和のテイスト

どこにでもあるファミリーマートに、大体どこにでもあろう、「サントリー伊右衛門 京都あったかいほうじ茶」が置いてあった。いや、季節限定商品っぽくもあるフォルムをしている。

ネットで漁ってみたが、冷ほうじ茶が季節限定だの、春ほうじ茶もそうだのといった情報に踊らされた。
「京都あったかいほうじ茶」のそれといった情報は出てこなかった。
季節限定感が拭えない気持ちに、これは通年の商品と何度も上書きをして、考える気持ちを与えない事にした。シンプルな暴力である。

その後、住民税の支払いと共に、ほうじ茶を購入した。しかし、特に口にする訳でもなく、小規模な街をさまよった。すると、購入から、ものの20分足らずで冷却が始まっていくのが分かった。

思わず、その時点で居た、住宅街のなかで、おぇー!?と叫ぶ。近くで遊んでいたキッズ達が、一同に押し黙った。

そんな事より、セミの命が短いと知った時と同様の衝撃を受けた。いや、単に冷めてるだけだし、液体はペットボトル内に存在してる。セミの命ほど衝撃を受けなくてもいいとも思った。

29歳ともなると、言い訳を考えるようになった。同様の衝撃のままの感性を大事にした方が、愛嬌が出ていたかもしれないのに。

早く飲めばいいのでは。という思いもあるのだが、そんな気分には、なれていない。
あったかさで、癒そうとしてくれている「京都あったかいほうじ茶」反対に、自分の家でないと真の癒しは感じれないと家に向かう自分。着く頃には、冷えている。キンキンに冷える世界線もあり得るかもしれない。秋だけど。

そんなこんなで帰宅して、手洗いうがいを済ませると、半ば義務的に開栓をする。目を瞑り、情報を遮断して、口に含む。嚥下。考えるより、感じたかったのだ。

ツーっと後を引く、茶の甘さ。炒ったような香ばしさ。
ラベル上部に書いてある「甘香ばしい」を身を持って経験した。

冷えていたほうが、茶本来のポテンシャルが出ている気がする。うまいぞ。
ホットココアを飲みながら、まとめているので、茶の記憶が曖昧ではあるのだけど。

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