美しすぎる縄文人 ”ゆきえ” 誕生物語
”残念な縄文人” を博物館で見かけることが、ときどきある。
投げやりな人体模型のことだ。いかにも予算がなく、仕方なさが充満している寂しい展示である。市販のマネキンにオベベを着せただけ、という程度ものだ。(”貞子”みたいに怖いものもある、それはそれで逆に楽しいが・・・)
とはいえ、ほとんどの博物館(とくに中小の市町村立の場合)は予算が潤沢にある訳ではない。模型に何百万かかると予算要求しても、「そんな金があるんだったら、学校か、福祉や医療の現場に回せ」と財政部局から査定で切られるのがオチである。(実際、市町村単費では私もそうだった)
そんなお寒い予算状況のなか、縄文人ゆきえがどう誕生したのか?
ここではその誕生までの物語りをメモしておきたいと思う。
00 「元気印! 縄文人復活プロジェクト」 (予算獲得)
デカい市や県ならともかく、弱小市町村の単独予算では「博物館模型費」など、”永遠のゼロ” がオチである。
解決策として、自治体への還元率のいい競争的資金を獲得するしかない。そこで選んだのが、長野県が交付する「地域発!元気づくり支援金」である。さいわいこの支援金は、比較的自治体職員からは疎んじられている。事務処理が国庫補助事業以上にめんどいからだ。ほんと。
したがって、自分の仕事をこれ以上増やしたくない役場のオッサンは、上からの圧がかからない限り、自らすすんで手をあげることをしない。
ズクのある(信州の方言)わたしは(自分で言うなよ!)、10年以上ほぼ毎年申請していた。(民間にも交付があり、八ヶ岳旧石器研究グループで拝受したこともある)事業名も「縄文人復活プロジェクト」だけでいいはずなのに、支援金寄りに「元気印!」をサービスでくっちけちゃった、というワケである。
01 「縄文人復活プロジェクト」始動!
ゴールデンウィーク明け、支援金の採択が発表となった。いざプロジェクト始動である!
学術的根拠に基づいた縄文人の模型を作りたい、かつ今にも話しかけそうな完成度のものを。
こんな思いから、国立科学博物館名誉研究員の馬場悠男先生に形質人類学に関する監修をお願いした。馬場先生には、私が工藤雄一郎さん(当時歴博)のお声がけでかかわった国立歴史民俗博物館の旧石器人模型の製作から、7年以上もののご指導をいただいている。
02 ポージング
せっかくなら余所見をせず、縄文人が来館者に語りかけるような姿に復原したい、そんな思いがあったので、縄文ナベで煮たスープを「はい!どうぞ」とニッコリ差出すような女性のポーズを試みた。(仮ポーズをとる女性の表情はまだ硬い)
ポリバケツ部分には、焼町土器の深いナベ(川原田遺跡出土、重文No.2)をあてることにした。柄杓と椀は木器を想定して、縄文木器研究の第一人者である山田昌久都立大教授に教示をあおいだ。
03 スチロール原形の製作
ポーズが決まり、発泡スチロール原形の製作に入った。身長は平均的な縄文女性の身長である147cm、華奢な体型とした。片膝をついて、椀を持つ片手を差出すポーズである。
真っ白い雪のような原形、製作開始から2ヶ月、まだまだ縄文人の具体像にはほど遠い。
04 衣装の仮あわせ
縄文女性の衣装型紙を作るため、布地を用意し、左前合せの作務衣風にして人形に着せてみた。
衣装は、植物の繊維などで編んだアンギンを着せている事例が多いが、それとは区別化するため、なめし革の衣装を着せることにした。上着は貫頭衣、下はズボンタイプの衣服とした。
布地のままだと、まるで門前を掃く寺女の装束のようで、およそ縄文人らしからぬ姿である。模型人体は最終的にはFRP(繊維強化プラスチック)に置き換わる。生体のようにクネクネと曲がるわけではないので、なめし皮衣装を着せるのが至難のワザであることは、後に思い知ることになった。
05 目玉と耳飾りの製作
本体の製作と平行しながら、身体を彩るパーツの製作を平行して進めた。
