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翔流の「そういう…、関係だったのか!」@9

(遅刻しましたっ!アイッ!💦)

どうも。翔流ですっ。
いやぁ結構書けずにすみませんでした(・・;)
久しぶり?の『翔流の「そういう…、関係だったのか!」』ですね。
楽しみにしてた方、しばらく書けずにすみませんでした💦😣

ということで、今回@9と次回@10に関しては、金曜&日曜の二本立てにしようと思います!
そして、このシリーズは@10をもって、毎週金曜日から不定期更新🆙に変更しますっ。
理由としては、個人的な理由になってしまって申し訳ないのですが、大学生活で忙しく、定期的に休むくらいなら書ける時に書くのがいいなって思ったのと、18日からは新連載も始まるので、それに合わせようと思った辺りですね。

このシリーズを気に入ってくださっている方には申し訳ないですが、シリーズ自体は続いていくかと思いますので、よろしくお願いしますっ。
一応このシリーズ、3月1日から始まってるからそう考えると結構続きましたよね…?(10個で止めといて何言ってんだ)

それはそうとして、今回と次回はともに取材で持ち帰ってきた鎌倉関係のお話になりますっ。
もし興味があるって方は、どうぞっ。


第9回目【鎌倉と文学者の関係】


このまえのGWのこと。
私は小説の取材ということで鎌倉を訪れましたっ
美味しい食べ物、綺麗な景色、様々な濃い歴史など、話し出せば止まらないほどでしたっ(^_^)

さて、今回はそんな鎌倉についてのお話。

鎌倉と言って思いつくものといえば、やっぱり源頼朝が天下にいた鎌倉幕府や鎌倉時代、それに関して「いざ鎌倉」なんてあるかもしれませんね。

私も鶴岡八幡宮に行き、当時の都があった日のことを想像したりしていました。

ですが、私からすれば鎌倉は、歴史の街でもあり、文学の街でもあるんですよねっ。
今回は、鎌倉とそこで様々な世界を書き造った文学者たちと、鎌倉との関係をご紹介しましょうっ!

まず一人目は、皆様ご存知芥川龍之介
彼は大正5年11月に鎌倉由比ヶ浜の海浜ホテル隣の野間西洋洗濯店の離れに翌6年9月まで下宿していました。(今はそのホテルないけど)

彼は東京帝国大学(今の東大)英吉利文学科卒業した後、『芋粥』(阿蘭陀書房)という小説を「新小説」という雑誌に発表して作家デビューするとと同時に横須賀の海軍機関学校教授嘱託、英語の先生になっていて、そこから横須賀の学校に通うために、鎌倉に来たというわけですっ。

2年後の大正7年に、奥さんの塚本文(芥川文)と結婚し、2月に鎌倉八幡前の家などを見に行ったそうです。
この頃に鎌倉で新居を探していて、八幡宮があった鎌倉大町の小山別邸に転居します。芥川はこの時期に結婚して鎌倉に住んでいたそう。

鎌倉に住んでいた頃の芥川龍之介はすごく明るかったそうで、友達に送った手紙では、このように書いています。

これから鎌倉はいい。平地からだんだん高いところへ移っていった春が今は山々の上にある。新緑という語では言い足りない複雑な光沢のある若葉がどの山にもいっぱいになっている。そうしてその上で時鳥(ほととぎす)が啼く

芥川龍之介の手紙


続いて二人目は、与謝野晶子

『君死にたまふことなかれ』などの詩や短歌で知られる与謝野晶子も、鎌倉との関係がある人物として知られていますっ。

鎌倉の大仏でお馴染みの高徳院では、与謝野晶子の歌碑(短歌が彫られた石碑)がありますっ。

かまくらや御ほとけなれど釈迦牟尼は 美男におはす夏木立かな 晶子

与謝野晶子

私は高徳院には行きましたが、この石碑があることは知りませんでした❣️😱

また、碑の左側面には「鎌倉大仏造立七〇〇年記念奉賛 昭和二十七年四月 味の素株式会社」と刻まれ、右側面には歌のローマ字綴りと、英訳、更に英文の建碑由来が刻まれていて、この歌は歌集「恋衣」に収められているそうですっ。


三人目は、中原中也

詩集『山羊の歌』『在りし日の歌』などで知られる、現在でも人気の高い詩人ですっ。

「え?中原中也も鎌倉なの?」と思った方、中原中也も鎌倉と関係の深い文学者ですよっ!

彼は1936年11月に長男・文也を2歳で亡くし、異常なほどの悲しみに取り憑かれていました。
そして、翌37年に息子との思い出がある東京を離れて、友人の小林秀雄や大岡昇平といった文学者が集まる鎌倉に転居しました。

そこで静かな暮らしを送った後、小林秀雄に第二詩集『在りし日の歌』の清書原稿を託し、わずか30年の短い人生に幕を下ろしています。
中也にとって鎌倉は、人生のフィナーレを迎えた地であり、きっと生きていたら、鎌倉の地で編まれた第三詩集もあったんだろうなって、空を見上げてしまいましたっ。


そういう…、関係だったのか!(°o°  )

《〜今日のまとめ〜》

・鎌倉には、たくさんの文学者が集まっていたとわかった。

・文学者にとって、鎌倉は思い出の地であることがわかった。

・鎌倉、みんなも行こう!(宣伝)


というわけで、今回はこんな感じとなりますっ。この頃記事が雑になってしまって、どうしたもんかなと思っているあたりですが、その分無理せずに更新🆙を続けていきたいと思いますっ。

というわけで、今回はこの辺で。
それでは皆様、また次回!^ ^


《おまけ》

今回調べるのに参考にさせていただいた記事はこちら!ありがとうございました!

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