1-6-4 フーコー-エピステーメー-

フーコーには、何かを生み出す時の条件となるような「場」の哲学について教えてもらったように思います。
僕が参考にしたのは『フーコー』(内田隆三著、講談社学術文庫)です。
僕が「場」について思考することができたのも、彼の貢献が欠かせないと思います。
また、言説に対する考察としてはデリダと交流があり、言説の隠蔽性についての考察は、これから実現するべき次元を示してくれるようでした。それはまた、構造主義とポスト構造主義の対話の「場」として自らを存在させることのできるような次元を開くことです。
また、フーコーはドゥルーズと仲が良く、彼らの知性的な交流は、ポスト構造主義への扉を開くことになったのです。

痕跡という観念はそれを残した主体の、あるいはそれを残した構造の記憶にみちている。だが皮肉にも、人間が残した言説はそのような痕跡ではない次元に、独自の諸規則と変換に従う実践のシステムとして立ち現れ、やがて消えていく。言説の領野はその意味で痕跡のない空間として存在している。
29

この文章における痕跡というのは、僕の考察の中では「刻印」と言い換えられています。
刻印は第三段階を経た第一段階(「二度目の第一段階」)に明らかに存在しているのですが、それを語ることのできる次元はまだ見出されません。
捉える主体と捉えられる思想との間に存在する「間的自分」によってしかそれは知ることができないのです。
しかし、言説(表現)は言説(表現)しようとすると消えてしまうのです。
フーコーは類い稀なる考察者でした。思考者でもあり、創造者でもありましたが、彼の根底に考察が天才的な仕方で存在していたのです。
僕の「思想の強度と段階」もどちらかというと考察の面が強いので、それはとても参考になりました。

言説の時間には人間学的な主体が生きるような生も、死もない。言説の空間はこの主体が死を超えてなおその生を留めるような痕跡の場ではないのである。
31

言説の空間には言説は存在せず、言説の時間に言説は存在する。しかし、それを表現するには表現できる空間を作る必要がある。
というアポリアにフーコーは何度となく挑戦しています。
彼の挑戦の根底にあるのは、「場」への情熱でしょう。
「場」に対する考察こそが言説の空間とも時間とも異質の「間的自分」を存在させることはフーコーは理解していたのでしょう。
僕はその考えに触発され、「対話」や「場」に対する考察を回りながら、「思想」へと帰ってくることができたのです。

①精神医学のように患者の実存を外的な身体組織の次元へ、あるいは、②精神分析のように患者の実存を内的な無意識の次元へと抽象するとき、これらの試みは人間の実存の固有性を剥奪し、実存をその抽象的な<外部>もしくは<内部>に封じ込める
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フーコーは内部と外部に還元され得ない学問を構成しようと努力しました。
それは僕が「思想」を「思想の強度」と「思想の段階」という内部と外部に分けながらも、それらが交叉するような地点(第三段階)を求めようとしたのにひどく似ています。
彼はそれを精神医学や精神分析に比して構成しようとしたのです。

構造主義は一つの閉域をなす意味の秩序を取り出し、この秩序を支える形式的な構造を分析する。構造の効果として成立する意味の世界は、その外部への接近が狂気じみた侵犯になるように内閉化している。外部への開けは自明な禁忌によって隠されている。
56

フーコーはよく構造主義者として考えられますが、彼は「構造」という言葉に両義的な性質を見出していました。
それは「閉鎖」と「開放」です。
この文章はその「閉鎖」的な暴力についての文章です。
彼はこのような構造であるならば、私は構造主義者ではない、としきりに主張したのです。
レヴィ=ストロースは「構造主義」について、「構造主義は思想ではなく認識の方法にすぎない」と言いましたが、彼もそのような考えのもと、何が構造主義であるかを考えようとしていたのです。

当時(1962年)のデリダとフーコーのすれ違いは、「テクストの脱構築的な解読」/「言説の考古学的な分析」というように照準する対象の次元の違いと分析枠組みの差異に発している。
58

思想には対立するように見えるものが多くあります。
しかし、僕にとって、その対立は見せかけに過ぎません。
それぞれの思想が何か別の次元の思想群に還元されるというのは幻想です。
僕はそれをデリダとフーコーのすれ違いに学びました。

