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幸せ過ぎると怖くなる

いつからか分からないし覚えてないけど、何となく「幸せである」ことに漠然とした恐怖がある。


なぁ、と思って、書き起こしてみようのnoteです


失ってしまったらとかいつまで続くか分からないからとかそういうのではなくて(最初はそうだったかもしれないけど)、多分自分を誇りに思うことが苦手なせいだなって思っていて、


私に「幸せ」をくれる人は、純粋で、まっすぐで、素直で、すごく綺麗だなって思うのに対して
自分自身のことは、すごく汚くて、面倒くさくて回りくどくて、本当に厄介だなぁって思っているのね


あまりにも眩しすぎて見ていられないというか、本当に汚れた私なんかがこの人と居てもいいのか?ってその人を騙しているような気分になってきて、
幸せであることが怖くて泣いちゃう時がある。


誰かにずっと申し訳ないと思ってる節がある。
過去の自分になのか、綺麗な相手になのか、本当に誰に対してか分からないけど「申し訳ないな」と思う。

逆に、自分をそういう風に思ってるからこそ、自分を安売りしたり偽ったり、蔑ろに扱われたりすることにあまりダメージは受けない。


あと、汚れていない人間なんていないというのは私にとっては机上の空論で、そんなことはないと思う。
汚いものに触れてこなかった人の美しさは、その人の言葉や発想に滲み出るし、滲み出る割にものすごくストレートで真っ直ぐで、それがたまに暴力的な程に強い時がある。


幸せであることを伸び伸びと享受できるようになるにはどうしたらいいんだろうなぁ。
私が考えていることは、きっと相手の人からしてみればすごく失礼だろうし、突き放すような考え方だろうなと思う。


でも、私が私がを誇りに思える為に、1度汚れた私が綺麗になることはできないし、そういったものに触れないで生きてきた人と同じ人間にはなれない



自分なんかが幸せであることが怖い、というのに共感してくださる方がいれば、ご意見きかせてくださいませ🌛


みなさま、良い夜をᜊﬞﬞ 𓈒𓏸

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