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隠し子(一部分・2)

日が沈み、帳が降りた街の中を、義也と契は並んで歩いていた。建ち並ぶ建物の群れは電灯によりラメのように輝き、眩しさを見せつけている。
頬を割かんばかりに吹く風が、契と義也の間を通り抜ける。制服をすり抜けて素肌に張り付く冷気に、契は思わず身を震わせた。
「さぶぅ…」
「俺の着る?…とは言えねぇや」
義也はもっと悲惨だった。茶色のロングコートを脱いでしまえば、下にはTシャツしか残っていない。義也もポケットに手を突っ込み、白い息を吹かしている。
「風邪ひいちゃわない?」
「着の身着のまま逃げたからなぁ…。あとで着替えもらわなきゃ」
「逃げてたって、何があったの?」
トンネルに差し掛かったところで、契は義也に話の続きを訊ねた。
「家族とかなーり揉めてさぁ。親父に出てけ!って怒鳴られたから、望み通り出て行ってやったわけさ。二度と帰ってやるものか」
義也は苛立ちを込めた口調でそう答えた。波長の合わない父親の顔を思い出すと、さらに表情が強ばる。やり場のない不満を、溜め息に変えて体外に追い出す。
契はそんな義也が心配だった。これまで自分の家族の愚痴を話したことはあったが、義也の家族のことはあまり聞いたことがなかったため、義也がそんな状態に追われている事が驚きだった。
「初めて知った…。そんなことがあったなんて…」
「んなこと、わざわざ誰かに言えねぇよ」
「ごめん…」
「チギちゃんは悪くないよ」
仄暗い歩道の中で、義也の微笑む顔が見える。契は悴んだ両手に吐息を当てて、擦る。
義也は顔を上げ、真っ黒な夜空に散らばる星を眺めていた。スパンコールのような星の点々たちが、黄金色の輝きを放っている。
「てことは、家はどうしてるの?」
「爺ちゃんの家に行ってる。家事を手伝う条件にね」
「それなら良かった〜。この寒い中外で寝てるのかと思ったよ〜」
「チギちゃん…流石に俺もそこまで無策じゃねぇよ〜」
懐かしい義也のノリに、契は嬉しくてはっきりとした笑顔を作る。義也の横顔は、最後に見た時よりも、生き生きとしていたから。
「これからどうするの?」
「私はこのまま電車乗るよ。ヨシくんは?」
「俺はチギちゃんの一個前の駅で降りるの」
田町駅のプラットホーム。定期券を通して一番線に入ると、閑散とした空気が出迎えていた。蛍光灯が二列に並び、ぼんやりと幽霊のように灯っている。
次の到着時間までは、五分ほど余裕があった。
「誰もいないね」
「この時間帯はこんな感じだよ」
「へぇ〜。そうなんだ」
二人は四つ置かれているベンチの真ん中に座った。外気で冷やされた座部は、二人の足腰を鋭く冷やし、鳥肌を巡らせた。
「さっむ〜い…」
「一月から急に冷え込んだよな〜」
二人は電車を待っていた。二人だけのプラットホームは、不気味なほどに静寂。お互いの呼吸音さえも、鼓膜が拾えるほど。
義也はコートのポケットから、音楽プレイヤーを取り出してイヤホンを耳に着けた。そしてそのまま、音楽の世界へと入っていった。
契は義也の横顔を見ていた。小さくリズムを取っている義也を見ながら、彼はどんな曲を聴いているのか妄想していた。
(変わらないな…ヨシくんは)
しばらく見つめていると、義也と目が合った。目と目が重なった時、契は不覚にもドキッとした「何か」を覚えた。
「どった?」
片耳のイヤホンを外した義也がきょとんとした顔になる。
「いや、なんでもないよ」
「そっか」
再びイヤホンを耳にはめ直す義也。その横顔を見つめる契の胸は、何故か軽やかにとくとくと鳴っていた。
何がそうさせるのか、まだ自覚しないまま。
やがて、遠くからカランコロンと踏切が鳴り、黄色いライトを光らせた電車がホームへゆっくりと音を立てて近付いてきた。
三両編成の銀の車体に青色のラインが入った小ぶりな電車。しかし、これまで台風に遭っても運休したことがないほどのタフさを持っている。
電車の接近に気が付いた義也は、イヤホンを両耳から離した。
「二人で乗るのは久しぶりだね」
「そうだね。いつからだろうな、チギちゃんと乗らなくなったの」
「確か二学期の真ん中辺りかな?その頃は私も部活が忙しくてね」
「俺は何してたか憶えてねぇや」
乗り込み口から先頭車両に乗り込むと、家路を辿る途中であるスーツの人や、違う高校の学生、同じような髪型の高齢者たちがいた。
「あっち空いてるよ。座っといで」
義也がドアに近い席が空なのを見つけて、契に声をかけた。
「え?ヨシくんはいいの?」
「俺は立つの慣れてっから、いいよ」
譲ろうとする契に、義也は優しく言った。
「いいの?なら、座るね」
そう言って契は座席へと向かい、腰を下ろした。
義也は運転席側の隅に寄りかかり、右手で吊り革を掴み、さっきと同じようにイヤホンを着けた。契はまたしても、義也の姿を眺めていた。コートのポケットに両手を突っ込み、足をクロスさせて目を閉じている。心地よさそうな、しかしどこか寂しげな顔をしていた。
契にはこの車内の中で、義也だけが他の乗客とは違うように映っていた。他の乗客が「帰る人」であるとするなら、義也は「旅人」のようだった。
しばらく揺られて、義也の降りる駅に到着した。
「ヨシくん、着いたよ」
契は立ち上がり、義也の肩を叩いて起こした。義也はすぐに目を覚まし、電車が到着したことに気がついた。
「ありがと。それじゃまたね〜」
義也は軽やかな足取りで電車から降り、暗闇の中へと消えていった。
そして車内には、契とその他の乗客だけになった。
一人取り残された契は、鏡に化けた窓に映る自分の姿を見ていた。
小ぶりな顔の上に黒のボブヘアが乗り、細身の身体を紺色の制服が包む。他に知っている女子生徒と比べると、契は平均的な女の子だった。
次の駅で降りる。
契はひとつ息を零す。さっきまで隣にいた大きな存在感が、いつの間にか静まり失せてしまった。
(あの町に住んでるのかな…?)
流れていく夜景に義也の顔を思い返しながら、契は電車に揺られていた。

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