「いいね罪」ふたたび
わたしは2022年の7月末~10月頭にかけてSNSで観察した結果を記事にした。
トランス活動家たち(「トランスジェンダーへの差別解消」のために活動している当事者やアライ)による同じような振る舞いを見かけたので記録として残す。
今回は「トランスヘイトツイートにいいねしてる」とつるし上げる手法である「いいね罪」について細かくみていきたい。
発端?
今回、糾弾対象になった方の名前で検索してみて、「トランスヘイト」と明確に関連づけられていたのは2023年2月5日19:44の以下のツイートである。
2月5日21:10にはいいね欄のスクリーンショットを添付したこのようなツイートがされた。
また、今回の糾弾対象がエゴサしていることを知ったうえで「安易なトランスヘイト」を諫言する22:09のツイートもあった。
どんな反応があったか(時系列)
「反省文」表明
【資料】引用RTやリプライで紹介されている、「トランス差別」に加担しないための情報やサイトのまとめ
糾弾対象が「ご指摘ありがとうございました」という謙虚な姿勢をみせると、以下のようにトランス活動家たちが参考になるサイトを色々教えてくれる。記録としてツイートを残しているだけなのでざっと確認する程度でかまわない。リンクはここの最後にまとめてある。
「トランス差別に加担しないための学び」のためにとリプライや引用RTで紹介されているサイトを整理してまとめた。
『ファースト・デイ わたしはハナ!』(ドラマ)
『トランスジェンダーとハリウッド: 過去、現在、そして』(Netflixドキュメンタリー)
以上がTwitterを観察して得た「客観的事実」であり、実際にあったツイート群である。
以下はいいね欄をつるし上げることのなにが問題なのかという個人的な考えを述べる。
「トランス」という曖昧なことば
まずは「トランス」の定義から始めなくてはならない。
定義がズレていると同じ言葉を使っていたとしても全く議論が成り立たなくなってしまうからだ。
定義が分からない対象を「差別した」「ヘイト」とは言えないだろう。
「とにかく差別やヘイトは良くないから反対」?
よく考えて欲しい。
あるマイノリティの要望通りにした場合、他のマイノリティの安全や権利とコンフリクトが発生する場合もあるだろう。
その場合に必要なのは「対話」「話し合い」であって「差別者」「ヘイター」とレッテルを貼って一方を黙らせることではないはずだ。
トランス活動家はよく「トランス差別に反対します」というハッシュタグをつけている。
この場合の「トランス」とはどの範囲を指すのだろう。
「トランスジェンダー」?「トランス女性(MtF)」?「トランスセクシュアル(GID)」?どれだろう。
トランスの後に続く言葉を省略することによって、都合よく解釈される余地を残しているのではないだろうか。
「トランス差別」に加担しないためにと紹介されていたサイトからトランスジェンダーの定義について言及されているところを抜粋する。
「性自認」ね、オーケーオーケー。個人的には人生で一度も「性別を自認」したことがないし、「性自認」は既存のジェンダーバイアス(男女役割分担についての固定観念や偏見)を強化するのでは?という懸念はあるものの、そういう概念があることは分かった。
でもその後がよく分からない。「性自認は個人の重要なアイデンティティであり、単なる自称とは異なります」。
もし、現実的にルールとして運用する場合、「性自認」という完全に主観的なアイデンティティを、第三者はどう判断すればいい?
