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ジ ャ ン プ で 来 た 。 ~ICEY感想~


ネタバレ無し いたずらプレイヤーがやってきた

人を困らせずに人を困らせた~い!
右往左往する人間を眺めて愉快になりた~い!
ありとあらゆるお約束を破壊する殺戮者(ジェノサイダー)になりた~い!

 こんな魔王級の邪悪な願いが叶う世の中になってしまったのだから、技術の進歩は恐ろしくも喜ばしい。というわけで、今回は2Dアクションゲーム、ICEYを紹介していこう。

 ICEYは、2016年にSteamで発売された2Dアクションゲームである。あらすじはざっと以下の通りだ。

 記憶のないアンドロイド、ICEY。彼女の使命は、街を脅かすユダを打倒すること。道中立ちはだかる刺客を斬り伏せ、コスモシティに平和を取り戻すまでの道行きを、ナビゲーターと共に見守ろう。

 世界観はサイバーパンクで、敵は鋼鉄のロボット、バトルステージも廃棄された工場、綺麗なビル、朽ちゆく劇場と中二心をくすぐる。一概にメカ敵と言えども、無骨な者、シャープなシルエットの者、どこかユーモラスな者まで、多くのバリエーションでウキウキさせてくれる。たまらん。
 中二心と言えば、やはり操作キャラであるICEYのアクションの爽快さ、かっこよさにも触れていきたい。戦闘で得られる経験値で新技を開放、強化することでぐっと戦略の幅が広がる。アクションゲーに苦手意識を持っている自分でも楽しめる工夫が多く、嬉しかった。華奢な女性型でありながら、それをハンデとも思わせないICEYの華麗かつ軽やか、堂々たる戦いぶりには画面越しに惚れ惚れしてしまう。操作しているのが本当に自分か怪しくなる。

 さて、本作のおもしろポイントはこれだけではない。
 何とこのゲーム、ナビゲーターの言うことをガン無視できるのである。
 通常、ナビゲーターとは世界の案内人、標識であり、ストーリーを進める上で従わなければならない存在だ。彼らの言いつけに従うことで、我々は彼らが思い描いたストーリーを彼らが意図した通りに受け取ることができる。
 しかし、我々は好奇心の生き物だ。ダメと言われればやりたくなってしまうし、困ると言われると困らせたくなってしまう。余談だが、これは(学術的な用語ではないが)カリギュラ効果と呼ばれるものだ。
 普段はダメと言われたものには物理的に制約がかかって(何度我々は透明な壁に阻まれてきただろう)いることが多い。当然、ダメなもんはダメなのである。それなりの工程と人員を割いて順路を示しているのに、お前の苦労など知るかと言わんばかりに角からひり出てしまわれては、制作側の苦労も浮かばれないだろう。
 否。しかしだ。ゲームとは、遊びとは、もっと解放されたものでなくてはならない。賽は既に投げられ、覆ることはない。我々の手に渡った時点で、どう享受し、どう向き合い、どう遊び、メッセージをどう解釈するか、それら総てが我々に委ねられている。
 ナビゲーターの言うことに従うのも良いだろう。従う自由を保障するのなら、同じくらい従わない自由だって保障されるべきだ。完成していない橋から落ちる自由も、ジャンプで次のステージに滑り込む自由も、毒沼に沈む自由、グラフィックの追い付いていないステージに乱入する自由、相手を慈しむ自由だって手にできる。やりたい放題やろうではないか。どうせ人生一度きりなのだから。

 好き勝手やる我々を、当然ナビゲーターが黙って見ているはずもない。実際CVが付いている。実に陽気に騒々しく傲慢かつ愚かでそれでも人間らしい彼のセリフに、下野紘さんの見事な好演で色彩が加えられている。さすが鬼滅の刃で我妻善逸を熱演しただけのことはある。すごい。どうなってるんだ。無理せず毎秒叫んでください。

 プレイ時間はEASYで10時間未満だったと思う。何分かなり前のプレイなので覚えていない。コスモシティで英雄になりながら、縦横無尽の大暴れを楽しんで欲しい。

ぶい。




ネタバレアリ 久しく待ちにし

 本作は透明な壁のお約束をぶち壊せるめちゃくちゃなアクションゲーだが、第四の壁までも突き破ってくるはちゃめちゃなメタフィクションマシマシゲーでもある。大好物なので大喜びして遊んだ。

