マガジンのカバー画像

一本道

382
他の可能性を無視する形で走ることでその一本道に多様な可能性を呼び込もうとする天邪鬼な文章実践です。
運営しているクリエイター

2022年5月の記事一覧

藝術、詩、哲学

藝術は世界の見方を教えてくれる。 哲学は世界の見方を育ててくれる。 詩は世界の見方を守って…

多分もう、狂わない

私は滅多に焦らない。 けれど,さっきは焦っていた。 後輩に『街場の文体論』を貸してあげる約…

Imagine

私は優しい。 私は優しくない。 私は私というものが嫌いだ。そしてそれを同一性として成立さ…

「エリュー」

寝たいから書こう。 たしか、メルロ=ポンティには「エリュー」という用語があった。それは「…

倫理のための広場

主体という様態と場という様態の距離こそが倫理のための広場である。 倫理というものが成り立…

生命の躍動を忘れないこと

触発。それはとても大切だ。生命にとって,その躍動にとって。 研究のようなことをしていると…

「存在」について

さて,私が言葉を欲しがっているから,仕方ないあてがってあげよう。 私の考えるのはやはり「偶然」である。なお、ここからの記述は『偶然性の精神病理』と『現実性の問題』、そして『偶然性の問題』を闇鍋に入れたようなものであることは断っておこう。 たった今,私の目の前には桜の木がある。満開の桜の木がある。佐藤佐太郎のあの歌を思い出すまでもなく美しい桜の木がある。 これは「端的な事実」である。目の前にあるのは「端的な事実」である。そこにあるのは「私と桜の木」だけである。他のものは,時

場と主体の倫理学

場の完成とは主体という様態への様態化であり、主体の完成とは場という様態への様態化である …

『君は寝不足だよ』

2022/5/16「君は寝不足だよ」 ベンヤミンの「破壊」と「償い」の倫理性である。私は破壊だけ…

私の自己・アイデンティティ観

 私の自己・アイデンティティ観は端的に言えば、主体と場の「両極的な緊張」(『アガンベン読…

偶然と倫理と快楽

偶然性は解放である。それは何からの解放か。制約からの解放ではない。制約の中での振る舞い方…

俳句論 1094字

詩とは何か。 それは象徴を象徴として取り出すことである。 私たちの生活には象徴が溢れている…

偶然への一草稿

偶然というのは因果的なものではなく目的的なものである。この目的的なものが偶然であるという…

私の句集の読み方について

句集の読み方について考える際,どうしても私の力不足を明らかにしておかなくてはならない。私は長い文章が読めない。おそらく,俳句を選ぶのも,私が長いものを読めないからであろう。短歌は好きである。しかし,それも難しいのかもしれない。転換が私は苦手なのである。切れ字は転換ではなく連続である。不連続による連続である。だから苦手かもしれないが,それほど苦手でもない。 たった今も,碧梧桐の句集を手に取り,一つ目を読んで,「ああ,すげえなあ」と思ってしまい,なんだか順繰りに読んでいくのが野暮