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麻雀の「強さ」への自信と揺らぎ

諸行無常、万物流転、そして盛者必衰。言葉の質感は少し異なっているが、共通する意味はこういうことだ。「全ての物事は常に変化している。強者と呼ばれた者も変化の波には抗えず、衰えていく。」

天鳳のRateランキングを見ると、その意味が痛いほどにわかる。以前は9段や10段でrateもトップ10に何度も入っていたプレーヤーがいつの間にかトップ500位の中にも入れずに、ともあれば鳳凰卓から放逐されてしまうことだってある。たとえば下の表は今年の9月19日時点でのランキングだが、半年前にランキング上位だったプレーヤーは今もその上位に入っているだろうか。あるいはここに載っているプレーヤーの名前は皆さんが記事を読んでいる今もまだランキング上位にいるだろうか。

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一体何が理由でこのような事態が起こるのだろうか?不調の中でバランスを崩し実力が落ちてしまったのか、それとも今はただ巡り合わせが悪いだけで近いうちにまた捲土重来を果たすのだろうか、あるいはこのまま誰も気づかぬままに表舞台から消えていくのか。

恐らく全ての麻雀打ちがこのような事態が不意に訪れることを恐れている。

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突然どうしてこんな記事を書いたのかというと、それには理由がある。
つい最近、僕はあるプレーヤーと対戦した。特に面識はないため名前は言えないが、彼は確か半年くらい前には10段でRateランキングでも1位だったプレーヤーである。僕はその名前を見た瞬間、「まずい、強者が来た」と緊張感を持ったのだが、直後、その名前の上に表示されている文字を見てなんとも言えない気持ちになった。七段、R2061。

強者でも鳳凰卓から落ちる人は少なくない、頭ではわかっていたのだが、何故か今回は目に映ったその数字がずっと頭から離れなかった。

ーーーそしてそのまま対局が始まった。

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<*ここからはその元10段プレーヤー目線で進める>
東一局の親番。ダブ東をポンしたが、下家からも仕掛けが入った。まだオリる局面ではないが、手牌の形もあまり良くない。さて、どうするか。

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6索をツモり、手牌が引き締まってきた。下家には安全そうな筒子を払っていく…のだが次巡ツモってきた牌が、、。

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ダマ満貫を張っていた上家への放銃となった。5筒と2筒のノーチャンス。リーチでも放銃していただろう、どうにも避けられない失点。

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東二局。直前まで下家のあたり牌だった6索を止めて、聴牌料をもぎとった。

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東二局2本場はホンイツ手。ドラポンの上家を相手に、3索チーでかわしにいく。上家の捨て牌は特定の色に偏りがあるわけではなく、役牌かトイトイが第一本線というところ。

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次に持ってきた北をアンカンしたのだが、2巡後、2索を持ってきたところで7筒を放銃。自分の手は満貫で、この7筒は特に危険牌とは言いきれない牌だった。

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残り5400点となった東3局、まだ厳しい状況は続く。比較的手牌がまとまってきた所で下家からリーチ。冷静に対子の9索を落としていく。しかし…

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ラス目で満貫の両面テンパイ。当然の追っかけリーチなのだが、宣言牌がリーチに当たり、あっさりと半荘が終了した。

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先に断っておくが、僕が同じ立場だったとしても同じ牌を打って、同じように半荘は終わっていただろう。最近の他の対局を見たわけではないが、僕が見る限り今回の彼の打ち方で問題だった部分は見つけることはできなかった。ただ普通に打って、普通に負けた。

以前の彼の打ち方と今の打ち方をちゃんと比べたわけではないので、もしかしたら何らかの変化やミスが起きていたのを僕が見逃しているだけなのかもしれないし、他の対局ではミスをたくさんしているのかもしれない。だがもし同じ打ち方をしていたとして、一方は10段でR2300以上、他方では7段でR2050程度、そんなことが本当に起こるのだろうか?