構造主義の脱構築ではなく構造主義に外在するというスタンス
ドゥルーズとの共感
60〜61

「相対化」というのは偉大な思考法です。
デリダのそれは内部で起こり、フーコーやドゥルーズのそれは外部で起こっています。
デリダは脱中心化を目指し、フーコーやドゥルーズは多中心化を目指したのです。
それは彼らのモチーフの持ち方とそれへの向かい方に収斂される、と僕は思います。
思想は思想家へ返還されるべきである。
僕はこれをフーコー像を描いた内田隆三さんから学びました。

フーコーにとって、影響や触発というのは、影響され触発される側が、影響し触発する他者に対して自分を差異づけ、抵抗することであった。
70

僕はこの文章を読んだ時、自分の中の「触発」像が蠢いたのを聞きました。
ドゥルーズと恐ろしく共有されたその「触発」という概念の存在は僕の思想を象っています。


医学的まなざしの変化のなかで、死という事象は個人にその「有限性」を刻印するのだが、この有限性はもはや単なる無限の否定ではない。この場合、死は個人に無限の闇の始まりを告げる単純な<境界線>ではなくなり、個人をその有限な生のほうに向けて折り返す<折り目>として機能する。有限性は無限との否定的な関係を抜け出すと、それ自身への重ね合わせのなかで自立し、その内部で個人についての知を限りなく生産していくことを保証する積極的な構造となるのである。
79

難しい文章ですが、簡単に言えば、可能性と現実性を看取することができるとする現象学への批判的な行為を折り返すという単語を用いて説明しているのです。
僕はその批判が有効な場をフーコーがまず作っているように思えるのですが、その批判もまた現象学の進歩を促すものでしょう。
現象学とこの「折り返し」の学とは相まって、自由を志向しているように、僕には思えます。

エピステーメーとは何か根源的な錯視の構造をはらむものであり、エピステーメーは自己形成の経済原理としてその根源的な歪みを内在化してしまうと考えるほかはない。それゆえエピステーメーは、さまざまな非理性の経験を切除すると同時に、切除されたものを自分自身の空白としてくわえ込むだろう。
80

エピステーメーは「場」の哲学です。
エピステーメーは「主体」を型取りながら、その型取りの型を見せません。
フーコーはその型を探したのです。
それは、別の文脈に載せると、「対話」についての考察に示唆を与えます。
僕はその示唆を受け取って、思考を始めました。

人間の歴史は同じ一つの語彙の同義語の生起からなる。それに異を唱えるのは一つの義務である。
<中略>
不幸にして、詩人と哲学者はそれ(上に引用したアフォリズム)にほとんど反対の意味をあたえていた。シャールはそれによって、もしエポジーがなかったら、人間の冒険はたとえわずかばかり形が変わるとしても、結局その失敗の繰り返しに帰してしまうだろうと理解していた。フーコーは、私たちは歴史において幻想から差異を繰り返しだと受け取るのだ、というふうに理解していたのだった。
98

シャールのエポジーによるアフォリズム解釈とフーコーのエピステーメーによるアフォリズム解釈に違いがよくわかる文章です。
彼らの志向性は同じ方向(差異の表現)を向いていますが、シャールが差異を拡大したのに対して、フーコーは差異を隠すものを明らかにした、という違いがあります。
僕はどちらかというと、シャールに共感しましたが、フーコーの切実なモチーフはそのような楽観主義ではいけない、と考えたのでしょう。

彼の施策の努力は、自己の同一性に安住するためのものではなく、現在の自分と異なる仕方でものを考えるために続けられた。
124

「同一性」というのは、「存在」や「超越者」と同じように西洋哲学を支えた前提でした。
しかし、それらに支えられた西洋哲学が限界を露呈し、その前提を書き換える必要が現れたとき、西洋哲学は近代へと転位することを僕はこの文章を読んで確信しました。
これは「思想の強度と段階」に少し関係があったのですが、本筋ではなかったので、外していました。
また、力がつき、考えが整い次第、書き始めたいです。

フーコーはほとんどその生涯をかけて、このような「主体」(心理や権力、道徳との関係における主体化を受けた存在)の自己同一性を系譜学的に解体したといえよう。
135

近代の哲学は「主体の解体」を目的とするものが少なくありません。
その目的を明らかにしたのはバルトやラカンでしょうが、その前からニーチェや後期シェリング、キルケゴールはそのような目的を暗に意識していたと思います。
フーコーはそのような系譜に自らの「主体の解体」を載せようとし、また、これがフーコーの偉大なところでしょうが、それらの営みを系譜的に捉えました。
それはただ時代に沿って哲学者や思想家を列挙するような仕方ではなく、「主体の解体」の歴史を系譜としたのです。
そのような方法論は、「思想の強度と段階」ではあまり用いられていませんが、明らかに影響を与えています。

