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見えないものを見ようとして地雷原ダッシュ16本~Caligula Overdose 感想~


ネタバレ無し 静寂を切り裂いていくつも地獄生まれたよ

 見えないものを見ようとしたがる人間の性は、何も某バンドから始まったことではない。学術的な用語ではないが、このような現象には名前がついている。カリギュラ効果といって、1980年にアメリカで公開された同名の映画に由来するものだ。禁止されればされるほど、人は興味を駆られ見たくなる。身近な例で言うと「続きはCMの後で!」のヤツである。
 その名を冠し、2016年にPSvitaから発売されたのが「Caligula」、追加キャラクター、楽曲、ストーリーを引っ提げてPS4/Swichへ帰ってきたのが本文で紹介したい「Caligula Overdose」である。

 公式HPでは次代の学園ジュブナイルRPGとして、偶像殺し×現代病理がキーワードになっている。ざっとストーリーを紹介しよう。

 意志を持ったバーチャドール(VOCALOIDのようなものだ)の
μ(ミュー)は、現実に苦しむ人々を救うべく仮想空間”メビウス”を作った。メビウスはμの歌に共感した人が呼ばれる世界だ。そこでは誰もが現実の苦悩を忘れた高校生の姿を取って、終わらない学校生活に勤しんでいる。
 とあるきっかけからメビウスの違和感に気づいた主人公は、偽物の生活から抜け出すために、志を同じくする帰宅部へと加入。現実への帰還を果たすべく、μ、そして彼女に曲を提供する「オスティナートの楽士たち」との闘いの日々が始まるのだった。

 現実への帰還を望み集った帰宅部の面々だが、前述した通り、メビウスに存在するということ自体が、現実で苦悩を抱えていた人物の証左に他ならない。
 個別のキャラストーリーでは、彼ら彼女らがひた隠しにした本性や秘密、心の内側に踏み込むか否かを選択することができる。当然、よい事ばかりではない。踏み込んでしまったばかりに、知らずにいればよかった生々しい現実に直面する。正直、かなり重たい。受け入れられないこともあり得る。遠いどこかの架空のキャラクターの間で起こっているフィクションとしてではなく、身近な隣人、今日すれ違った誰か、或いは自分自身が直面している生きづらさ、難しさ、辛さとして身近な(ノン)フィクションが描かれている。
 個別のストーリーだけでなく、彼らの言動や、身にまとう武器「カタルシス・エフェクト」からも彼らの思いや苦悩を読み取ることができる。

 楽士たちもそうだ。μの思想に共感し、主人公たちを阻む立ち位置にあるとはいえ、元をたどれば同じように現実で苦しんできた者たちなのだ。彼らの思いの丈を綴った楽曲たちは、μによって時に愛らしく、時に荒々しく、ある時は妖艶に、または悲しく、歌い上げられる。彼らに対する理解が進んでいくたびに、今まで聞いていたメロディーや歌詞への解釈もがらりと変わる。新たな視点を得て、新しい解釈を得た瞬間の喜びは、考察大好きオタクとして水を得た魚、文献を得たオタクと言った勢いである。
 ちなみに楽士たちの楽曲は、有名なボカロPたちによって作詞作曲され、μ役の上田麗奈さんによって歌われる贅沢な布陣が敷かれている。トドメにボス戦ではバチバチにかっこいいRemixも聞かせてくれる丁寧っぷりで、オタクは五体投地で感謝をささげるほかない。ありがとう。

 「Caligula Overdose」では通常ルートである帰宅部ルートだけではなく、正体を隠して楽士と交流を持ち、選択によっては帰宅部を裏切ることもできる楽士ルートが用意されている。帰宅部のメンバーと同様、楽士たちの心の内側に踏み込むか否か選択することができるわけだ。例に漏れず、重たいストーリーばかりである。

 プレイ時間は(確か)easyで少し丁寧に取り組んで40時間程度である。本筋とキャラストーリーを重点的に追いかけたので、わき道に逸れるのであればもっとかかると思われる。よくセールもやっているので、個人的にはDL版でお得にGETするのがオススメである。


地雷原を爆走するかどうかはプレイヤー次第。精神的な余裕のある時に踏み込もう。

ネタバレアリ 暗闇を照らすような微かな光

  一周目は楽士ルートからの帰宅部ルートを辿り、無事現実への帰還を果たした。出来るだけ全員の親愛度を高め、地雷も踏み抜きに踏み抜いたが、楽士離反後からストーリーに加入する2人の楽士とソーンのストーリーを読破出来なかったことだけが心残りである。
 やはり、Overdoseからの追加組のストーリーが心に残った。一見別の悩みを抱えているように見えて、よく話を聞いていると重なる部分が見つかっていき、一人の人間が浮上する。そんな構成の巧みさに驚かされ、プレイヤーとして遊びながらハラハラドキドキさせられた。

 検索に引っかからないようにぼやかしながら書くが、まさか心の内側へ二度も踏み込むことになるとは思わなんだ。してきたことがしてきたこととはいえ、あのような末路を辿らせてしまうことが正しかったとは言いたくない。とはいえ、そのまま放置しておけば新たな被害者が生まれ続けるだろう。それを思えば、断罪、報いなのだと目を背けることはできる。しかし、それでよかったのだろうか。本当に更生する見込みはなかったのだろうか。そんなことばかり延々と考えてしまう。

 帰宅部の面々だけでなく、楽士たちも選択次第では現実への帰還を目指すようになるのも面白い。辛く苦しい現実に向き合い乗り越えることは、簡単な事ではない。だからこそ、もがきながら”現実”を生きている彼らの姿には胸を打たれる。
 ああ、みんなと会うのが楽しみだ。同じく傷を抱えた同士として、たくさん話して、笑うことが出来たらいい。人生は長い。また蹲ることがあっても、彼らと築いた絆と、交わした言葉が、きっと足元を照らしてくれるだろう。

 梔子……。(限界オタク)

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