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【楽の世】 世間から消えていた日本酒”桶売の蔵”。剣菱仕込みの個性派酒が動き出した

「うちの酒は、どこにも売ってない。毎年秋から春までずっと酒造りをしているのに、地元のお店だってないんです」

──日本酒、「楽の世」。愛知県江南市に居を構える酒蔵「丸井合名会社」の代表銘柄です。しかし長い間、「楽の世」を知る人はほとんどいませんでした。

村瀬幹男さん

──2022年現在、個性的な味わいでファンが急増中の「楽の世」が歩んだ喪失と復活のストーリーを、丸井合名の蔵元兼杜氏である村瀬幹男さんに聞きました。

「桶売の酒蔵」に生まれて

──「桶売(おけうり)」とは、造った酒を自分達で販売せず、別の酒蔵に販売することをいいます。主に、大きな酒蔵が小さな蔵に酒をつくってもらい、自社のラベルを貼って販売するこの仕組みは、昔から存在する「日本酒版OEM」といったところです。

村瀬さんが物心ついたころから、丸井合名は兵庫県にある大手・剣菱酒造の「桶売の蔵」だったそうです。

寛政2年(1790)創業の「丸井合名」。堂々とした町屋造りの建物が目を引きます。

「ようこそ、暑かったでしょう、愛知は特に。県外からいらっしゃった方はみなさんそういいます。え? ああそうそう、このあたりは『村瀬』の表札が多いんですよ。親戚というわけではないのですが、なぜか集中しています。

お水どうぞ。生水、大丈夫ですか? うちの井戸水、なので仕込み水ですね」

かつて存在した酒造組合の名称「愛泉酒造組合」の文字が入った利猪口

「『桶売』は、うちは僕が子どものころからやっていました。ただ、父親の時代は、蔵の主人側は酒造りに口を出さないのが普通でしたから、僕も酒造りの現場は詳しく見ていないです。感覚としては、冬になるとおじさんたちが集団でやってきて、ばばばばばっとお酒を造って、年に何回かタンクローリーがきてお酒を積んでもっていっちゃう。そういう風景です

──その後、地元の高校を出た村瀬さんは「生き物が好きだったから」という理由で海洋大学へ進学。卒業後、剣菱酒造で1年間勤務し、後継として実家へと戻ってきます。

「僕が実家に戻ってきたのは20年くらい前です。ええ、桶売をしていました。もっと以前は他の大手蔵にも出していたみたいですが、僕の頃は剣菱のみになっていました。

ええ、(桶売をする)自分の家がちょっと特殊な酒蔵なんだということはわかっていました。自分たちのブランドのお酒をバンバン造っていくのが本来の姿だとは思いますので…」

酒蔵としての安心と、「楽の世」の喪失

「うちは毎年『但馬杜氏』(兵庫県北部を拠点とする杜氏集団)がきてくれて、僕も彼らからお酒造りを学びました。あとは年に1〜2回、剣菱酒造の先生が酒質の指導にきてくれていましたね。

桶売のいいところは、売り先が決まっていることです。毎年毎年『今期はこの量を造ってほしい』と発注があって、それにあわせて酒造りをするので、売れ残りがでない。販売戦略とかそういうのを考えずに、酒造りにだけ集中することができるんです

──商売としては理想の環境ともいえる桶売システム。反面、自社ブランドが造れないということに対する寂しさもあったといいます。

「忙しく剣菱を造っているうちに『楽の世』を造る余力はなくなっていって、お酒の99.9%は剣菱酒造にいっていました。『楽の世』は限りなく0に近いほどごく少量。親父が近所に直接持って行くくらいなものです。

でもね、やっぱり、お酒を造る以上誰かに飲んでほしいんですよ。

毎年毎年、秋から春までお酒を造っているのに、県内はおろか地元の人すら、うちのお酒を飲んだことがない。知り合いに『おめえんちの酒、一体どこで飲めるんじゃ?』って言われても応えられない。お客さんがきたときに『じゃあ飲みにいきましょう』となっても、自分のお酒を飲ませるお店はどこにもない…。

そういったモヤモヤは、20代のころからずっとありました」

「でも、だからといって桶売をやめようとは思いませんでした。私の性格が保守的なこともあったと思います。

それにやっぱり、僕は経営や営業よりも酒造りが好きなんですよ。酒造りでかかわる微生物の動きも好きで、発酵中のタンクを見ては(ガスが抜けるポコポコなる音を聞いて)『おお、がんばっとるな』って思ったり……そういうのが楽しいんです」

──村瀬さんが剣菱の桶売を続けた約20年。日本酒業界では、十四代や新政など、革新的な酒蔵が続々と登場。「日本酒ブーム」も巻き起こりました。しかし、そのような出来事や、同年代の活躍の様子も、村瀬さんには届きませんでした。

「日本酒業界のことが、本当に他人事だったんですよね。

それこそ若いころは勉強会や交流会に行っていたこともあります。でも、そこで学べるのは鑑評会で賞を獲るようなきれいな『吟醸酒』のことばかり。剣菱の酒造りには関係がありません。

