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自分の見た目を許せなかったぼくの話(どっちつかずの曖昧なままで)

ひっさびさに髪を切り落とし刈り上げにしました。いわゆるツーブロというやつ。
いま私は平均40℃越えの厨房で生地をこねたりパンを成形しながら一日のほとんどを過ごしているんですが、帽子の中がいかんせん暑い。さらにいうと帽子と一緒に被っているネットの中が暑い。結ぶには難しく無理やりネットに収めるには長いミディアムヘアーはちょっとした密林のようで、暑さに弱い私は仕事中にキレてその日のうちに美容院へ髪を切りに行った。

どっちつかずの曖昧なままで。

髪の毛の長さは性別を表す指標の一つだと思う。特に高校くらいまでの学生は基本的にそうで、髪が短ければ男だったし髪が長ければ女らしさを感じた。高校男児で束ねるほどの長い髪を持っている人はフィクションの中にしか存在しないだろうという偏見で喋っているが、よっぽどの私立高校でもない限り生徒指導の先生から注意を受けるだろうし、きっとそういう人は居てもごく少数しか存在しない。これも偏見だ。
だが女であればどうだろう。私の通っていた学校は男子の髪にうるさく女子生徒の髪には寛容であった。多くの可愛い女の子たちは長い髪を好きな風にアレンジしてより可愛く日々を過ごし、私は流れに逆らうように肩甲骨まであった髪をばっさりと切りショートカットで首回りの軽量化を図っていた。確か高校一年の終わり頃だったように思う。
この変身はなかなか好評で友人たちは口々に「似合うね」と褒めてくれ、そこから二年、三年時はベリーショートにしたり刈り上げてみたりと自分なりのアレンジを楽しんだ。私はこの髪型が好きだった。それまで鏡や写真に写る自分の姿を見ては不快な気持ちになっていたが、この髪型にしてみるとなんだかわりとマシなような気がしたからだ。

心と容姿がちぐはぐで。

突然だが私は生物学上では雌に分類される。親しみのある言葉で言うと女で、なぜこの性別で生まれてきたのか疑問に思うくらいの要素を備えた、微妙な感じの女である。(これは別に自虐を込めているわけではない)
身長はいまだに年に数ミリ程度伸びている168cmで、足のサイズはレディースがギリギリな大きさ。背格好はどちらかと言うと男の方に近い。顔はまぁアイコンを見てもらえればわかるが可愛さを削ぎ落としたような顔で、綺麗だなんてお世辞でも言われたことはない。要するに女らしくなく、目つきの悪いのっぺりさんだ。
正常な美的センスを持っていると自負している私はこの顔が長いこと全く好ましく思えず、正直今でも好ましくはない。一度は女らしくなれない見た目ならもう男になり切って生きてやろうかと思ったこともあったが、心の方は性別と一致していて、恋愛対象も他の女の子と同じだった。普通に異性のことを好きになったし、女の子に「格好良い」や「男だったら彼氏にしてた」と言われて喜ぶ気持ちもあったが、特にその先へ私の気持ちが発展することはなかったのである。ごくありふれた、普通の女の心だった。
高校を卒業し、専門を出て就職する間。私はずうっと女と男の間でどちらに自分を寄せれば良いか悩んでいた。女らしくしようと思えば自分の内側の声が(そんな見た目に釣り合わないことはするな)と言い聞かせてくるし、男のようにあろうと思うと出会いのチャンスをかたっぱしから潰してしまうことになる(これでも一応結婚願望はあるのだ。一応)。長いこと悩みに悩み抜いて、それでも結論が出なかったので──とうとう私は吹っ切れた。
かつての自分がやっていたように髪を短く切り、刈り上げて。格好良く街を歩きたいときは男っぽい服を着て、女の子でありたいときは自分に合いそうな服と、少しの化粧を施して。

どちらにもなれないなら、曖昧で、どっちつかずの人間になってしまおうと思った。

吹っ切れてしまえばそれまで鬱屈としていた気持ちが嘘のようになくなり、羽のように軽い心で日々を楽しく過ごせている。呼びたくなったら自分のことを俺やぼくと言うし、そうしたくなったらアクセサリーや香水をつけて楽しんだりするし、ここぞと言うときは10センチの厚底のサンダルを履いて誰よりも身長を高く見せる。好きなように自分を変えられるのは思った以上に楽しくて。今私はその絶頂にいるようなものなので、気づくまでにえらいこと時間がかかってしまったと言う欠点もここに至るまでの必要不可欠な期間だったのだ、と超絶ポジティブに捉えられている。今までのネガティブが嘘のようだ。

山城早織。京都在住の現在20歳。性別は女だけどわりとどちらでもない。おそらくこれからもどちらでもないだろうし、日によってどちらかに寄るだろう。はっきりと決めずに曖昧なくらいが、ぼくには一番ちょうどいい。
#エッセイ

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