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明日の朝になったなら #3

深夜3時

部屋は薄暗闇に包まれていた。全てのものが仄暗い景色に映り、穏やかな沈黙が二人の周りを漂っていた。
そんな暗闇の中で、彼は私の手を握り続けていた。愛おしそうに、離さないと言わんばかりに。
私は彼の厚い手に挟まれながら、手の甲を通じて伝わる温もりを味わっていた。手の力を抜き、彼の好きなままにさせてあげた。
「あったかいなぁ」
「そうだね。ハルくんもあったかいよ」
すっかり二人分の体温がこもった布団の中は、寝袋のように温かった。私が身を寄せると、彼も近付いて身を寄せてくる。これ以上寄れなくても、ぐいぐいと身体を寄せていく。
「ねぇ、ナッちゃん」
「ん?なぁに?」
密着する私に、彼は声をかけた。彼の方を向くと、彼は優しく手を伸ばし、また頭を撫でた。
そして、小さく口を開いた。
「俺はナッちゃんと出会えて、凄く凄く凄く、幸せなんだ。何度も言うけど、何度でも言うつもり」
「そうなの?なら何回でも聞くよ」
私は目を閉じて、彼の手を握りながら身体を彼に傾ける。のしっと乗せると、彼の温かさが半身に届く。
「本当に。ナッちゃんと出会って、初めて何かを大切にすることの尊さを知ったから」
「え?」
彼が言った言葉。それはこれまで一度も、口にしたことがない言葉。私は手を止めて彼の顔を見た。薄暗い中で、彼は天井をぼんやりと見つめている。
「逆を言えば、ナッちゃんと出会うまで、俺は誰も大切に出来なかったんだ」
「そうなの…?」
「うん。昔は今みたいに優しくはなれなかったよ。ひどい人だった」
彼が打ち明けていく、自身の曇った過去。

人を傷付けてきたこと、
人から奪ってしまったこと、
人を騙し続けてきたこと、
何も守れなかったこと、
自分の手で泣かせた人を、見てきたこと。

「…言わなきゃよかったかな?」
全てを語り終えた彼は、虚空にぽつんと吐き捨てた。声には荷が降りたような軽さがあったが、決して楽になったとはとれなかった。
「ナッちゃん、やっぱ寝な。こんな時間になってまでこんな話、聞くんじゃなかったね」
彼は私を払いのけるような言い方でベッドに戻るように言った。
「え、やだよ」
私は離れるつもりはない。
「ホントに。寝て」
「い、や、だ」
私ははっきりとした口調で彼に言った。彼は溜め息をついて目を逸らした。
「そんなこと聞いたら、離れられないよ」
「離れて欲しいわけじゃないよ。寝て欲しいの。俺の話を聞いたせいで寝不足になられちゃ、俺はイヤなんだよ」
彼は言った。私への気遣いがこもった言葉。
しかし私に離れる気はない。
「明日は休みだからいいの」
私は言うと、彼の半身に抱き付いた。
「…なんだよ?」
彼が動かずにそう言う。
「今夜は絶対、離れない。必ずハルくんを寝かすから」
「そうですか…」
彼は私に布団をかけて、再び天井を見た。時計の秒針のテンポだけが、この部屋に響いている。
「ねぇ、ハルくん」
私は彼に声をかける。
「何?」
「あの話、何で今日まで言わなかったの?」
私は彼が打ち明けた話について訊いた。
「言ったら、ナッちゃんびっくりしちゃうと思って。あとは自分としても、蓋をしておきたいことだったから」
彼は肩を落とし、寂しそうな声で答えた。
「こんなひどい人間だってこと、知ったら一緒にいてくれなくなっちゃうと思ったら、怖くて…」
私はそれを聞いて、彼のパジャマの腰回りを強く掴んだ。私の中で、何かぐるぐるとした悔しさが渦巻いていたから。
「どうしたの?」
彼がそんな私を見て言った。
私も口を開く。
「ひどいよ…本当にひどいよ…」
「…そうでしょう?」
「私にも言えないことだったの…?言ったら私が拒絶するとでも思ったの…?」
「…え?」
絞り出すように話す私に彼は驚いて、ぼそっと声を漏らした。
「私たち、今まで本音隠さずにいたじゃん。なんで言わないのよ…」
「悲しませたくなくて…」
「悲しませたくない…?私はハルくんがその気持ちを言えずにいたことが、悲しいよ?」
私は彼の肩に顔を落として震えた。大好きな人が抱えているものに気が付けなかったことへの不甲斐なさがあって、寒くてたまらなかった。
「ごめん。ずっと言えなくて…」
私からずり落ちた毛布を、彼がまたかけ直す。しかし、心身をかぶせる寒気は止むことがなく、私の心身を凍えさせていた。

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