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怖いと言えたら

 怖いと言えたら、どんなに楽だろう。

 私は、怖いものなしじゃない。


 怖いと書くのはなんとかできるけど、人に言うのはなかなかできない。怖いと言うことが、怖い。と言うことが、怖い。と言うことが、怖い。と言うことが…

 なんなら、私は、人より怖いものが多いかもしれない。将来が怖い。過去が襲ってきて怖い。人が怖い。目を見るのが怖い。銀ちゃんが、ニッキッキが、テトちゃんが、いなりちゃんが、おかゆちゃんが、自分の周りの「大切」たちが、いなくなるのが怖い。独りになってしまうのが怖い。何もできなくなるのが怖い。忘れるのが怖い。分からないのが怖い。


 記憶の中では一度だけ、人に自分の声で「怖い」と言ったことがある。高専で作文を読む前日かな、その前の日かな、違う学科の先生のところに行って、作文の練習をして、最後に怖くなって、それをどうにか言おうとして、「自分でやるって決めたのに、」とか、「本番が、」とか、「失敗するのが、」とか、前にたくさん言葉を付け足して、小さく「怖いです」と言った。それ以来ずっと言えてないかも。何がそんなに私を止めるんだろう。何も悪いことしてないよ。

 喜怒哀楽を飲み込んで生活していくうちに、本当に感情がなくなってしまったようだ。喜と楽は最近出てくるようになってきたけど、怒と哀はまだ私の中で息をひそめている。負の感情は、出したって相手に迷惑なだけだとまだ思っている。そんなことないよ、って、何人が言ってくれただろう。「迷惑じゃないよ」「巻き込まれたとか思ってないよ」「相談してくれてありがとう」。全て私に対して誰かが言ってくれた言葉だ。いつになったら、恩返しができるのだろう。

 未だに、人に本音を話すときはどきどきする。焦って、思った通りに話が進まないこともある。でも、私の周りの人はいつまでも待ってくれる。待ってくれるから、考えて、言葉を絞り出す。いくらつっかえてもいい。声が小さくてもいい。聞き取れなかったら、聞き返してくれる。だから、ここまでたくさん話せるようになってきた。


 怖いことも、いつか言えるようになるといい。

 私は、怖いものなしじゃないのだから。

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