大部分は、まぶたで隠れてしまうが、眼球もしっかりと作り込む。虹彩(いわゆる黒目部分)が現日本人と同様ブラウンであることは、縄文人のゲノム情報から判明している。
中期縄文人がモデルなので、川原田遺跡(長野県御代田町)出土の中期(約5,000年前)の糸巻き形耳飾りをつけることにした。イヤリングではなくピアスタイプの耳飾りで、出土品(国重要文化財 写真左上)はほぼ焼き色だが、かすかにベンガラによる赤色塗彩の痕跡が残っている。したがって復原モデルの耳飾りは、深紅に染めることにした。
06 髪の毛のセレクト
ゲノム情報で縄文人は、やや縮れた黒髪で、剛毛ということが見えてきた。ここではその情報に従って黒髪としたが、黒色度や太さ、縮れ具合の微妙に異なる4種の人毛を用意し(写真では見分けはつかない)、1種類をセレクトした。
全体的にはこの髪の毛でウイッグを作り、生え際は1本1本ていねいに植毛した。生え際の魔術でリアリティがいっきに高まるのである。
07 立体的な顔の製作
「人形は顔が命」とは、吉徳ひな人形のキャッチフレーズだが、「縄文人だって顔は命」である。
馬場悠男先生は、国立科学博物館で「大顔展」を監修され、『「顔」の進化』(講談社ブルーバックス)の著書もある顔の大家である。大船に乗ったようなものだ。
僭越ながら1点だけお願いしたのは、健康的でにこやかな縄文女性像にしてほしい、ということである。
先生は、「平面的でなく立体的な顔で、鼻は高く、耳たぶは現代人より大ぶり、二重まぶたでいきましょう」とのことだった。
私がお決まりの質問をぶつけると「う~ん、仲間由紀恵とか、そんな顔かもね」と答えてくれた。
08 縄文人は歯が命
「芸能人は歯が命」というキャッチフレーズがあったが、「縄文人だって歯は命」である。前歯が平らになるほど使い込んでいる。皮なめしとか、いろんなものを嚙み切ったり。
「歯はちっちゃく、かみ合わせはピッタリとズレずに、毛抜き型だね」と馬場先生。
女性は、眉毛やまつ毛の植毛前である。
09 縄文人の手足
縄文女性の大き目な手足も、出土人骨に基づいて復元した。
靴を履かせるかどうかは判断に迷った。実際、靴形土製品といってモカシンシューズのような出土品もあり、靴の存在も想定される。
しかし今回は、生足をリアルに見せようということで裸足にした。あまりに足裏が汚れていても幻滅するので、ヒビ割れを入れたが、汚しは幻滅しないようほどほどにした。
素足のビーナスにリアルさが増した。
10 小物類づくり
ゆきえを演出する小物類も欠かせない。
焼町土器の国重文指定No.2の模型 は、博物館スタッフ鳥居亮が作った。
ホンモノと同様な焼けコゲをバーナーで施した後、アクリル絵の具によるエイジング彩色が施された。
ゆきえにオシャレをさせていので、ブレスレットは焼町土器の出土遺跡に近い面替小谷ヶ沢遺跡出土の縄文中期の土製腕輪を復原した。素朴な土製腕輪だが、自分で掘ったので愛着がある。
焼町の深鉢で煮込んでいる鍋料理には、浅間山麓の縄文人がもっとも好んで狩猟していたシカ肉を放り込んだ。
いっしょに煮込むのは、圧痕女子の誉れ高い植物考古学者の佐々木由香さんに相談し、キノコとセリにした。
縄文時代には、”ほんだし”とか無かったのだろうから、味付けはナシかなぁ?
見学者に微笑みかけるゆきえを演出したかったので、ナベ料理を盛り付けて ”はい どーぞ” 的にポージングをした。子どもたちの身長にあうような目線が重要だ。
かくして10ヶ月の製作期間をへて、美しすぎる縄文人ゆきえが誕生した。
黒髪のおくれ毛と生え際が、生きているようなリアルさを引き立たせる。
多少のソバカスが残るが、二十歳で子供3人のお母さんである。
5000年の微笑みに会いに、浅間縄文ミュージアムを訪ねてほしい。
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