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お久しぶりです

ここ最近は、朝一番で書く「大学ノート3ページなぐり書き」で筋トレ熱が放出されている感じだ。昨年の12月中頃から書きはじめてほぼ毎日書いている。大学ノートは3冊目に。ただ思いつくままに文字を並べているようなものなので読み返すことは、ない。何のためにしているかも定かではないが、とにかく続いているし、やめる理由もないので続けてみようかと。これもそのうち飽きるにちがいないのだ。

さて、このnoteも一時は毎日投稿してたのにここ最近は久しぶりな感じになった。あんまり間があくというのも寂しいので。先日参加した『まるネコ堂の文章筋トレ』で書いたものを少し手を入れてここに置くことにする。

<10分>

大根おろし器で指先を切った。右手の親指の先。夕べのことだ。キャベツを千切りにしてた。お好み焼きの準備。慌ててた。見事にスライス。血が出た。バンドエイドを貼った。貼りにくかった。親指の先だから貼りにくかった。バンドエイドを貼ったけど血はすぐににじんできた。貼りなおした。それでもにじむ。また貼りなおす。そのくり返しだった。

夜、妻が顔の右側がしびれると言い出した。見てもわからない。本人がしびれるというのだからしびれるのだろう。右半身はどうだと聞いた。どうもないという。でも心配そうだ。もともと心配性だから。心配に心配がかさなる。明日になったら病院に行ってみるといってそのまま寝た。夜中に凄いイビキをかく。何だかそのせいかなと隣のベッドをのぞき込んだ。

朝、思案に思案を重ねて妻は病院に行った。とりあえず診てもらえば安心だ。特に急を要することはないとのこと。しばらく様子を見て下さいと言われ帰ってきた。

外は小さく細かな雪が降っている。冬だ。

<60分>

ガラス戸を開けるとさっきまで降っていた雪はやんでほんの少しであるが雲間から青空も見えはじめていた。

背中では石油ストーブが相変わらずの勢いで部屋を暖めている。さきほど灯油を満タンにしてきたばかりだからだろうか心なしストーブから吐き出される温風が元気なような気がする。廊下から吹いてくる風のせいだろうか部屋の入口の開き戸が時折ガタゴト揺れている。

昨日ケガした親指の指先に貼ったバンドエイドは一晩で醜く疲れていた。お役御免だ。左手でバンドエイドをむしり取りゴミ箱に捨て新しいのと取り替えた。せっかくよく働いてくれたのにその労をねぎらうこともなくゴミ箱に投げ捨ててしまったのは申し訳なかったなといまこうして書いていておもう。

それにしても妻の様子が大したことがなったのはよかった。もともと大したことはないかも知れないとは思ってはいたがそんなことを口にすればどのようなことになるかはあきらかだったから一瞬大したことはないんじゃと口にしかけたがすぐにゴクリと飲み込んだ。あれは大正解だった。いまにして思えば。よかった。あれでよかった。

大したことがあればあったでそれはそれで大したことではあるのだけれど。大したことはないほうがいいに決まってはいるけれど世の中そんなにうまくはいかないもので。いいことばかりつづくわけはないので。大したことは多かれ少なかれあるにはあるのだ。もうそれは仕方がないことなのだ。

なんてことを妻に言ったとしたらどうなるか。どうなっていたか。言えません。ゼッタイ。倍返し。いや十倍返し。

そんな失敗はこれまでもいやというほど繰り返してきたわけで。痛い目にあってきたわけで。たまたま今回飲み込んだからといってエラそうに書くもんじゃありません。

まぁまぁ長い間、夫婦をやっているとそれなりの出来事があるもので。その出来事というのはある意味ありがたいもので。そんなもろもろの出来事がなくなってしまうと、これまた辛いというか厳しいものです。

意味不明なことを書いているような気がしています。筋トレ、久しぶりなので。そのせいでしょうか。久しぶりのせいにしてしまえばいいのですよね。なかなかいいアイデアだと思います。久しぶりだから。便利です。

でも久しぶりであってもなくてもそんなに変わるものではないです。人間、そんなに変わるもんじゃないです。

まぁ少しずつは変わってはいるのでしょうが。パッと見はわかりませんよね。じわじわだから。変わっているのは。久しぶりに見たら変わっているのでしょうけどね。

何だか久しぶりだから。ほんと文章があらぬ方向で行ってしまいます。困ったもんです。あらぬ方向とはどういうことでしょうか。あらぬ方向とは見当違いな方向という意味だそうですが、そもそも見当などつけて書いているわけではないのであらぬ方向見当違いな方向ということそのものがあらぬ方向見当違いですよね。 1906文字

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