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不味い酒の価値

昨今の日本酒ブームはもうブームという段階を過ぎてもうすっかり定着してきたように感じます。特に首都圏などでは毎日のように何らかの日本酒のイベントが行わレていますし、若い人たちの間でも日本酒を飲むことがすっかり一般的になっています。最近とある酒場で聞いた話だとある若い女性は「自分は日本酒しか飲めない」というような人が出てきているほどです。40を超えたおっさんの私の若い頃とはだいぶ世の中が変わったなと思います。

単にブームというだけではなく、私自身も1人の日本酒ラバーとして毎度お酒を飲んでいて感じますが、近年本当に各蔵さんの努力もあってか(そして方法もかなり標準化されたか)、おいしい日本酒がつくられるようになったと思います。僕らの若い頃は日本酒というとおっちゃんの飲み物で、飲むと悪酔いがして頭が痛くなるからだめ、なんて言われていましたし、実際にちょっとした居酒屋で飲める日本酒はそういう類のものだったと思います。そして当時からおいしいものにこだわって飲んでいた自分としては、こうゆうおいしくないお酒は、なんて嫌でだめな存在なんだろうかというふうに思っていました。

歳をとったこともありますが、最近日本酒好きが高じすぎて、あらかた知られているような銘柄を飲み尽くしてしまい、そのさきに呑平としてたどり着いたのは、特別な銘柄ではなく自分が普段から簡単に手に入れられるようないつでも買えるお酒を日常的に楽しむということです。歳をとって味に対する寛容性も増したということもありますが、最近はスーパーやコンビニで買えるような酒も割合好んで飲むことがあります。そこでも一般に日本酒の味が良くなってるなとは思うのですが、あわせて1つ気づいたことがありました。

それは、「お酒がおいしすぎるのも問題なんだ」ということです。言わずもがな、おいしいお酒だとたくさん飲んでしまいますし、二日酔いしないようなお酒ならなお酒量が増えます。そしてこれで安いとなればなおのことです。

一方でまずいお酒はたくさん飲もうという気にならないし、後で二日酔いでひどい目に合うとわかっていれば、自然に抑制される気がします。毒の本体である摂取アルコール量は良い酒でも悪い酒でも変わらないわけです。

そんなことを思った時にふとこの、「不味い酒の価値」について気づいたのです。お酒は不味い位でちょうど良いのかもしれません。特に安い酒は。

僕がこの話をわざわざ取り上げたのは、このことが何もお酒の話だけではなくて世の中に対して一定の真理を伝えている気がするからです。つまり見た目に美しく、なすべき理想である安くておいしいお酒のような人に喜ばれることを目指すことだけが世の中を良くするわけではないということに気づいたのです。

不味い酒が存在することが世の中をかえってうまく回すということも大いにあるのだとふと最近気づいたという話でした。 

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