他にも「トランス(トランスジェンダー・トランス女性)の定義」について言及されているかどうか、目がショボショボになるまで「学び」のサイトを読ませてもらったけど、とにかく「包括的」であることが善とされていて、あとはなんか全体的に文学的すぎて正直よく分からなかった。
むしろわたしに「トランス(トランスジェンダー・トランス女性)の定義」を教えて欲しい。
わたしが国連のHPをベースとして今のところ認識している「トランス」の定義、「トランス女性」という用語における問題点を提示しておく。
「トランス」の定義
①トランス女性はGIDだけでなく、身体違和がなくて性別適合手術を望まない性自認女性や性指向が女性である場合もある
②トランス女性はトランスジェンダーに含まれる
③国連の定義、アンブレラタームによると「トランスジェンダー」にオートガイネフィリアとトランスヴェスタイトが含まれる
「トランス女性」という用語の問題点
・正確にいえば「性自認で女性を自認する男性」あるいは「性自認思想の男」なのに、本人の希望どおりに「トランス女性」と呼ぶことがすでに相手の主観に合わせた接待となってしまっており、「トランス女性」と呼ぶことで本人が現実とは異なる認識を維持するためのイネイブラーとなっている可能性がある
・「トランス女性=GID」と思いこんでいる世間の同情心を利用しているのではないか
・トランス女性は身体違和がなく性別適合手術を望まずに男性の身体のままだったり、性指向が女性である場合もあることを明らかにしていない
・オートガイネフィリアやクロスドレッサーの存在を無視している
・「トランス女性」ではない女性のことを「シス女性」とよぶことで従来の「女性」という言葉の意味が上書きされてしまっている
GID=Gender Identity Disorderの略。性同一性障害/トランスセクシュアルのこと。
トランスヴェスタイト=クロスドレッサー(異性装者)のこと。
オートガイネフィリア=男性が自身を女性だと思うことにより性的興奮する性嗜好のパラフィリアの一種。
問題はもうひとつある。
「トランス」の定義がなんであれ、この言葉を使う人の立場や認識の程度によって「トランス」という言葉の指し示す意味が異なってしまうのだ。
わたしは以前Twitterで「トランス女性」の女子スポーツ参加について発言したら「競技者をクラスタリングする基準やその根拠がなんなのか」という話で延々と絡まれたことがあるのだが、レスバをするうちに相手がこんなことを言いだした。
「男性的肉体を持って生まれた女性」?What???
そんなガバ認識の状態で絡んできたんですか?
わたしの認識している「トランス女性の定義」と大きく異なっている。
厳密にいえばわたしは客観的事実として「トランス女性は(身体)男性である」と認識している。
身体能力を競うスポーツになぜ身体性を無視した性別の区分を持ち込みたがるのかずっと不可解に思っていたのだが、どうやら最初の前提からして不毛な議論だったようだ。
(完全に余談だが、この時のレスバ相手は「違う宗教の本拠地に乗り込んだらそうなりますわよね。誰でも地球平面説論者の中に放り込まれたらフルボッコでしょう」と一連の流れをみていた人に慰められており、「は???どっちが地球平面説論者やねん💢」とわたしの怒りにガソリンを注いだのでここに書いて昇華/消火する)
この苦い経験により、わたしは「トランス」について議論する場合は双方で定義が一致しているかどうかを最初に確認しておく必要性を学んだ。
そしてTwitterで観察すると「トランス差別に反対します」と言っている人たちの一部はどうやら、「トランス女性=性同一性障害であり性指向が男性」と狭い範囲で認識してそうな人も見受けられた。
議論をする前に確認したいこと
・トランス女性=GID(性同一性障害)だと思っていませんか?
・トランス女性とトランスジェンダーの違いを知っていますか?
・トランスジェンダーにはオートガイネフィリアとトランスヴェスタイトも含まれると考えていますか?
・トランスジェンダーと性分化疾患(DSDs)の違いを理解していますか?
わたしはトランスジェンダーにまつわる議論を2年近くツイ廃になって追い続けてるのに、それでもまだトランス活動家のいう「トランス」の定義がよく分からないのって逆にすごい。
ここまできたらむしろ意図的に隠蔽しているとさえ思う。
トランスの定義について周知する気はあるんだろうか。
まさか最初から周知するつもりなくて「トランス女性は女性です」と「No debate」の二本柱でセルフIDまで押し切るつもりなんでしょうか。
※ジェンダー・セルフID(ジェンダーセルフアイディー、Gender self-identification)とは、法的性別は、医学的要件なしに性自認によって決定されるべきであるという概念。これに基づいた、性自認で法的性別変更を可能とする制度をジェンダー・セルフID制度(セルフID制度)という。
法的な性別変更の要件から性別適合手術と精神科医による診断を無くし、性自認基準とする制度導入は、トランスジェンダー権利運動の主要な論点の一つである。
このカタカナが多くてややこしい複雑な概念を自分の子どもとか母親とかおばあちゃんに説明して理解してもらえる?
この概念に沿った基準を用いて公共のスペースを運用したら現場が混乱しない?
