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我慢とわたし
私は我慢を、肯定的な面から捉えていた人間のようだ。
そのことに気づいたのは胆嚢を摘出する手術をした時のことだ。25歳だった。
手術自体は腹腔鏡で、早ければ2〜3日で退院できるというものだった。しかし、私の場合は幼少期に開腹手術をしたことがあったので臓器が癒着している可能性があった。
実際、癒着しているところもあって時間はかかりつつ、無事に手術を終えた。
麻酔が切れ、看護師さんからのGOサインが出てからは、早く回復したいという一心で何度も歩く練習をした。
術後は時間をあけて少しずつご飯を食べても良くなるので、お腹が空いて空いて仕方なかった。ご飯もモリモリ食べまくった。
耐えられない程ではなかったが、今思えば体験したことがない痛みと戦っていた。
すると、とある看護師さんから
「痛みに強い女性ですね」
と思いがけない声をかけられた。
私はこの言葉を、今の今まで「我慢強い女性ですね」 と言われたと思い込んでいた。
さらには、
「我慢強くリハビリしてる自分、なんかイケてんじゃん」
と小躍りしたくなる気持ちになったことを思い出した。本当は苦しかったので、単純に、看護師さんに労われて嬉しかったのだと思う。
私は遺伝的に胆石ができやすかった。
18歳の時に初めて胆石があることが分かり、20代には鉄欠乏性のものではない貧血があることがわかり、幼少期からお世話になっている大学病院で調べてもらって手術に至った。
また手術かぁ〜・・・。
お腹の傷が増えるのかなぁ〜(腹腔鏡はほぼ傷にならない)
正直やらなくていいならやりたくなかった。
3歳の時に小児がんを患い、体のことは人一倍大切にしてきた。どうしたって生まれ持った体質は変えられないんだよなぁ・・・と、やさぐれた。
でも、この年で色んな検査をしてもらえて体のことをまた知ることができるなんてラッキー!
早いうちに一生分の病気をしたと思えばいいじゃないか!と自分を鼓舞して手術に臨んだ。
私は「これを叶えたい」という欲望が強いタイプだ。色々やってみたいことはある。
そんな時はいつも、自分の理想と、体がもつだろうかという現実的な不安がかち合う。
そこと折り合いをつけて自分を楽しませる道を選べるかどうかだ。
話を戻すと、私は「痛みに強い」を「我慢強い」に勝手に置き換え、しかもそのことを喜んでいた。
私は我慢が好きなのだろうか。
我慢のしすぎは健康に良くないように思うけど、我慢を我慢と思っていなかったらやりようもない。どんな時に我慢してたんだろう。
「我慢」とは辞書的には以下の意味を持つらしい。
が‐まん【我慢】 の解説
[名・形動](スル)
1 耐え忍ぶこと。こらえること。辛抱。「彼の仕打ちには―がならない」「ここが―のしどころだ」「痛みを―する」
2 我意を張ること。また、そのさま。強情。「―な彼は…外 (うわべ) では強いて勝手にしろという風を装った」〈漱石・道草〉
3 仏語。我に執着し、我をよりどころとする心から、自分を偉いと思っておごり、他を侮ること。高慢。「汝仏性を見んとおもはば、先づすべからく―を除くべし」〈正法眼蔵・仏性〉
我慢
がまん
サンスクリット語アスミマーナasmimānaの訳語。仏教教義においては、心の傲(おご)りを「慢」と称して煩悩(ぼんのう)の一種に数えているが、それに7種あるという。そのうち、「私は劣れるものより勝(すぐ)れているとか、等しいものと等しいのである」というように「私は……である」と考える心の傲りが狭義の慢であり、「五取蘊(ごしゅうん)(五つの執着の要素)は我(が)あるいは我所(がしょ)からなるものである」と考える心の傲りを我慢と称するのである。