彼が真に試みたのは単なる思考の分類ではなく、西欧の思考を可能にし、制約している歴史的な条件の分析である。そして、不思議にも変容を重ねていく、西欧の思考とエピステーメーの生のままの存在様態を実証的に捉えることである。
140

これを言い換えると、僕の「思想論」に変わります。
「僕が真に試みたのは単なる思想の分類ではなく、思想の思考を可能にし、制約している思想の段階的な条件である。そして、不思議にも変容を重ねていく、思想の思考と思想の場の生のままの存在様態を実証的に捉えることである」
この変換後の文章はきわめて僕の思想論に近いものです。

思考が立ち現れ、消滅する、この空無な場所との関係において思考を捉えること、
142

この空無な場所というのは「僕というコーラ」に似ています。
しかし、そのような場は必然的に過去と未来にねじれています。そのようなねじれをなんとか存在を崩さず表現しようとするところに「思想の強度と段階」の挑戦だあったのだと思います。

われわれの思考がある不可能な外部によって包囲されており、その外部を遠くに退けることによってはじめて営みの場を獲得している。
151

不可能な外部とは僕に言わせると可能性のことです。
可能性でない不可能な外部は存在しません。
思想はその思想の可能性によって、その可能性を遠くへ退けることで初めて、営みの場を獲得するのです。
しかし、重要なことはそれが「僕というコーラ」から退くのか、現実性としての強度から退くのか、ということです。
僕は強度から遠ざかるのみで、「僕というコーラ」においてはまた近接していると考えています。

エピステーメーは、「コード化された経験」と「反省的な認識」とのいわば中間に横たわっている。
155

「コード化された経験」とは僕にとって「思想の強度」であり、「反省的な認識」とは僕にとって「思想の段階」です。
僕はエピステーメーによって、その本質的な「場」を思考することができた、ということは何度も述べていますが、これが最も具体的な文章です。

フーコーの「知の考古学」は歴史的な思考の場(言説の領野)がどんな布置をとって変貌していったかを明らかにするものである。
159

「知の考古学」と「思想の段階論」は似ています。
「思想の段階論」もまた歴史的な思想(思想の段階論において施行される思想)の関係性についての思想なのです。
思考についての思考、思想についての思想、このような仕方で、「知の考古学」と「思想の段階論」は相関しているのです。

「われ在り」の自律性、明証性を、神はいわば不在というかたちで見守っているのである。
185

可能性は可能性として存在せねばなりません。可能性が可能性として存在しない世界は閉塞しています。それは「構造主義」が過ちを犯す時と同じような様相を呈します。
思想もまた可能性が可能性として存在することによって、思想の現実性が豊かになるのです。
これはこの文章によってデカルトの思考が可能性によって現実となっていることに対する文章です。
豊かさとは可能性から現実性への幅のことなのです。

表象の空間はそれ自身の秩序にしたがって分節化されている。
191

表象というのは難しいものです。
表象というのは秩序を隠して、新たな秩序を作ります。
表現は表象に違いないと思いますが、表象は表現でない時もあります。
表現より表象が力を持つのはおかしい、とだけしか今の僕にはわかりません。
しかし、この「表象」は明らかに西洋哲学において、持ち上げられているものです。
それは哲学の責任ではないと思いますが、哲学はそれを考えなければなりません。
僕はその一つの答えとして「空洞」を考えます。
これはまたいつか考察して表現したいと思います。

言語の存在と人間の実存とを同時に思考する権利は永遠に排除されているのだろうか。それとも人は、両者を同時に反省するような思考、今まで未知であった思考の様態に向かって進むのであろうか。
207

「主体と場」が同時に存在しうる、それがこの未知の思考の様態でしょう。
しかし、僕もまだ時間に従属することでしか、それを知ることができません。

「存在」が生み出される場所は深い空洞であり、言語、人間、性など、彼がそれらの「存在」を捉えるのはその空洞を介してである。
209

僕はここで主張しておきます。
「空洞」という僕の哲学的モチーフはこの文章の前から存在していましたが、それを形作ったのは明らかにこの文章やその周辺の文章です。

重要なのは、連続的な発展や一様な変化の時間の中に歴史を物語化するのではなく、歴史の中に差異づけられた多様な時間を発見することである。
212〜213

歴史の物語化というのは思考の思想化に似ています。また、思想の方法化にも似ています。ここでてくる二つの「思想」は違います。
一つ目は豊かさとしての思想であり、二つ目の思想は力としての思想です。
この二つの違いもまた、「思想論」の根底に根を下ろすものです。