そして混乱した現場でもし万が一何かあった場合、「トランス女性」の定義がはっきりしていなかったことを、まるでウソをつかれて騙されたように感じてしまい、「トランス」当事者に対しても憎悪が向いてしまうのではないか?
どんなツイートが「トランスヘイト」とされたのか
では「トランス(トランスジェンダー・トランス女性)」の定義を踏まえたうえで、次に糾弾者が「ヘイト」の証拠としてあげていたスクリーンショットにある7つのツイートの文面を載せ、それぞれ考察していく。
先に言っておくがわたしはこれらのツイートはトランスヘイトだと思っていない。これらのツイート主たちが「トランスヘイター」というレッテルを貼られていることも理不尽だと思っている。
例1 女性が安全を求めるのは「トランスヘイト」なのか?
わたし自身、過去に痴漢されたり変質者につきまとわれたことがあり、基本的には男性を信用していない。
男性と女性ではもとの骨格や筋力が違い、男性が本気を出したら女性はほとんどの場合で敵わないことは十分すぎるほど知っている。
ミサンドリー(misandry:男性への嫌悪あるいは憎悪)と言われるのかもしれないが、自認に関係なく、女性にとっては男性の身体そのものが脅威なのだ。
女性たちが自らの経験から得た男性に対する警戒心や危機感を「トランス差別になるから」と封じるのはガスライティングに相当するとわたしは考える。
そして予想される反論として「女性だって女性に性加害する」という意見がある。それでも性犯罪者の99%が男性であるという統計的事実は無視できないし、男女の身体差による脅威は段違いだ。
ずっと最初から性自認とかセクシュアリティに関係なく女性にとっては男性の身体というだけで脅威になるという話しかしてないのに、女性たちの警告を無視してこうも話が通じないのが不可解だ。
例2 身体の性別で区分されたトイレは「トランスヘイト」なのか?
トイレは身体が排泄する場なのでジェンダーではなく身体の性(セックス)で分けるべきだ。
現状は身体の性で区別されているという前提があるから無駄に疑わないで済んでいるのに、この前提がなくなったら自衛のために疑心暗鬼にならざるを得ない。
もしかするとトランス活動家たちは全てを「身体の区別をなくしたオールジェンダートイレ」にすることが包括的で素晴らしいと思っているのかもしれないが、男女共同便所とどこが違うのか分からないし今ですら盗撮のためにカメラが仕掛けられたりしているので、トイレの身体区別をなくした場合は確実に治安が悪くなる。
全てのトイレが「身体の区別をなくしたオールジェンダートイレ」になったシチュエーションを考えてみよう。
①男性用小便器が併設される場合は近くを通るのが気まずいし、性的嫌がらせのためにわざと男性器を見せつけてくる男性が現れることも想定できる。
②洋式便器の個室だけの場合は「男性が立ったまま洋式便器に小用を足したときの飛び散りによる汚れ」が確実にある(※LIONの調査によると立ったまま小用をする男性は45%いる)ので、外出先のトイレ利用をためらってしまうだろう。
そしてどちらの場合であっても性犯罪者にとっては実行するハードルが下がるため、日本は未だに泣き寝入りする性被害者が多いのに多様性の上澄みだけを輸入して全てを「身体の区別をなくしたオールジェンダートイレ」にしたところで、大惨事が起こるのは火を見るよりも明らかだ。
例3 女性を叩く材料としてのプロパガンダなのか
個人的な経験だがTwitterで例1や例2のような、女性の安全や権利に関する意見を発信すると、「トランス女性は女性」「トランス差別は許さない」と謳う 男 性 た ち から クソリプや罵倒 厳しめのお言葉を投げつけられることが大変多く、「なぜ女性スペースを使う当事者ですらない男性たちがこんなにイキイキと水を得た魚のように絡んでくるのだろう」と不快に思っていたので、一部の男性にとってこの話題は女性(のようにみえる)アカウントに対する、支配欲/ウザ絡みしたい欲/加害欲/高みから説教欲/マンスプレイニング欲/男性を警戒して受け入れない女性を罰したい欲etc……を満たす要素があると考えざるを得ない。
例4 男性の権利問題?
