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私はたまに「お前は傲慢だ」と誰かに言われる。というか、大抵は私に言われる。でも、いつも…
最近、私の作品を読み返した。「死刑囚」という作品と「走馬灯」という作品を読み返した。私は…
昨日、自分の作品を読んで感想を書くという、暇人でなければしないようなことをした。そこでは…
私は最近、書くことがない。いつもなかったのかもしれないが、何年か前は小説のようなものを書…
偶然性の自覚には二つの意味が存在すると思われる。一つは偶然性に気づくという意味。もう一つ…
誰かがお風呂上がりの私の肌、いやお湯に溶けた洗剤をクンクンと嗅いでいる。 私はもう寝よう…
私が少しだけ嫌なこと。 それはゆったりしていないこと。忙しないこと。ここに何かがあることに気がつけないこと。それが嫌なこと。 私は23時くらいを目安に本を読むのをやめます。 もちろん、面白かったら仕方なく読むんですけど、大抵はちゃんとやめられます。なにせ、私は理解しようと思って読んでいないのですから。 じゃあなんのために読んでいるのかというと、素敵になるためです。素敵な人間になるためです。「よく生きる」ためです。ただそれだけです。 なのに、「読むこと」が仕事みたいにノルマの
さて、とても短いけれど、素敵で、おそらく素晴らしいことをここに書きましょう。 ここで全力…
倫理。偶然。自覚。私はこの三本に支えられている。もちろん、存在、詩、物語、などは私の生を…
私がいま、ここで、おそらく自由に、そして過去を引き受けながら考えること。それはいま、ここ…
2022/6/13「怪物とモンスター」 見つめていたら、名前をつけたくなるものです。 哲学のモジ…
読書。それは楽しい。なのに、最近の私はなんだか、ぎこちない。読書。 嫌。なぜ嫌なのか。 …
なぜ生きるのか。あなたは私に聞きました。私はあなたに聞きました。私たちは同じ一つのこと、…
弾ける。人間が弾ける。破裂する。悲しみがリズミカルに存在し始める。それは恍惚とした経験である。記憶である。だから身体はいつまでもそれに服従するかのように存在し始める。それはたしかに悲しい始まりだが、喜びの根源に他ならないのである。 さて、このような文章。私はこんな文章を何を想像して書いているのだろうか。まあ、もちろん、具体はあるのだが、それを示すのはあまりにも非倫理的である。だから、みんなに託すだけである。 シャツの裾、ほつれている。糸がひょろひょろと出ている。ここにある