見出し画像

トレーニング、ふりかえり

翌朝、7時。オンラインが終わってから、ずっとどこかで考えている。他のみんなの多くもたぶんそうだろうなと考えながら僕も考えている。なんとも余韻の残る、気持ち引きずるトレーニングに参加したものだと憂鬱になっている。その憂鬱な感じは自分の望んでいたものでもあるわけで。それもこれも含めてとてもおもしろがっている自分がいる。それは確かにそうで。おもしろがっている。その証拠に、こんなふうに、次の日の朝から書いてる。

忘れないうちに出るまま出せるままに書いておこうとおもう。ビデオ録画はまだ届いてない。だから見てない。見るとまたまったくちがうものが出てくるだろうとおもう。ただその前に、自分の記憶をたどり、記憶だけで書いておきたい気がするから。思いつくまま、出るままに。

プロセスって何ですか?第1ラウンド、Aグループの1回目のグループワーク。僕は、サイトーさんに、そう、訊ねたんだった。プロセスって何ですか?

その前に、ぶっきらぼうに「何もない」って応えたんだった。そのあたりでのやりとりを雨宮ちゃんには「コワい」「上から目線だわ」と感じると言われたんだった。

プロセスが何のことをさすかぐらいは、僕だってわかっているつもりだった。でもね。グループの時間がはじまってから、あまりにも他のメンバーが(僕にはそう聞こえた)、プロセス、プロセス、プロセスって、連呼するもんだから。何なんだ、こいつら?っておもったんだ。プロセス、プロセス、って言葉にして口にして、それで見えるもんなんか?見えねーよ!見えるわけないやろ!何を呪文のように唱えてんのよ!意味不明。ぶりぶり。ってそうおもってたところへ、そんなことを考えてた真っ最中に「カエルさん。何かないですか?」ってサイトーさんから投げられたもんだから、ついつい、ぶっきらぼうに「何もない(よ!)」って。よ!ってのは言ってないけど、言ったも同じような言い方をした。すごく不機嫌に(不機嫌だったから)。誰が見たって、聞いたって、コワいよね。笑うわ。子どもみたいな不機嫌さ。昔から変わらない。ジブンだ。いっつもこんなこと、こんなんでやってる気がする。

めっちゃ、おもしろい。いまだからか。そうおもう。愉快。でもね。さぞかし、サイトーさんほか、みなさんには迷惑至極なハナシだったでしょう。緊迫するわな。

サイトーさんが聞きたければ、サイトーさんが聞けば。サイトーさんから、ひと通りプロセスの説明があった後に、サイトーさんが僕に「ケイコちゃんにもプロセスにことについて訊いてみましょうか?(どうですか?)」ってあったとき。ここでも僕は「サイトーさんが訊きたければ訊けば、僕は、僕で、訊きたかったら訊きますから(どうぞお構いなく)」みたいな。なんともみもふたもない大人げない応答をして。せっかくサイトーさんが、プロセスって言葉の解釈は大事だから、この講座の学びの根っこに関わることだから、僕(サイトーさん)だけじゃなく、他の人にも確認してみませんか?と言ってくれたにもかかわらず。僕は自分勝手に「お前が訊きたいんならそうしたらいいじゃないか。俺は、もういいよ。訊いてみたかっただけだから。気が済んだ。だから、もういいよ。それはそうと。他人を使って自分がやりたいことをやるんじゃないよ。俺はそんなことには付き合いたくないんだ。」みたいなことをぐるぐる考えて、せっかくの提案をあんなふうに。だったんだ。

でもね。まぁこのあたりのことはひと晩たったからわかってくることであって、あの時は、わからなかった。

いや、わかっていたかな。言葉にできなかっただけかも。もう、そう、わかってた。薄々感じていた。言葉にするまで、時間かかる。それなりの必要な時間ってあるね。

プロセス追うって、体力も時間もいるね。そうおもう。まじおもう。

沈黙。僕は、沈黙って、とても大事だとおもってて。というか、好きなだけかも知れないけど。大切にしてます。個人の時間なような気がして。グループでいても個人でいられる時間な気がしていて。プロセスってことで言えば、沈黙って、まるごとプロセスやんってさえおもう。第2ラウンドのBグループ1回目の15分の、最後の方で、ほんの一瞬だけど、4人ともに沈黙した場面があった。あの沈黙は、それぞれが自分の内側に向かって何かしてる、問いかけてる、そんな沈黙のように、僕には感じられた。あの時、それぞれが何をおもい考えてたのか。あの時間は、印象的だった。この文章を書いている時点では、まだビデオ確認してない。確認したら、またちがうかもしれない。けどそう。

気持ち悪い。クリティークで、ファシリテータの末松さんが、第1ラウンドと第2ラウンドのテーマのちがいや考えていたことを開示した後で、「というわけで、ごめんなさい。」と言った。その、「ごめんなさい」に強い違和感を感じて。僕は咄嗟に「(それ)気持ち悪い(です)」と声に出してしまった。そしたら、つづけて、末松さんが「人柄です」と応えたんで。さらに追うように「それも気持ち悪い(です)」と返していた。

なんで気持ち悪かったのか。そして、それを言葉に声に出してまで、なぜ表明したかったのか。ずっと考えている。はじめの「ごめんなさい」の気持ち悪さは、どうしてここで謝る、謝られるのだろうか、という違和感だ。謝るというとは、悪いことをしました、という意味になる。何を悪いことをしたのか。(いまこうして書きすすめていくうちにわかりつつあることを)、書いてみよう。

末松さんの説明にもあったとおり、第2ラウンドのテーマは、仕事(目標)を提示し成果を求めているものであった。それだけにコンテントにみなの目が関心がいき、プロセスはいとも簡単に置き去りされやすい。そこをまぁ、末松さんは、狙い定めてテーマを投げたということだ。

そういう意味で「(みなさんには、敢えて、ひと苦労させるようなテーマにしました)ごめんなさい。」だったというわけだ。いま、わかった。いや、マジで。いまごろかい!いまごろです。

しかし、あの時は、これが、わからなかった。いや、わかっていたのかも知れない。わからない。ひと晩たって、時間がたって、こうして書き綴っていることで、見えてきたことでもある。

あの時は、こうだ。なに?ごめんなさい?なんだよ、それ?なにを謝っているんだ?気持ち悪い?操作されてるような、ヘンな、感じがする。わたし(末松さん)の提示したテーマで苦労させましたね。ごめんね。なんだよ!それ!もっと他に言い方あるだろう。俺は嫌いだ。そういうの。バカにされているようだ。「人柄です」なんだよ、それー。人柄って、知らねーよ。やめてくれー。逃げられたー。ちくしょう。悔しいぞ。もういっぺん言ってやる。気持ち悪いんだよ。ったく。・・・という感じでした。プロセス。

あー、すっとした。しかしこれ文字になって残るんのよね。ビデオ録画も残るから難儀やけど。この文字に残るというのも、ある意味、難儀やね。取り扱い注意です。

このふりかえりするはじめの頃にあった憂鬱さは、いまは、すっかり消え去っている。すっきり。

以上。(名前は、すべて仮名)

2919文字

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?