襲警報と考えられます。第二次世界大戦で実際に広島・長崎に投下された原子爆弾は「ピカドン」という俗称がありますが、これは爆弾による閃光と爆音を表すそうです。この閃光が「夜が明けた」に表現されているのでしょう。これだけの描写を三行で簡潔に、リズムにはめてカラッと表現してしまうのが天才ポインツ。また、曲の中で一瞬音が途切れる瞬間が大好きなオタクである私は「夜が明けたよ」で伴奏が消える瞬間をリピートして気持ちよくなっています。
ここの静寂とMVの暗転、一拍のドラムをおいて再び場面は現在に戻ります。「途切れ途切れの歌」が「うるさい合図」と対照的でおしゃれですね。雲に遮られてまばらに見える空の青色を「途切れ途切れの空」と表現するテクニックはとても新鮮な感じがします。
調べたんですが「サイダー」ってれっきとした夏の季語らしいです。小学生の夏休みのようなあどけなさと爽やかさ、日が落ちる前のセンチメンタルな感情が曲とMVから伝わってきます。
続く記述は意味深ですね…。何をわかっていて、なぜ「秘密」にしたままなのか。
今まで白髪ちゃんと呼んできましたが、銀髪ちゃんだったようです。銀髪に透ける落陽が「時を告げた」という記述ですが、素直に取ると日没の「時刻」を気づかせたという意味でしょう。
しかし銀髪ちゃん、MVでは線だけになって文字通り透けてるんですよね。おまけに時々揺らいで姿がぼやけています。これは記憶の中にいるという暗示じゃないかな、と思います。後々分かることですが、おそらくもう銀髪ちゃんは黒髪ちゃんの隣にはいません(亡くなっているのか別の原因なのかはまだ分かりませんが)。記憶の中の綺麗な銀髪に、もうここにはいないんだな、と「時間の経過」を気づかされたという意味で「時を告げた」と書いていたのなら、すごく面白いなと思います。
MVで夕焼けが描かれています。日本では、偏西風の影響で西から東に雲が移動するため、西側にきれいに夕焼けが見えると次の日は晴れることが多いそうです。(MVわりと雲多い気がすることには目をつぶります)
ここで注目しなければいけないのは「気がしていた」という言葉。英語の仮定法のようなもので、実際にはそうならなかった、ということになります。
ここからは私の想像です。主人公の黒髪ちゃんは、世界が崩壊した後でも、「君」との楽しい日々が続くならそれはそれでいいや、と楽観的に構えていました。これは前記事①でも言及しましたが、前半での主人公は「次の歌はどうしような」などと淡々とした態度でした。しかしこれ、冷静に考えると結構おかしいです。核戦争が起こり街から人が消えた状況で、本当に当たり前のように「次」が来るのでしょうか?
もちろんこれはそんなに甘い物語ではありません。
「歌が続いたら 藍が続いたら」
続かなかったんですね。ここも仮定法です。「君」の笑顔に元気をもらい、盲目的に信じていた「明日」はある日ふと、残酷に奪われてしまいました。「藍」はこの作品のテーマである「青色」に近い表現ですが、二文字なら「青」で収まるはず。わざわざ「藍」としたのは、「愛」とのダブルミーニングではないかと邪推してしまいます。映像で明らかに目の色を青く強調していることから、より自然な目の色に近い「藍」にしたかったのかもしれません。「藍(目の色)が続く」というのは「生き続ける」という意味にも直結するので、「この世界でもし生き残ることができたなら」という悲痛な意味に解釈することもできるなあ…と想像が止まりません。
「世界の果て」がどこを指すのかは分かりませんでした。大きな太陽らしきものが後ろに映っていますが、その他にはなにも描かれていません。ただ、2人はどうやら旅をしていたらしい、ということが分かります。間奏で登場する街がやけに綺麗に残っていたことから考えても、2人は元いた(空襲を受けた)街とは別のところにいるようです。たどり着くことのできなかったその最終目的地、どこだったのか気になります。
思ったより長くなってしまったので今回はここまでとしたいと思います。考察すればするほど深い物語です。はるまきごはん氏の意図から大きく外れて楽しくなっている箇所もあるでしょうが、個人で妄想するのは勝手なので、大いにしゃぶりつくしたいと思います。
まとまった時間ができれば続きを書きたいです。それではご覧いただきありがとうございました!
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