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私と場面緘黙症〜中2編〜

 これまでの人生で、1番しんどかったのがこの年かもしれません。

 1学期は、まだ良かったです。担任の先生とも信頼しあっていた…と思います。3日連続で休むことがあったこと以外は大丈夫でした。

 夏休み、私の入っていた卓球部で、それまではすごく楽しかったのに、私が行けなくなるという事態が起こります。顧問の先生も、部活の友達も、みんな信じられなくなって、嫌いになって、家に閉じこもっていました。

 2学期、部活の友達がクラスに4人もいて、一気に教室が遠ざかりました。学校に行きたいとは、微塵も思わなかったです(そのあと、部活には行けるようになります)。

 そこに現れたのが、小学校と中学校の間、協働棟にある図書室です。誰も使っていなくて、その年から、学校に行けない子のために開けていたのでした。通称ホットルームです。朝から遅刻して、保健室にいた日、ちょうど一緒にいた1つ下の子がホットルームに通っていたので、ついでに私も使わせてもらえました。

 ホットルームと出会ってからは、波の大きい日々でした。授業を休みたいとき、ホットルームのみんなに会いたいときは図書室に行きます。そこで絵しりとりとか、紙飛行機とか、何気ない会話をして過ごします。

 そして先生が迎えに来たり、4時間目が終わったりすると(ホットルームは昼前までしか空いていませんでした)、悪夢が始まります。

 ぐいぐい押されて教室に入ると、みんなの視線が、どこに刺さっているのか分からないけど、痛かったです。体育ができなくなったのは、2学期からです。担任の先生が、初めて嫌いになりました(中1のときとは違う先生です)。

 図書室や保健室に行くときは、誰かに言ってから、という決まりでした。でも私は「言え」ないので、書くしかありません。でも、書いてやり過ごしていたら、このまま一生声が出ないままなんじゃないか、と思っていて(今は違います)、書くことや、書けと言ってくる先生に反抗していました。

 3学期になって、反抗は落ち着いたものの、最後の最後でまた怒られ、担任の先生のことは好きになれませんでした。

 そして緊急事態宣言による休校。私にとっては、すごくすごく嬉しかったです。

 8−2で良かったとは思いません。でも、私を良く思わない人もいるんだなと実感できた1年でした。

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