しかし一般には、自己を恃(たの)んで他人を軽んずる意に用いられ、その意味では我執(がしゅう)とほぼ同様の意味である。我執とは、「我ということば」というのが本来の語義で、なにかにつけ「俺(おれ)が俺が」と自己主張してやまない態度をさすのである。仏陀(ぶっだ)は、「人の思いはどこにでも飛んで行くことができる。だが、どこに飛んで行こうとも、自己より愛(いと)しいものをみつけ出すことはできない。それと同じように他の人々にも自己はこよなく愛しい。されば、自己の愛しいことを知るものは、他の人々を害してはならない。」と、自己の立場を止揚(しよう)して他者の立場に転換することを強調したのであるが、これは、「汝(なんじ)の隣人を汝自身を愛するように愛せ」と説いたキリストの精神と相通ずるものである。
なお、我慢の意義は、のちに逆転して、自己主張を抑えることを「我慢する」というに至った。
我慢の「慢」は、心のおごり。
私がリハビリを頑張ったのにはもう一つ理由がある。職場に早く復帰したかったのだ。
休むと迷惑をかけることになると思っていたのだ。
しかし職場の人は早く戻って来いなんて言っていない。私がいなくても世界は動いていくのだ。
体が生まれつき弱いことについて、コンプレックスを抱いていたのかもしれない。このコンプレックスを燃料に、私はがむしゃらに、丈夫な自分をアピールしてきた。
我慢強いのは良いことだ。我慢は格好いい。
あの日病気から立ち直った私は、耐えたことへの賞賛とおごりの紙一重のものを抱えて前に進むことになったのかもしれないなぁと、思う。
小さい頃からたくさんの方々に助けられてきた私は、感謝の気持ちを凌駕するくらい、もう大丈夫な私だと思われたい、安心させたいという気持ちが強かった。
だから「我慢強い」は、私にとって褒め言葉だった。
世の中には、我慢したくてしているのではなく、どうしようもなくそのような状況にいるという方もいるかもしれない。
だからあくまでも私の場合であるが、「我執」があって我慢を選ぶということは多かったんじゃないかなと思う。
一方で私には、我慢しないことで救われた経験がある。
昨年、父が急逝した。
持病を持つ父の体をいつも案じていたが、父は働き者だった。
その父の訃報を聞いたのは、職場の休み時間で、母からの連絡で知った。今でもその時の記憶が脳裏に焼き付いている。
翌日の朝に遠方の実家に着けば良かったので、まずは自分の心を落ち着け、定時まで仕事を全うしようとした。
いつも通りに。
でもトイレでこっそり泣いた。
仕事を終えようやく上司に伝えると、私より先に上司が泣き出した。
私は職場では泣けないと思い淡々と伝えたが、つられて涙が込み上げてきた。
部屋から出て他の皆さんも話を聞いてくれ、抱き寄せてくれる方がいたり、やはり私より泣いている方がいたりして、初めて職場で涙を流した。
自分が思っている以上に、人は優しい。
私は自分で選んで、様々な気持ちを我慢していたんだなぁ〜と知った。
葬式までは気丈に振る舞おうと思ったが、もうそんなことはお構いなしに涙は出る。
家族と号泣し、面白い思い出話になって大笑いし、最も我慢と遠い時間を過ごした。
我慢には、社会生活を円滑にしたり、目標達成の土台になったりと、健康的な面もあるだろう。
腹が立って言ってやりたいことがあったけど我慢したとか、欲しいものがあるからいつもより我慢してお金を使ったとか。
どこか負けず嫌いな面があると、「抱え込まないでね」という言葉で逆に火がついてしまうこと、意地になってしまうこともあったかもしれない。
でも、強情、高慢になってどうすんだい?
と自分に問いたい。
「無理をしないでなまけない 私は弱い人間だ」
と、かの相田みつをは詩にしている。
我慢の裏には、願望がある。
私の家には椿の木があった。
子どもの時、椿の花があまりにも美しいので、目で見た後は落ちている花を拾って髪の毛に飾った。
押し花にして、春も、夏も、秋も、冬も、椿に魅了された。
願望の叶え方が、我慢ひとつにならなければ楽なのかもしれない。
これが我慢とわたしのお話です。
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