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なぜ西洋人と話すと腹立つのか?

私「このビール世界一うまいわぁー!」

西洋人「いや、本当にそうかな?僕はそう思わない。なぜなら・・・」


はぁ!?
西洋人は基本的に自分が常に正しいと思っている。
相手の批判ばっかりして、なんて攻撃的なんだ。
相手がアジア人だから舐めてるのか?

西洋人と日本的なコミュニケーションの感覚で会話すると、腹が立つ。

日本人と会話すれば、

「そうだよねぇー!これどこのビールなの?大阪?最高じゃーん!」

と言った具合に共感してくれるだろう。

一方西洋人は批判的である。

どうやら、コミュニケーションの原則が違うらしい。

彼らのコミュニケーションは弁証法的だ。

弁証法とは、ある命題(テーゼ)と対立関係にある命題(アンチテーゼ)を統合し、より高い次元の命題(ジンテーゼ)を導き出す止揚(アウフヘーベン)の考え方を土台とした思考法。

弁証法の意味合いや成り立ちについては、古代ギリシャの時代からさまざまな哲学者が関わっており諸説あるが、一般的には、ヘーゲルによって体系化されたものを指すことが多い。

弁証法のベースとなる止揚(アウフヘーベン)の考え方のポイントは、対立する二つの命題(テーゼとアンチテーゼ)に優劣があるわけではないということ。片方の命題がもう片方の命題を打ち消すのではなく、統合され進化していくという点にある。

https://mba.globis.ac.jp/about_mba/glossary/detail-20813.html
グロービス経営大学院
 MBA用語集

つまり冒頭の西洋人は、私を無闇に攻撃しているのではなく、私の「このビールは世界一」をテーゼと捉え、「そうは思わない・・・」とアンチテーゼを提示して、なんと会話を続けようとしてくれているのである!

ここで覚えて置きたいのは、

"二つの命題(テーゼとアンチテーゼ)に優劣があるわけではないということ。"

相手は、お前は間違っている!と言っているのではなく、私の発言に対して返事を返しているのに過ぎない。こうやってお互いに意見を出し合って、二人でより高い次元の「ジンテーゼ」に到達し、相互理解するのである。

もちろん西洋人皆がこんな高尚なことを考えて会話しているわけではない。ただ、これが彼らのコミュニケーションスタイルだ。
それを理論的に説明すれば弁証法になるというだけだ。


つまり、冒頭の会話では相手は相手の発言に対してさらなる意見を求めている。ここで気を悪くして意見を言わなければ、相手は肩透かしを食らったように思うだろう。

したがって私はこう返すべきだろう。


私「このビールは世界一うまい!」

西洋人「いや、僕はそう思わない。なぜならBというビールもあるじゃないか」

私「まて、それはエールじゃないか。私が飲んでるこのビールはラガーだ。ラガーの中では世界一うまい。」

西洋人「確かにそうだな。これはラガーの中で一番だ。じゃあ今度は世界一のエールを飲みにいこうぜ!」


これで話にも花が咲いて、仲良くビールをもういっぱい飲むことになるのである。



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