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一本道

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他の可能性を無視する形で走ることでその一本道に多様な可能性を呼び込もうとする天邪鬼な文章実践です。
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2022年8月の記事一覧

知的な真摯さとは何か

 傲慢なことを言いましょう。  私はどんな哲学書を読んでも「ああ、俺が表現できなかったや…

私の元々の研究テーマ

 理由、というものについて考えておきたいことがある。『それは私がしたことなのか 行為の哲…

バスに乗った時に書いたエッセイ

 バスは短いエッセイを書くのに適切な乗り物である。その神秘的な理由についてはのちのち書く…

断片的な映像

 あなたはどんな人間ですか。  いや、あなたはあなたのことをどのような人間であると思って…

電車、十分間で書いた文章

 よくわからない試みをしよう。  私はいま十分間の電車の旅に出ている。十分間なので旅でも…

「読む」ということの一変態である

 「書く」と「読む」の関係について考えてみましょう。    何度かこの文章の後に続く文章を…

才能と天才

 「才能がある」という言明は「これから力を引き出させていただきます」という宣言である。私はかつてこのようなことを言った。ここで含意されているのは、「才能がある」というのがあくまで「これから力を引き出させていただきます」であり、何か実体のあるものが誰かにあるわけではないということである。つまり、簡単に言えば、「才能がない」というのは「これまで力を引き出すことができませんでした」という言明に過ぎないということがここでは言われている。  さて、「才能」に似た言葉に「天才」という言葉

「書く」と「話す」

 私は子どもに何を教えるだろう。  私は一応教育者の卵であり、教育学者の卵である。一応。 …

良き哲学に出会った時の話

 今日も正直に話そう。  良き哲学に出会った時の話である。今日するのは良き哲学に出会った…

眠いが文章を書いてみる

 めちゃくちゃ眠い。だが、私は文章を書く!  と意気込んだふりをしています。なんというか…

私にとっての「踊る」ということ

 私は大学一年生から「踊る」ということを始めた。それまではずっとサッカーをしていた。なぜ…

倫理と「行為する」と「振る舞う」

 「行為する」と「振る舞う」はどういう関係にあるのだろうか。  私はどうしても「倫理的に…

「ダサい」とは何かー「ずるい」とは何か

 ダサいと思うこと。  何かをダサいと思うこと。  いろいろ考えましたが、これが私の答え…

倫理とは何か

 永井均の『倫理とは何か』を読んだ。私がなぜか(この「なぜか」は演技だが)思い出したのは、疲れた時には他人に倫理的に振る舞いたくなるということである。  みなさんが経験をお持ちかは分からないが、私は何度か経験したことがある、と言えるくらいには経験したという記憶があることがある。それは極めて疲れているときこそ他人に「倫理的に振る舞う」ことがまるでハビトゥス(習慣、もしくは「狭い領域での立ち居振る舞い」)であるかのように行えるということである。  私は別に倫理的な人間ではない。い