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魂のふるえる場所 Ⅱ Ψ ♾ 人々を惹きつける水の力 No.39

世界最大のピラミッドであるメキシコのチョルーラの地下には全長8kmにも及ぶ地下道が発掘され、さらにその奥で驚くべきものが発見されました。

この巨大なピラミッドの地下には、まるでマトリョーシカ(ロシアの入れ子人形)のごとく、時代を遡るようにして何と三重にも古いピラミッドが隠されていたのです。

では、最も内奥の最古のピラミッドが建つ前には、そこに何があったのか?

ハンコック氏はチョルーラ研究の第一人者である考古学者に尋ねました。

すると、

「ここには泉がありました。
泉は冥界への通路を意味します。
儀式を行う場所であると 同時に神聖な場所であったことは確かです。」と、彼は答えました。

あの場所が選ばれたのは 偶然ではありませんでした。これは最初に建てた人物の動機を知る重要な手掛かりに違いありません。世界中に同じ例があるからです。
インドネシアの グヌンパダン遺跡でもピラミッドの中心に聖なる泉がありました。メキシコやインドネシアに限りません。ギザの大ピラミッドの 地下室も同様です。泉がギザ台地の最初の聖地であり、その上にピラミッドが建てられました。
メキシコのテオティワカンの 太陽のピラミッドは洞窟の上にあります。地盤を改良したあとその上にピラミッドを立てました。
いずれもその場所自体が 聖地でした。まず神聖とされる場所が選ばれています。人々が魅力を感じる特別な場所という共通点があります。
     ─グラハム・ハンコック

─ Netflix  ドキュメンタリーシリーズ「太古からの啓示」"混乱の時代の生存者" より─

人々を惹きつける力を持つ場所というものは確かに存在しているようです。

特に聖なる泉、

水はこの世とあの世、物質と霊質の二つの世界を繋ぐ接界にあります。

そして水の力は時代を超えて人々を磁石のように惹きつけます。

それを感知した人々はそこを特別な聖地として大切に敬い、たとえその文明が滅んで一時的に森に呑み込まれたとしても、再び誰かに見つけ出されてそこに別の神殿や寺院が建てられる、そんなことがしばしば起こります。

ナムに導かれたバリ島のグヌン・カウィ遺跡も、そういう場所の一つでした。

王家の陵墓、また仏教僧の修行場跡の石窟群が発掘される以前に、それとは知らずにその場所にバリ・ヒンドゥー寺院が建てられていたのです。

バリ島の嵐の晩に私の身に突然起きた出来事に対して、ナムは後日こんな風に言いました。

『あんな場所に居たのだから、仕方ありません。
グヌン・カウィという所は実に大変な場所なのです。
渦潮の中心の回転を覗き込むのを想像すれば、それに近いかもしれません。』

と、その時の言葉を思い出すだけで、もう吸い込まれそうな眩暈が蘇ってきそうになります。・・・(@_@)💦

遥か古代にあの場所に立った日、
あの忘れられない魂の旅へとナムに導かれたその後に、ナムはこんな話を聞かせてくれました。

『バリ島の人々は聖水を非常に大切にし、水の力や、水がどれほどエネルギーの媒体になるかなど、大昔から熟知していました。
ところが、その水が一巡して最後に辿り着く海に関しては、大きな勘違いをしてしまいました。
善悪、生死といった明快な二元律が風習や伝統の中にしっかりと根づいていたにも関わらず、死を完全に受け容れることが出来ず、恐怖を生み、二元律によるめぐりのバランスを崩してしまったのです。
死者の灰を海に流す風習についても、いつの間にか暗黙のうちに誤解を許し、海は けがれたもの、忌み嫌うべきものという "デマ"が飛ばされました。
けれどこのことがひとたび呪術師たちの口に上ると、バリアン(ホワイトマジシャン)だろうが、リヤック(ブラックマジシャン)だろうが、素直で信心深い島の人々は彼らに逆らうなどとんでもないことであり、鵜呑みにせざるを得ませんでした。
しかし、お葬式を新しい生への出発としてあれほど歓迎して祝うバリの人々が、海を嫌うというのは全く理屈に合いません。
どこかで何かがズレてしまったのです。
死を恐れる者は、生も恐れ、何ものも引き受ける勇気を失います。
こうしたことは歴史上時々起こる酷い過ちです。
残念ながらこれに似たようなことは他の土地でも沢山起こっています。
ですが、ここは力のヘソなのです。
ここでは、このめぐりは繋がらなくてはなりません。』


ナムと出会った頃の私の身近なバリ人たちは本当に心優しくて人懐こい人ばかりでしたが、ただ信じられないかもしれませんが、常夏の島に住んでいながら、子供から大人まで一人残らず海では泳がないばかりか、やむを得ない事情がない限り海には一切近づこうとさえしない人々でした!

バリ人にとって "海" は、私たちが想像する以上に深い意味を持っています。

と言うのも、バリの人々には東西南北とは別に独特の方位観があるからです。

それが、カジャ(山方向)クロッド(海方向)と呼ばれる二方向です。

カジャ(山方向)は聖峰アグン山を望む方角であり、神々の領域、聖なる方向を表すのに対し、クロッド(海方向)はアグン山とは反対の海の方角であり、全てを飲み込む悪の世界、魔物が支配する不浄の方向を表すと言われています。

従ってバリ島の北部では南がカジャ、山の反対側の南部では北がカジャとなり、寺院の向きも、屋敷内の配置も、上座も下座も、社会生活のあらゆる面でこの2つの方位が悉く尊重される環境で代々暮らしてきたのです。

確かに近年のバリ島は長らく観光の島として、観光が貴重な財源にもなっていることもあり、島民にとっては外国人に対して基本ウェルカムには違いありません。が、外国人向けに開放しているのは主に海岸部、つまり彼らにとっては不浄な土地であり、本当に大切にしている聖なる部分 セイクリッドに関してはある意味かなり慎重な面もあります。

古代に何かの理由で封印されてしまった "聖なる山" の水源と、生命のめぐりから切り離されしまった "穢れた海"・・・

この分離に対し、ナムは『歴史上時々起こる酷い過ち』と珍しく強い調子で指摘し、このめぐりは何としても繋げなくてはならないと伝えようとしていました。

水のめぐり、生命のめぐり、生死のめぐりが途切れてしまったことにより、 "聖なる山" の本当の水源も封印され、隠されてしまったというのでしょうか?

あれほどのエネルギーに満ちた土地から湧き出る聖水と、海との繋がりを断ち切って封じ込めてしまうほどの強い想念の力が働いているということなのでしょうか?


『とにかくめぐりを繋げるのを手伝ってくれたら、隠された水源には後で必ず案内するから。』

と、ナムは不思議なやり方でこの言伝 ことづてを一人の少年を通して伝えに来たのです。


つづく

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木倶知のりこ 著書:●絵本『小箱のなかのビッグバン』 *・* ・*●『ナム "RNAM" 時空を超える光と水の旅』

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