 ナビゲーター、ICEY、そしてプレイヤーの三名は、それぞれ物語を追っていくうちに役割が変わる。ナビゲーターは自らもゲームのキャラであることが判明し、ICEYは自我に目覚め、それによってプレイヤーはICEYの操縦役をお役御免となる。虚構も実像もない交ぜになって物語をなぞっていく様は、まるで舞台の上にいるようだ。ユダが縋った神が、戯曲「黄衣の王」に登場する中心人物(神物か?)であるハスターであるという点にも示唆的なものを感じる。手元に資料がないのでうろ覚えの知識になってしまい恐縮なのだが、彼は祭りを司る神でもあったはずだ。
 神の名は一つではない。聞き取れる範囲で聞き取って地球の発音に近いものに当てはめた結果、ハスターだのニャルラトホテプだのヨグ=ソトースだのシュブ=ニグラスだのクトゥグアだのクトゥルフだのなんだのと呼んでいるだけで、全く正しい呼び名ではないのだ。その上表記揺れも多く、(ニャルラトホテプが分かりやすいか。ニャルラトホテップ、ナイアーラトテップ、ナイアルラトホテップなど様々な表記がある)加えてそれぞれの神の化身もカウントしだすと、大体どこぞの何某ホテプのせいでその数は大きく膨れ上がることになる。各言語を蒐集すれば90億も夢ではないのではないだろうか。

 ユダは永遠の命を望み、老いる体こそ悪だとみなした。とすれば、ユダの配下である中ボス、通常敵たちがロボなのも頷ける。彼らもこのコスモシティにやってきたことで肉体を捨てた(或いは捨てざるを得なかった)のだろう。肉体の”枷”に固執しない道を選んだはずなのに、さらに重苦しい枷に囚われることになったのが何とも皮肉だ。
 その後、未だ不完全なシステムに焦りを抱いたため、ハスターの完全なる顕現とその力による救済を願った。ハスターを呼ぶ為に、神子としてICEYは生み出されたのだ。
 改めて神子の意味について調べてみる。コトバンクの精選版 日本国語大辞典によれば、以下のような説明がある。

しん‐し【神子】〘名〙
① 神に仕え、神楽を奏して神意を慰めたり、神意をうかがって神の託宣を告げたりする人。かんなぎ。みこ。
※和漢三才図会(1712)七「巫(かんなぎ・みこ)神子、和名、加牟奈岐、俗云美古」
② 神の子。また、特にキリストをさしていうこともある。
※泰西国法論(1868)〈津田真道訳〉三「或は神子神孫と称し或は神の名代又代官と称する耳」

コトバンク 精選版 日本国語大辞典 しん‐し【神子】より

 ICEYはI™システムにより作成されたアンドロイドだ。誰かを血縁上の父母とする概念とは無縁だろう。そのためおそらくゲーム中で用いられる神子の意味は①になる。

 なぜICEYはユダを倒さなければならないのだろうか? コスモシティの危機を救うべく、といえば実にヒロイックだが、ゲーム開始時点でICEYはユダから直接危害を加えられたわけでもなんでもない。たまたま刀を背負っていて、たまたまナビゲーターがユダを倒せ! と息巻いていて、たまたまユダまでたどり着けるように導線が敷かれていて、たまたま道中やたらやんのかステップを踏んでくる相手がいて、どうしようもなかったので自衛をし始めただけじゃないか。
 もし、ユダが思い描いたように、今回のICEYが正しく神子であったとするのならば、ユダを殺すことこそが神の意志だったのではないだろうか。何度も失敗し、無残に放り捨てられ、積み上げられたICEYの屍と、ユダ殺しを成し遂げたICEYでは何が違ったのか。プレイヤーの存在である。彼女はプレイヤーが右と言えば右、左と言えば左に動く。操作キャラだから当たり前だといえばそうなのだが、「操作キャラだから」でななく、「彼女が神子だった」としたら? 我々は、何の役を演じさせられている?
 ICEYのボリュームはとてもさっくりしている。慣れればサクサクユダまでたどり着いてコスモシティを救うことができる。正直、このゲームはクリアしてしまえば、路地裏でスコアアタックをするかユダまで一狩り行くくらいしかやることが無いのだ。
  ゲームが購入され、プレイされた時点で、神子は完成し、ユダの永遠の命は確約されたようなものだ。しかしその結末が神子によるユダの殺害で締められ、その上何度も繰り返すのだから何とも世知辛い。これでは逃れたはずの”死の螺旋”から、彼は永遠に抜け出せないままじゃないか。

もろびとこぞりて 迎えまつれ
久しく待ちにし
主は来ませり 主は、主は来ませり

讃美歌「もろびとこぞりて」より

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