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回文ショートショート 相撲の始まり

●回文
神主がしきりに気合い、秋に力士が死ぬんか

●読み方
かんぬしがしきりにきあい
あきにりきしがしぬんか

●解説
日出る国の神事、相撲。『日本書紀』によるとその源流は垂仁天皇の御代に行われた当麻蹴速と野見宿禰による捔力(すまひ)の対戦を指すという。

さて、その対戦であるが、稲穂の垂れる秋の頃の奉納に屈強の二人が土俵の上に揃った。そして、砂かぶりにはそれを見守る一人の神主、Aの姿があった。彼は陰陽道の使い手で未来が見える神通力の持ち主。史実としてこの戦いでは野見宿禰が当麻蹴速の腰骨を踏み折って殺害。なかなか凄惨な戦いであったことが知られている。

当麻蹴速は地元では有名な不良であり「大和国の粗大ゴミ」などと呼ばれ、忌み嫌われていた。料金以下の不味い飯を出すレストランに料金を払わないことなどしょっちゅうであった。

しかし人格者でもあるAは当麻蹴速を曇りなきマナコで観察して、実はキラリと光るものを感じてもいた。当麻蹴速が、粗野な中にも捨て犬を拾って帰り、こっそり餌をやるなどしている様を見たこともあり、実は性根は腐っていないことを理解していた。

不良のような態度は世間に対する不満の裏返しで、単なる強がりであり、優しさに飢えていることも感じていた。何もかも世間が悪いのだった。

Aは未来が見える。そこには無惨に横たわる当麻蹴速の姿があった。しかしAは彼に死んでほしくなかった。人並みの幸せを掴む権利もあるとさえ思った。

そこで、あるいは自分の祈祷で未来を変えられるやもとの思いからかなり気合の入った祈祷を春ごろから御百度みたくやっていた。

その只事ではない祈祷の雰囲気を見て従者たちは、やはり秋の対戦ではどちらかの力士が死ぬのではないか、と噂していたという。結果、祈祷は届かず当麻蹴速は蹴り殺され、Aは世を儚んだ。

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