ハイキューって現代的

ハイキューってすごく現代的価値観を取り入れてると思いませんか?
まぁ私は漫画やアニメをたくさん見る方では無いので比較のしようも無く、これは独り言のようなものなのですけど……

(現在漫画全巻を人に貸しているため詳細な引用ができていません)

まず日向の『憧れ』
きっかけはTV・ネット動画を見て練習…『ハイキュー!!』に描かれた“ありそうでなかった風景”とは? https://number.bunshun.jp/articles/-/845611
↑こちらの記事を読んで私は目から鱗でした。
日向は『テレビ放送』していた小さな巨人に憧れてバレーを始めています。自分の体験でも親しい人の影響でもなく、『デジタルなもの』が原点なのです。


そして『正しい自己研鑽』
中学時代、二人の天才に挟まれ焦っていた及川のオーバーワークを岩泉が叱るシーン。
和久谷戦で頭を強打した澤村に真っ先に意識の確認をし、さらに念を入れて安全確認を優先したシーン。
鴎台戦、発熱が発覚した日向を本人のまだやりたいという気持ちを武田先生が諭すシーン。などなど……
ハイキューではこのように『怪我の防止』を描いています。
ハイキュー内での怪我は細心の注意を払った上での事故であり、そしてその怪我は正しい対処のおかげで治り、選手たちの道を阻むことはありません。

これ、すごく驚いた。
大袈裟に言えば『怪我』ってドラマを生み出すのにもってこいの舞台装置だから。体を壊すほどに頑張ったっていう『努力の量』を表現できるし、『挫折』は共感を呼ぶし『痛みに耐える』様は読者の心臓を締め付ける。『完治』すれば最高のカタルシスになるし『後遺症』がのこれば同情、後悔、今後まとわりつく試練になる。
それがハイキューにはなく、その人の今後の人生も視野に入れて指導者が教え子を、選手は自分自身を管理している。

彼らは高校生だけどアスリートなんです。
「ちゃんとした飯」を食べ、質の良い睡眠をとり、適切な練習を「ちゃんとやんねん」
高校生だから「今」しか見えなくなることもあるけれど、周りが「5年後、10年後に後悔しない」ように導いてくれている。若い芽を潰さず未来に羽ばたかせるようにしているんですよね。


最後に『多様性』
昨今よく聞かれるようになった言葉。ダイバーシティとも言い、多様な人材を活用することを指します。(三省堂 スーパー大辞林3.0より引用)

Vリーグ編で今までの選手たちの卒業後の姿が描かれましたが、そのなかで伊達工の笹谷が『主夫』になっていました。
私たちの生きている現代日本では働き方に関してまだ頭が固いところがありますよね……父親は育休が取れなかったり、女性は昇格しづらかったり。

そして及川はアルゼンチンに帰化して天照JAPANの前に立ち塞がります。
国籍に対して現代では様々な考えがあります。人種差別もまだまだ世界には溢れてるし、スポーツ界でも「何人か」を重要視する人はいる。(このスポーツナショナリズムについてはもっと勉強してからちゃんと文章にしたい)

ハイキューは漫画ですが、私のいる現代と密接に関係していると終章を読んでいて思いました。古舘先生に問いかけられているのではないかとも考えました。「こんな生き方、どう?」と。

ハイキューのみんな生きていて、様々な『自分の”大事”を最優先した人生』を示してくれている。

ハイキューのテーマは『自分の大事なものを大事にすること』だと自分は感じました。
主人公の日向にとって大事なものがバレーボールだったからハイキュー‼︎になった、みたいな?
宮たちが言っていたようにくたばる時に「幸せだった」と言えたらそれが最高で、そのための選択を迷いながらもしていくことこそが人生、みたいな!

一人の人間として幸せを追う、平和な時代にしかできない贅沢を今日からしていきたいな。

とっ散らかった文章になっちゃった!!

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