例3のように、女性スペースや女子スポーツの参加において「トランス女性」が女性の安全や権利と衝突することについて、どこからともなく男性の擁護者たちがあらわれてくる。
つい先日、内診台を茶化してyahooニュースにもなっていた、しょご先生という(自称)性教育YouTuberが話題をそらそうとしてか「トイレを使うことは犯罪ではないです。性自認を理由に他人のトイレへの使用を拒むことが犯罪だよ」と言っていた。
わざと曲解して印象操作しているのか知らないが「トイレを使うな」と言っているわけではない。
トランス女性は性別適合手術を望まずに身体が男性のまま性指向が女性の場合もあるし、悪意があって「性自認を女性」と装っている男性との区別ができないため、女性の安全面についても考えなければいけないと意見しているのだ。
「性自認を疑うことは差別」であり、「女性が性被害に遭うのは性犯罪者のせい!」というのは、女性たちに対して「不審者を疑わずに信頼してそのせいで性被害に遭うとしてもかまわない」と言っているのに等しい、とても無責任な発言だ。
女性トイレを使う当事者でもないのに口を挟んでくるのは、女性たちの不安を煽るのが楽しいからだろうか。
女性トイレで性被害に遭う心配がなく、産婦人科で内診台に乗ることのない男性はお気楽そうで心底うらやましい。
「トランス女性は女性です」と擁護して女性たちを黙らせる男性たちは果たして心の底からそう思っているのだろうか。
彼らはトランス女性を擁護することが「男性の権利拡張」だと思っているからここまで熱心に口を挟んでくるのではないか?
フェミニズムの他のトピックに関しても同じくらいの熱意で発信してもらえば女性としては大変心強いのだが、現実はこんなありさまだ。
例5 発言に対する批判が「トランス女性」への差別だとすり替えられている
このツイートはトランス女性であるイシヅカユウ氏に対する批判という文脈で引用RTとして書かれたものだ。
議論をたどっていけるように、引用された元のツイートを添付する。
これはわたしの意見だが、イシヅカユウ氏は「トランス女性」のモデル/俳優として活躍している日本で数少ないセクシュアルマイノリティの著名人であるため、良くも悪くも注目を浴びてしまうのだろう。
イシヅカユウ氏個人のセクシュアリティがどうであるかという問題ではなく、「トランス女性」の定義でいえば、身体違和がなく(つまり性別適合手術を望まないので身体は男性のまま)で性指向が女性の場合もあるため、女性スペースの利用に関しては「トランス女性」として名の知れたイシヅカユウ氏の回答しだいで悪用される場合も考えられるということを批判者は問題視しているのだろう。
イシヅカユウ氏は「トランス女性」という立場で「『妊娠・出産でキャリアが途絶え、周りと比べても焦ってしまう。』4人の賢者が答える、未来のための相談室」で妊娠・出産する女性へのアドバイスをしている一方で、Twitterにおける発言を批判されてきてもいる。
過去の発言のスクリーンショットを載せよう。
自分がトイレに行きづらいからって他の人にまで八つ当たりするのはやめてほしい。女性は男性よりも尿道が短くて膀胱炎になりやすくて血尿が出たり腎盂腎炎にまで進行する場合があるし、生理中にタンポンを交換できないとトキシックショック症候群(TSS)になる危険もある。
「私に誹謗中傷しているのはフェミニズムを騙った差別主義者で、フェミニストではありません」に注目すると、イシヅカユウ氏は自分個人に対する批判を「誹謗中傷」ととらえ、発言を批判する相手を「差別主義者」といっている。個人への批判を「トランス女性」というマイノリティへの差別だとすりかえている。
イシヅカユウ氏個人が著名人である立場にもかかわらず不誠実な返答を繰り返していることへの批判を「トランス女性」全体へのヘイトとみなすことも、すりかえに該当するだろう。
「心は女性」の「トランス女性」が「女性として生きる」からには、他の女性たちが想定している主に女性スペースにおける安全面の懸念に対して配慮して発言してほしいと願うのは「ヘイト」なのだろうか。
例6 女性の生きづらさはトランスすることで解決するか?
