種田山頭火を一つ深く読む

 種田山頭火の句集『草木塔』の初めに次のような文章がある。

若うして死をいそぎたまへる
母上の霊前に
本書を供へまつる
『草木塔』

 村上護によれば、山頭火の母は山頭火が十歳の時に「自宅の井戸に投身自殺」したのだという(『山頭火句集』(ちくま文庫)三五八頁)。

 私は昨晩、ひさしぶりに『山頭火句集』を読もうと思った。それは好きな人と若山牧水と種田山頭火の違いについて話したからである。その話は大して深くもなく、束の間の話でしかなかった。が、読み直そうというきっかけにはなった。そこでは牧水が表現者であるのに対して山頭火は発見者であるというような、そんな話をした。長さにしておそらく二言三言、それくらいの話をした。このような対比は好きな人が教えてくれたものである。そして私もなんとなく同意した。そして話は他愛もない話に移っていった。もちろん、この対比もその一つであった。
 その話をしてからおそらく三日後くらいの夜、私は本棚から『山頭火句集』を取り出し、とりあえず冒頭から読んでみた。そしてその冒頭に見つけたのだ。次のような文章を。

若うして死をいそぎたまへる
母上の霊前に
本書を供へまつる
『草木塔』

 上記のように、私はある程度詩というものが好きである。しかし、それぞれの人物について詳しくはない。だから、山頭火の母が自殺していたことも知らなかった。私はこの文章を読んで年譜を読んだ。そしてそのことを知ったのである。
 牧水の事情を私はまったく知らないが、なんとなく上で言ったような対比が一つ深くなったような気がした。その手がかりは「霊前」という表現にあるように思われる。
 私は最初、なぜか知らないが「墓前」と読もうとしていた。心に留めておきたいと思い、私はこの文章を書き写したのだが、そのときに「墓前」と書いてからそれを消して「霊前」と書き直した。私は無意識に「墓前」と読んでしまっていたのである。
 山頭火やその時代に「霊前」と「墓前」にどういう違いがあったかはわからない。しかし、この二つの表現の違いは句集という「集める」ことを含む表現活動においてかなりの違いをもたらすものであると私は思う。
 私はなんとなく、なんとなくだが山頭火の発見者としての才覚が「若うして死をいそぎたまへる/母上の霊前に」(/は改行を表す。)常に自分があるという思いによって開花したと思った。そして腑に落ちた。「母上」に「これも素敵です。」と次々に目に留まったものを紹介するというか、こういう表現はないかもしれないが手を向けるというか、そういう感じがした。
 私は母から「素敵なものに『素敵だ。』と素敵に言いなさい。」ということを学んだ。と、思っている。繰り返し言われたわけではないが。山頭火も「素敵だ」と自分では言わないものの、「素敵ね」と言ってもらうために「素敵なもの」を「素敵に」言おうとしたのではないか、そんなふうに思う。そしてその「素敵に」は自由律によって手探りされ、「素敵なもの」は旅路で次々に見つけられたのではないか、と思う。
 当たり前のことだが山頭火も表現者であり、その表現はたしかに「自由律俳句」とまとめられれば「そういうものか。」くらいにしか思われないかもしれない。しかし、「母上」に「これを見てください。」というように話しかけるためにはああいう形を取るしかなかった。そう思うと、それを選び、ちゃんとそれをしようとした山頭火は素敵だなと思う。
 「本書を供へまつる」と山頭火は言っているが、それは「母上」に読み返してほしいとか、思い出してほしいとか、そういう朗らかな心情の表れであるように私には思える。もし「霊前」に居ても「墓前」に居るときのように話しかけられることはないかもしれない。しかし、そこには「墓前」にはないような微笑み、話しかけることがあるのかもしれない。そんなふうに思う。
 そう思うと次の句は余計に響いて、なんだか、なんだか、ちゃんと「素敵だ」と言えそうな気がする。

日ざかりのお地蔵さまの顔がにこにこ
『草木塔』

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