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変身ベルトが、俺を復活させた話【CSM】

仮面ライダーは、俺にとって少年時代を燦然と照らしてくれた戦士だった。
今でも覚えている。幼稚園にまだ通っていた頃の記憶の中に、曽祖母からお正月に買ってもらったドラゴンロッドや、友達の持っていたタイタンソードを握って外で遊んでいた記憶だ。

俺はクウガから仮面ライダーを見始めた世代ではあるが、実際のところあまりクウガを見ていた時の記憶は残っていない。
黒いブラウン管の中に写っているアルティメットフォームのビジョンだけが、俺の覚えている当時見た本当のクウガの記憶だ。
おそらく、当時のクウガの変身ベルトであるアークルも持ってはいなかっただろう。
だが、ドラゴンロッドは先についていた怪我防止用のラバー素材が取れるほど遊んだし、小さなトライチェイサーを飾っていたのもよく覚えている。

なので、作品として最初にちゃんと見たのはアギトからだった。
トリプルフラッシュDX変身ベルトを身につけて遊び、後ろについていた着脱部分が固くて、よく親に外してもらっていたのを覚えている。
通しで初めて見たからなのか、俺は少なくとも6年以上アギト変身ベルト、オルタリングを持っていて、実際に遊んでいた。
もちろん、その後の龍騎もVバックルやヴェノバイザーは買ってもらえていたし、ファイズのファイズドライバーも、デルタドライバーも持っていた。
特にデルタドライバーで遊んでいたのはよく覚えている。音を認識して変身は、当時の俺にカイザドライバーを買ってもらうことを諦める代わりに買ってもらう理由としては十分すぎた。

当時からなかなか俺は考えがぶれない方で、ブレイドや響鬼も見てはいたのだが、多分それまでの仮面ライダーが好きすぎたのか、変身ベルトに満足していたのか、ベルトや武器を買ってもらうことはなかった。
カブトを見ていた時には、ガタックのフィギュアとフィギュア用のバイクを曽祖母に買ってもらった記憶がある。

そして、迎えた電王放送の年。
電王は面白かった。電王もゼロノスもかっこよくて、変身ベルトは正直めちゃくちゃ欲しかった。
だが、そのくらいのお年頃はちょうど変身ベルトが欲しいと言うのがなかなか恥ずかしい年頃だった。
周りが仮面ライダーを『卒業』して、もっと年下の子供が見るものだよな、という流れの中であった。
俺はそれでも自分が好きだったので見続けてはいたが、結局買って貰うことも、買うこともできず、その翌年のキバに登場したイクサのベルトも買うことができなかった。
そしてあっという間にディケイドが終わり、仮面ライダーダブルが始まった。ちょうど中学生になった頃合いだったが、ダブルの変身ベルトは中学生の俺が見ても、あまりにもカッコよすぎた。
気がつくと俺は我慢できずにおもちゃ屋へ走り、当時四本しかガイアメモリのついていなかったDXダブルドライバーを購入した。
人生で初めて、自分で買った変身ベルトだった。
しかしその後、オーズの途中で俺は仮面ライダーを離れ、歳を重ねていった。
平成最後のジオウは、見たい話だけテレビで見たが、それでも熱が戻ることはなかった。
俺の中にあった変身は少しずつ、色褪せていった。

そしてギーツが放送されているタイミングで、俺は少しずつ、懐かしさからか当時見ていた仮面ライダーを再び見直し始めた。
そして気がつくと、手元には学生の頃整理して処分した仮面ライダー玩具の中で、唯一手放さなかったファイズフォンが握られていた。
俺の中で色を失いつつあった変身は、再び鮮やかな色で、俺の心を動かした。
シン・仮面ライダーを見て、10年ぶりにDX変身ベルトを買った。
大人向けの変身ベルト、CSMシリーズから初の自動変形変身ベルトのサンドライバーを買い、すぐにアギトの変身ベルトであるオルタリングを買った。
当時は適当だった変身ポーズをちゃんとするようになり、クオリティの高い変身ベルトは俺の心の穴を埋めてくれた。
その後、当時身に付けたかった変身ベルトや当時遊んだことのなかった変身ベルト、最新作のガッチャードのベルトをも買うようになっていた。
先日、中古で購入したCSMのアークルを身につけて、俺は生まれて初めてクウガに変身した。
ブラウン管越しに聞いていたよりもクリアな変身音は心地よく、俺の当時満たされなかった思いと、今を楽しむ気持ちをくれた。
俺の中の変身はもう色褪せることはない。
『覚えている限り、ライダーはいる』

俺は、20年以上の時を経て戦士として復活したのだ。

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