現在でも根深く残っている女性差別は、本人が性別をどう自認しているのであれ身体の性別が女性であるがゆえに起こっているため、たとえ女性が「トランス」して「性別移行」したとしてもジェンダーバイアスを維持することになり、女性差別構造は温存されてしまう。
わたしたちは心だけで生きているのではないため、身体は無視できない。
身体が女性であるゆえにある女性差別を見て見ぬふりはできない。
例7 女子トイレや女湯にいる「男性」
まず最初に、迷惑行為をおこなわずに埋没して暮らしているトランス当事者が大勢いるという前提を書いておく。
しかし、一部のトランス当事者の振る舞いが目に余るのだ。
2022年12月6日に話題になったスザンヌみさき氏のツイートを例に挙げる。
スザンヌみさき氏はGIDの診断書をもらい性別適合手術を受けたうえで戸籍女性となったトランス女性である。
GIDの診断がおりていて正式に手続きをして法的に戸籍女性となった人ですらこういうことを発信してしまっていることにわたしは驚いた。
「心が女」ならば、ただ身体をきれいにしてリラックスする場である女湯のことをわざわざ「お○ぱい桃々ぷにぷに天国」と言わないし、女湯に入って「マシュマロぱいぱいを拝んできました」と思わないし、それをさも特別なことのように動画にまでしないはずだ。「心が女」とは何だろう。
スザンヌみさき氏が前に書いた「MTFが女湯(女風呂)に入る法的問題と女子トイレ問題は同じ」というブログで、「ニューハーフが女湯で竿を見られたけど平気だった話」という記事が紹介されている。(リンクは魚拓)
(記事には「※正しくはMtFトランスジェンダーについての記事です。伝わりやすさの為に便宜的にニューハーフという言葉を使っています」という注がある)
MtFトランスジェンダーは、「GIDだけでなく、身体違和がなくて性別適合手術を望まない性自認女性や性指向が女性である場合も含む」ため、女湯を使う女性たちがこの事実を知ったら動揺することもあるだろう。
女湯を使う女性当事者たちの了解が得られないまま、「女湯には身体が女性の人しかいない」という前提がくつがえされ、「女湯で他人の身体を不躾にみない」「女湯で居合わせた他人の身体に対する感想をぺらぺらと喋り、それを動画にしてSNSで流さない」といった最低限のモラルが守られない状況がうまれてしまった。
このように女性スペースにおける暗黙のルールが破壊され、女性当事者たちの安心感が損なわれている状況で、公共の福祉にかかわることを「知らぬが仏」で済まそうとするのは不誠実だ。
最近、回転寿司屋における不適切な振る舞いの動画がSNSで拡散され、「客のモラルに頼った少数管理の飲食ビジネスモデルを根底から揺るがすものであり、店と客同士の相互信頼が失われる由々しき事態である」かのように批判されている。
回転寿司の騒ぎに比較すると、身体が男性である「トランス」の女性スペース利用がそこまで問題視されていないのは以下のような理由ではないかとわたしは考えている。
・女性が見られたところで「減るもんじゃないし」って思っているから
・「善良な男性」を警戒するのは「悪い女」だから
・性被害者たちのトラウマを軽く考えているから
・何かあればすぐに通報すればいいと他人事だから
・女性に我慢させて女性が受け入れれば全部解決すると思ってるから
ここまで「トランスヘイト」の証拠として添付されたスクリーンショットに載せられたツイートを例1~例7まで考察してきた。
もう一度確認するが、果たしてこれらのツイートに「いいね」を押すことが「トランスヘイト」と言えるのだろうか。
「ヘイター」「差別者」というレッテル
今回槍玉に挙げられた志村貴子氏に対しては以下のようなエアリプがされていた。
「ヘイト」という重い言葉を他者に向けるのならば最低限その根拠を示す必要があると思うが、「噓でしょ……」「信じてたのに」というような感想ばかりで、具体的にどこが差別なのか指摘するような意見は見当たらない。
美徳シグナリング(virtue signaling)のために、他者に対し「差別者」「ヘイター」の汚名を着せているようにみえる。
※美徳シグナリング(virtue signaling):自分は「virtue」(美徳)にあふれた道徳的に良い人間であるというアピールを、主にソーシャルメディアなどですること。
