新年を寿ぐ奮闘、父雑煮。
今朝は実家でお餅をついたよと母から連絡があった。
二十九日はあまり縁起のよくない九の日なので、基本的にこの日を避ける。
三十日につくこともあったが、年末の挨拶に訪れる親戚の相手などで忙しい事もあり年々早くなっていった。
三十一日は大掃除やおせちの仕込みがあるのでとてもお餅には構っていられない。
なので今日が最適の日なのである。
子どもの頃まだ祖父母が健在だった頃は家族総出で餅つきをしていた。
前日の夜から水に浸けた餅米を蒸し器で蒸すのは祖母の役目だった。
蒸し上がると旧型の餅つき機にセットしてスイッチをポン。
底にある羽がグルグルと回転して餅米をかき混ぜていく。
最初はお米の粒だったものがだんだんと一纏まりのお餅になっていく過程は何度みても面白かった。
くっつかないように途中で何度か手水を加えてお餅を柔らかくする。
三十分位したら機械がビーッ!と大きな音を立てて止まるのでそこからは時間との勝負。
お餅を打ち粉を敷いたこたつの上においてちぎっては丸めていく。
まず最初に鏡餅用の大きな丸餅をいくつか作る。
その後で普通サイズのお餅を丸めていく。
これが信じられない位熱くて何個か作っていくうちに手が真っ赤になったものである。
この行程を何度か繰り返して全部で百個以上のお餅を拵えていた。
つき立てのお餅は大根おろしを絡めた辛み餅にして食べたが、あれはなかなか美味いものだった。
お餅はついてから一日もすると大分固くなっている。
昔の冬は寒かったのであまり日の当たらない和室に置いておくと一週間はカビが生えなかった。
餅つきから数日後、めでたく新年を迎えると元旦の朝御飯は決まって雑煮である。
昔からの風習で元旦の朝に包丁を握るのは家長の勤めでこの日ばかりは父が雑煮を作ってくれた。
我が家の雑煮は煮干しと昆布の出汁で具は鶏肉、かぶ、ニンジン、ごぼう、かまぼこ、春菊といった賑やかなものである。
出汁は大晦日の年越しそばのものをそのまま流用する。
具は鶏肉以外は母が下ごしらえをしてくれているので乗せるだけである。
それでも普段全く料理をしない父にとってはかなり大変な作業らしくパリン、ガランガランとあちこちに派手な音を立てながら額に汗して雑煮を作ってくれた。
お餅の数は伸び伸び粘り強くの縁起を担いで二個と決まっていた。
まず最初に神棚にお供えをしてそれから祖父が一番最初に食べる。
その次は祖母で私たち子どもは三番目であった。
母はお正月だけの特権で朝寝坊をするので起きてこないことが多かった。
いただきますをして待望のお雑煮を食べると煮干しと昆布の出汁がしみじみといいお味で甘辛く炒めた鶏肉からでる脂のコクも加わってかなり美味しい。
野菜もしっかり下茹でしてあるので柔らかくてごぼうも食べやすかった。
そしてメインのお餅も噛むとグィンと伸びて出汁によく絡んでたまらない。
慌てて食べると喉に詰まるぞという父のお決まりの台詞を聞きながらも箸をとめることはできない。
あっという間に完食してごちそうさま。
それから年賀状が届くまで新年の分厚い新聞広告の中からゲーム屋さんのチラシを見つけて隅から隅まで眺めるのが元旦の楽しみであった。
ついさっき帰り道に実家によってお餅を貰ってきた。
早速今晩の献立に加えましょうかね。
何がいいかな、磯部?きな粉?いやいやここは納豆餅でしょう。
腸活中なのでうってつけですね。
三が日のうちに妻に私なりのアレンジを加えたお雑煮を振る舞いたい。
も~いくつ寝るとぉ~。
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