フーコーは構造分析を、さまざまな差異の体系を明らかにし、それら諸体系の変容とその変容を可能にした諸条件を分析するものとしたうえで、評価しているのである。
215

思想には、空間的思想と時間的思想があります。
フーコーは空間的思想としての構造分析は退けましたが、時間的思想としての構造分析は認めました。それはドゥルーズと同じような認め方です。
しかし、空間的思想としての構造分析を生み出したのは構造主義を生きた人々ではありません。
後続の人々が、思想を方法化した(思想を貧しくした)ことによって、空間的思想としての構造分析が生まれたのです。

要するに、私は語る主体の問題を排除しようとしたのではなく、言説の多様性のなかで語る主体が占めえた位置や機能を明確にしようとしたのである。
『知の考古学』 構造主義とフーコー
216

ジャック・デリダやジル・ドゥルーズらの批判が示すように、構造分析はさまざまな対象のなかに不変の「構造」、つまり差異の形式的なシステムを見つけようとする。その分析は形式化されたシステムの体系性、統合性を前提しているわけで、そのため、実定的な対象の次元にこの統合の中心をあらかじめ追補することになる。この隠された中心の追捕は主体の超越論的な支配と等価である。
217

ポスト構造主義は、構造主義が前提を持たない思想として存在しようとしているのにもかかわらず、思想を展開するときには前提を隠すことから始めていることを批判しているのです。
これは「思想の強度と段階」に対する想定批判が、それはどのように生成されるのですか、とか、それはどのように存在するのですか、というものであるという予測と全く同じ形で相関しています。
それに先に答えるとすれば、
「それらは方法や適用という段階の議論であり、「思想の強度と段階」の主題は第三段階であり、たしかにそれは僕が考え、恣意的に創造した概念であるが、それは認識の方法に過ぎないのであって、思想としての第三段階は豊かさそのものである」
というふうになることを予言するような文章で、再読したときは驚きました、

いかなる中心にも特権を与えないような一つの脱中心化を行うこと
『知の考古学』
218

ここでは脱中心化とされていますが、フーコーはドゥルーズやメルロ=ポンティと同じような多中心化の哲学に近いと思います。
それは「中心」という概念を実体的に捉えていたか、構造的に捉えていたか、の違いだと思います。
デリダのような実体的な捉え方だとまた新しい中心が生まれると考え、フーコーはそれを批判したのだ、と思うと、彼らのすれ違いは、対象の相違に過ぎないことが分かります。

フーコーは、主体による「解釈」と、構造による「形式化」との、デュアルな対立の地平を十分に見据えながら、その地平をいわば横様に超出しようとするのである。
219

これはドゥルーズのリゾームに非常に似ている考え方です。
違いがあるとすれば、それは対象の違いでしょう。
リゾームは、対象性についての概念であり、この思想は、場についての概念なのです。

空洞や非在をはらみながら、ある時代の言説が繁茂する
237
空洞とは、事物や思考の同一性を支える、あらゆる舞台、場、テーブル・・・そういったものの不在である。
243

「空洞」は内部と外部を豊かにします。
言葉がしみるのは、いつだって自らが空洞になり、内部にも外部にも豊かさがあることに気がつくときです。
思想もまたその時にしみるのです。
第三段階の装置とは、もしかすると、意図的な空白なのかもしれません。

言説と非言説的な実践=環境ー両者は前提しあい、貫入しあうが、互いに異質なものとして機能する。
263〜264

「思想」は「思想の強度」と「思想の段階」が互いに前提しあい、貫入しあうが、互いに異質なものとして機能するのです。

ここまで見てみると、フーコーの文章は、僕の「思想の段階」の思想の言い換えとして捉えられることが多いです。
不思議な相関を開いていく、フーコーの地平の捉え方は僕を不思議と形作っているのかもしれません。
そこに、触発する詩人としてのフーコーを見つけることになりました。
また、最後に一番触発された文章を添えておきます。

歴史的事実をこれまでとは別のかたちで可視化する力を持たなければならない
フーコー
101

例によって、数字はページ数です。

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