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関西人特有の空気の読めなさに悩まされる日々

私が関西人特有の「空気の読めなさ」に苛立ちを感じるようになったのは日常生活の中での小さなやり取りがきっかけでした。特に父親との関係が、そうした感情を強くする要因となっています。

ある日、私が静かに作業をしている時の事でした。普段から「構わないで」というオーラを出しているつもりなのに父は「何しょん?」と何気なく話しかけてきました。一見すると何気ない一言に思えるかもしれませんが、その時の私は集中していたため、内心「見れば分かるだろう」とイライラしてしまいました。そんな私の反応にもかかわらず、父はさらに一歩踏み込んできて、今度は気配を消して私の真後ろに立ちイタズラを仕掛けてきたのです。このような行動が続くと私としては「放っておいて欲しい」という気持ちが強くなりますが関西人にはそれがなかなか伝わりません。逆にお節介に感じられる行動が多く、さらにストレスを感じることが少なくありません。

こうした経験は父親に限ったことではありません。関西に住む他の人々とのやり取りでも同じように空気を読まない行動に何度も遭遇しました。彼らの語彙力が乏しいため同じようなことばかり繰り返す傾向もあります。さらに陰口や悪口になると話が途端に盛り上がることも多く関西特有の文化なのかもしれませんが、それが私にとっては不快に感じることが少なくありません。

また関西の人々は「知らん」「分からん」といった言葉を頻繁に使います。この物言いも、私にはどうしても受け入れがたい部分です。特に彼らの知識が偏っているためにこうした言葉を連発するのだと感じると、より一層ストレスが増すのです。

父のように県外に住むようになってから長い時間が経っている方も居ますが関西から来た人々の中には、いつまで経ってもコミュニケーションが苦手なままの人が多いと感じます。そのため他人と深い会話をすることが難しく結果として関西特有の軽いノリだけが強調されるのです。

なぜ、これほどまでに関西人特有の行動が私の肌に合わないのか。それは、私が相手の気持ちや空気を尊重することを大切にしているからかもしれません。自分自身も他人の気持ちや状況を考慮して行動することを心がけているため逆にそうした配慮が欠けている行動に敏感になってしまうのです。

もちろん、すべての関西人がこうした行動を取るわけではありません。しかし私の経験から感じた事は彼らの中には相手の空気を読むことよりもフランクで軽いコミュニケーションを優先する傾向があるということです。それが私にとっては時に大きなストレスとなるのです。

これから先も、このような関西人特有のコミュニケーションスタイルとどう向き合っていくか悩む日々が続くかもしれません。しかし自分の感じたことや考えをこうして文章にまとめることで少しでも気持ちが整理できたらと思っています。



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