志村貴子氏がトランスヘイトをしていると嘆いている人たちのなかに、前項で考察してきた例1~例7のツイートを「トランスヘイト」と判断した根拠を(「○○がそう言ってるから」という理由ではなく)自分の言葉で説明できる人が果たしてどれくらいいるのだろう。
意見する女性への牽制と威嚇
わたしは元々持っていたアカウントでMtFの女子スポーツ参加に関しての疑問をつぶやいたら、トランスジェンダーの権利に関心のあるフォロワーに「公正のため色々な議論が進んでいます」といわれ、文献のリンクをバババとメンションで飛ばされたことがある。(他のひとも同じようにいきなり分権が送られてきた言っていたので「文献バババ」はわたしだけに限った現象ではなかったらしい)
その勢いに驚きながらも、治療で男女の身体的性差が無視できると考えていることが理解できず、自分が納得できないことにYESは言えなかった。男女の違いはテストステロン値だけではない。
医学は昔よりは進歩しているけど万能じゃない。
当時はトランス差別者/トランスヘイター/トランスフォビア/TERFと見なされるや否や誹謗中傷にとどまらず、身元まで特定されてアカウントを消した人も多く、わたしは(ちゃんと文献読んで勉強してからでないと疑問すら発信しちゃダメなのかな……)と萎縮して、この話題に関して1年くらいは沈黙して情報収集のために双方の意見や議論を観察していた。
その間もフォロワーの多いフェミニストアカウントや名前を出して活動している女性アカウントがどんどん「反省文」や「トランス女性は女性です」と表明したり、懸念を示している女性は鍵垢になってしまった。
「いいね罪」で標的にされるのは名前を出して活動している女性ばかりで、ターゲットになってしまったのは気の毒に思う。
それくらいこの手法は見せしめのような効果があり、卑劣だ。
糾弾している側は実際に意見をひるがえしてトランス活動家に転向するかどうかよりも、異をとなえる女性をさらし者にしてこの議論を注意深く見守っている女性たちに失望感や無力感を与えるパフォーマンスも兼ねているのだろう。
これはまさしく発言する女性たちに対しての牽制と威嚇だ。
大勢に一気に詰め寄られて動揺するのは仕方ないにしても、その「反省文」をみた女性が安全や権利をないがしろにされてるように感じたり、自分の経験から生じている違和感や危機感は「差別的」なのではないかと疑わざるを得なくなっていることも少しは想像してみてほしい。
男性への警戒を解いた場合に被害に遭うのは誰なのかということも。
収束、そして
今回は「いいね罪」について考察してきた。
「いいね罪」は糾弾する勢いこそ苛烈なものの、ほとんどの場合は数日も続かない。
ところが3日も経たないうちにトランス活動家はまた新たな標的を見つけたようだ。
アンチヒューマンゾンビ氏のツイートには以下のようにどんなツイートをRTしたのかのスクリーンショットが添付されていた。
おいおい……こないだ「いいね罪」で糾弾したばっかりだろ……
どんどんサイクルが短くなってないか?
標的になったのはまたも個人名を出して創作活動をしている女性(のようにみえる)アカウントだ。
この方は話題になってすぐ鍵垢になり(2月8日)、その翌日(2月9日)にはアカウントが削除されてしまった。
かくして「○○の作者はトランスヘイターになった」という不名誉な評判だけが残った。
これで満足ですか?
「しんどい」?「ショック」?
あまりにもカジュアルに他者に対して「差別者」「ヘイター」の汚名を着せるのに、ご自分の傷つきに対しては随分と繊細でいらっしゃるんですね。
わたしのこの記事にも「閲覧注意⚠️」と但し書きをしたほうがよろしいでしょうか?
「差別言説にいいねした」とつるし上げる糾弾者たちは「トランス」の定義を把握したうえで、具体的にどんなツイートを「差別言説」だと思ったんでしょうか。
この流れ、何回繰り返せば気が済むんですか?
補足
この記事で何度かツイートを引用したアンチヒューマンゾンビ氏は以前、渡辺ペコ氏に対して今回と全く同じようにつるし上げたという経歴がある。(画像参照)
「このような形でトランスジェンダーの当事者に対して圧力をかけることは言論の自由の観点からも非常に問題があると思います」???
よくもここまで自らの振る舞いを棚にあげられたものだなと心底呆れている。
「言論の自由」を憂慮するならば、まず自分が他者をつるし上げることを止めてみてはどうだろう。
わたしはこのような発信を繰り返す人物を肯定的な文脈でとりあげる人たちの良識やリテラシーの欠如が心配だ。