「麻雀とはそんなゲームだ。麻雀を続ける限り、そのランダム性を受け入れなければならない。」そんな正論も聞こえてくる。だがそう考えれば考えるほど、麻雀における「強さ」が何なのか分からなくなってくる。そしてこんな結論が脳裏に浮かぶ。永久に降段しない「天鳳位」にならない限り、自分の強さに対する懐疑心は払拭できないのではないか、更に言うならたとえ「天鳳位」になったとしても自分の麻雀に対する自信なんて永遠に持つことなどないのではないか、と。

ちなみに僕と言えば、今年5月に2度目の9段に昇段し、その後3週間も経たないうちに8段に降段、そこか5ヶ月(約500戦)の間は昇段も降段もしないまま、Rateも2130〜2230の間で緩やかな上振れと下振れを繰り返し経験していて、現在は後段寸前から少し持ち直したところである。
「七段に降段してもいいから一度十段になりたい」とも思っているが、なかなかそううまくいかない。そのため先ほどの元10段・現7段プレーヤーが羨ましくもあるのだが、10段の人も天鳳位に対して同じ感情を持っているだろうとも思う。結局のところ、麻雀の「強さ」は結果でしか認められず、「現9段」よりも「元10段」の方が、「元10段」よりも「天鳳位」の方が価値がある。

一方で麻雀のようなランダム性の高いゲームでは満場一致での「強さ」の指標を作ることなど実質的には不可能だ。当然麻雀プロであれば何らかのタイトルを取ったり、一番上のリーグに昇級すればある程度その「強さ」が認められたとも言える。また麻雀プロでない人も天鳳でいい成績を残していたり何らかの大会で優勝すればそう見られる可能性は高い。つまりこれまでに残した何らかの実績で「強さ」は測られていて、何か認められる部分があれば「麻雀強者」としての自信や責任を感じるのだろうと思う。

しかし当然のことだが、短い期間に幸運が一気に訪れれば何らかのタイトルを獲ったり天鳳で10段や天鳳位になるといった可能性だってある。そしてその後ラッキータイムが過ぎ去って、勝ったり負けたりの日々が続き、ある日ふとこう思う。「俺があのタイトルを獲ったのはただついていただけじゃないのか。俺は本当は全く強くないんじゃないか。」

麻雀の結果はその時々によって大きくブレる。その結果に振り回されずに本当に「強く」なるために、僕は「結果」指標だけでなく実質的な「強さ」を測る指標を欲している。つまり結果依存の「強さ」ではなく、内容依存の「強さ」に。

つまりあまり内容見ていない他者からの「強さ」の評価に加えて、自分自身あるいは自分の打ち方をある程度知っている他者が評価できる「強さ」が必要で、それが麻雀に対する自信を深め、長期的に好成績を収める一つの鍵となるのではないかと思っている。そしてその「強さ」や「自信」を築き上げる一つの重要な要素は、「自分がしっかり間違えずに打てている」という感覚である。

最近僕は、毎回対局のあとで牌譜を見返して納得できる一打を繰り返しているかどうかを確認している。そうすると打っている最中は気づかなかった事に気づくことも多く、対局直後は敗戦にイライラしていたとしても、自分の打牌に大きな問題がなければそれで溜飲が下がることもある。そしてそのような、自分が間違えていないとある程度確信を持って言える局が増えれば増えるほど、結果はどうあれ「自分は強い」と思える一つの素材となり得ると思い始めている

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盛者必衰。麻雀と成績変動は不即不離の関係にある。程度の差こそあれ、全てのプレーヤーに調子の上下は発生する。それは1ヶ月程度のこともあれば1年以上続くこともあるかもしれない。

あの元十段プレーヤーも、今は下振れの真っ只中で、もがき苦しんでいるだろう。しかし今日の対局を見る限り、結果はブレていても打ち方がブレているとは思えない。僕の中で、彼は「強い」プレーヤーのままである。そして近いうちにまた「結果としても強い」彼と、天鳳という場の上の方で対局して、僕が僅差で勝つ事を思い浮かべている。

――あー、強くなりたいなあ。





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