造ったお酒を酒屋さんに出すわけではないから、人脈もできないし、流行の話も入ってこない。賞に出すわけでもないから、他のお酒の評価もわからない……。

完全にガラパゴス状態ですよね。でも、僕としても流行に興味もないし、お酒造りだけをしていてよければそれでいいと思っていました」

──外界から隔離され、お酒造りだけに没頭できる。その20年は村瀬さんにとって、ある意味「心地のいい」集中と停滞の時間だったといえます。

桶売が終わり、「楽の世」の時間が動き出した

──長年続いた剣菱の桶売でしたが、生産量は年々減少。いずれ桶売ができなくなるということは、村瀬さんも肌で感じていました。

「剣菱さんから依頼される量は毎年じりじりと減り続けていましたのでね。ずっと、減るのが基本路線でした。毎年毎年『今年はこの量を造ることができるぞ!』って感じです」

──桶売からの脱却を決意した村瀬さんは2016年、長年眠っていた「楽の世」を復活させることを決めました。ブランドは異なりますが、酒造りのレシピは、長年培った「剣菱仕込み」を貫きます。

うちの酒造りは、剣菱の桶売時代からなにも変わっていません。『熱掛け四段』という造りと、濃い味をダレさせない酸が特徴です。

あとは、できるだけ余計な濾過をしないで、味の要素をお酒に残しています。すごいんですよ、搾りたてってオロナミンCみたいに黄色で、まったくおいしそうじゃない笑。でも、それが落ち着いてくるとうまい。

もともと、この味が好きだったこともありますし、20年間ずっとやっていたことですので」

現在、楽の世が造られているタンク

──はじめて世に出た「楽の世」。慣れない販売活動に苦戦しましたが、当時酒造りに参加していた蔵人さんが東京の酒屋さんに紹介してくれたこともあり、複数の酒屋さんが「楽の世」を取り扱ってくれるようになりました。

時代や流行の影響を受けずに自分の酒造りを続けていたことが、結果として「唯一無二の個性的なお酒」という評価につながったのです。

「(楽の世は)万人受けするお酒じゃないと思うんですよ、絶対に笑 でも、一部の人はハマってくれているという感覚があります。それで、面白いっていって別の人に紹介してくれる、ありがたいことにそういう口コミが続いています」

──以降も、「楽の世」のファンは口コミで徐々に増えていき、最近ではお客さんたちによる「お酒の会」も開かれるようになりました。

2022年に東京で行われた「楽の世の会」の様子

「(お酒の会)こういった交流も、他の蔵の人は20代からやってきたことだと思うのですが、僕は40代でのスタート。そこで会う人や、耳にする声、本当に、何もかもが新鮮でした。僕はこれまで、世界のことを何も知らなかったんだなって。

経営戦略とか今も苦手ですが…でも、飲んでくださる人と会えるようになったことが、僕にとって一番大きな変化です。ずっと自分の中にあった『飲んでもらえないモヤモヤ』が、ようやく解消されました」

今も残る「剣菱」の記憶

今も蔵に眠る「これから剣菱になる」最後のお酒

──2020年、剣菱酒造への桶売の生産は終了しました。蔵にはまだ、熟成中の「これから剣菱になるお酒」の最後のタンクが残っています。

最後の剣菱を造ったときの記録が、そのまま残っている

「昔はそれこそ、何個ものタンクで一斉に造っていたんですよ。でも『楽の世』は少量の造りですので、こんな大きなタンクは必要ありません。昔の設備は、多分もう使われることはないです。

賑やかでしたよ、昔は……うん、寂しい。寂しいですよ」

昔、多くの蔵人の食事を造っていた部屋。「熱燗をやかんでしてね、僕もここで食べてました」と村瀬さん。

「楽の世」は、うちのお酒だ。

──ここでひとつ疑問が浮かびます。「楽の世」は「剣菱の桶売」と同じ造りなのに、なぜ「個性的」な味として評判を得たのか。剣菱との違いはどこにあるのか。村瀬さんに問いかけてみると、しばらく悩んだあとに「わからない」という返事が返ってきました。

「何かを変えているかというと、変えていないんですよ、本当に。でも『剣菱』と『楽の世』が同じかというと、それは違う。

そもそも、剣菱さんは複数のお酒をブレンドして剣菱という商品を造っているんですね。だから、うちは正確には剣菱そのものを造っていたわけではないんです。

もちろん剣菱さんからレシピの指示はありますが、(剣菱とは)造る人も違えば、水も違います。剣菱の先生からも『(ブレンドに幅がでるから)個性を出してくれていい』と言われていました。だから、これまで造っていたお酒は『剣菱になる前の剣菱ではないうちのお酒』ということです。

酒質が似ているという点は、事実です。でも『楽の世』は、うちの蔵で、うちの蔵人が造ったお酒です。それを生で出したり、無濾過にしたり、貯蔵したり、いろいろな方法で出しているのが、僕の造る『楽の世』だと思っています」

蔵の裏側で

──「『楽の世』は、うちのお酒だ」。

村瀬さんの言葉には、20年の酒造りに裏打ちされた自信と、自分の存在を世の中に宣言できる喜びが満ちています。



村瀬さん、ありがとうございました!
数年前の日本酒イベント大塚sake walkで「楽の世」を知り、その個性に惹かれたひとりとして、今回の取材は非常にうれしい時間となりました。これからも、飲みながら応援させていただきます。

※その時の大塚sake walkの様子はこちら!

都内で「楽の世」を購入できる(おすすめの)お店も紹介します!
地酒屋こだま
SAKE STREET

10/1のイベント「日本酒ゴーアラウンド 大阪」に「楽の世」も参加予定です!


もちろん、お酒を飲みます。