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「#ペドフィリア差別に反対します」というハッシュタグの背景

【注意】この記事には「ペドフィリア」に対する擁護的な言及や、性被害者への二次加害やフラッシュバックをおこしている様子の投稿(文面)のスクリーンショット画像があります。


「#ペドフィリア差別に反対します」というハッシュタグが出回った背景

8月29日頃から、Xにおいて「#ペドフィリア差別に反対します」というハッシュタグや「ペドフィリア」という言葉がトレンド入りしていた。

わたしの見ていた光景だと、「あらゆる差別に反対します」と反差別を掲げるなかで特に先鋭的な意見の人たちが、積極的に「#ペドフィリア差別に反対します」というハッシュタグを使っていた。
そして一部の(アカウント名の横にレインボーフラッグやトランスフラッグを載せているような)人たちが、そのハッシュタグに連帯したりペドフィリアに擁護的な発言をしていた。

しかし「『ペドフィリア差別を許すな』って言ってる人たち、トランスヘイターですよ」「分断工作」「噓言ってんじゃないよ」「(このハッシュタグは)差別者が作ったんじゃないか」などの誤解が生じて混乱していた。

大まかな流れとしては栗原さんが把握している通りなのだが、

Xで説明するにはとても長くなりそうなので、ここでわたしがMastodonやXで観察した事実関係を記録として残すことにする。

チャイルドマレスターとペドフィリアの定義

まず最初に「チャイルド・マレスター」「ペドフィリア」という言葉の意味を確認しておく。

チャイルド・マレスター (child molester) は、子供にみだらなことをする人間のことを指す用語。日本語では児童性虐待者または小児性犯罪者などと訳される。
ペドフィリア(英: pedophilia)とは、幼児・小児(通常13歳以下)を対象とした性愛・性的嗜好のこと。 略して俗にペドと呼ばれる。

Wikipediaより

(参考)


Mastodonにて

わたしは6月ごろから、Mastodonで「#ペドフィリア差別に反対します」「#チャイルドマレスターとペドフィリアはちがいます」「#ズーフィリア差別に反対します」「#性的欲求そのものは加害ではない」というハッシュタグが使われていることを把握していた。
だいぶ尖った思想だなと驚いたわたしはそれらのタグを使っている界隈を観察することにした。

タグを使っている例

すると8月7日に『イン・クィア・タイム』という本の翻訳者である村上さつきさんがMastodonとXの両方で以下のような意見を表明した。

インクィアタイム訳者、そしてクリエイターの「村上さつき」としての立場は、「ペドフィリア差別を含む、全ての差別に対する、適に言明を伴う、積極的な反対」すなわち「反差別」です。

https://mstdn.books-lighthouse.com/@sazki_m/110846907828237393
このアカウントは凍結されたのでスクリーンショットを載せる
https://mstdn.books-lighthouse.com/@sazki_m/110847067405497596

『イン・クィア・タイム』とはころからという出版社から2023年の8月に出版されたばかりの本である。2022年の8月に出版された本である。

なぜ急に『イン・クィア・タイム』という本が出てきたのか分からなかったが、この本は村上さつきさんが翻訳者であり、王谷晶さんの発言で何らかの「ペドフィリア差別」と捉えられるような発言があり、王谷晶さんが『イン・クィア・タイム』の帯に文章を書いていたことについて、出版社に抗議した人が複数名いたらしいことがわかった。

https://mstdn.books-lighthouse.com/@sazki_m/110847080320360786

村上さつきさんのこの発言をみて、Xでの王谷晶さんの投稿を数か月ほどさかのぼってペドフィリアに言及されている投稿を検索してみたところ、以下の投稿が該当するようだった。

まじで「LGBTQのQにはペドフィリアが含まれる」というデマが知らないうちにかなり広まっているみたいで驚いた…… 私もロイターのファクトチェック張りますが日本語でいい記事ないのかな

普通に考えたらそんなことあるわけなかんべよ、というとんでもない話でも、差別心や恐怖心を媒介にあっという間に結び付けられて特定の界隈では「事実」になってしまうのは本当に怖い。自分も気をつけたい。

特定の属性や相手を悪魔化して見ていると、どんなトンデモ話でも「あいつらならそれくらいやりかねない」と信じ込んでしまいがち。それはデマになり陰謀論になり社会を損壊する流れを作ってしまう。これは思想の左右やジェンダーそのほか関係なく起こると思うので、ほんと気をつけよ……。


https://mstdn.books-lighthouse.com/@sazki_m/110847083707613339
https://mstdn.books-lighthouse.com/@chilly_hacca/110845587627185248
https://mstdn.books-lighthouse.com/@chilly_hacca/110847445964488569
https://mstdn.books-lighthouse.com/@sykality/110848903238641682
https://toot.blue/@nomoon256/110871989311104886

この方たちの主張によるとどうやら「ペドフィリアとチャイルドマレスターは異なり、実際に加害するのはチャイルドマレスターなのだから、小児への性加害について言及する際にペドフィリアという言葉を用いることはペドフィリアに対する“差別”」だと考えているようだ。
(※わたしはこの意見には同意していない)

https://mstdn.books-lighthouse.com/@chilly_hacca/110852540782631212

そしてこのように「ペドフィリア」と「パンセクシュアル」「ヘテロセクシュアル」を並列していた。

コバヤシアヤノさんによる、出版社 ころから への抗議文

コバヤシアヤノさん(@KobayashiA65731)(現在は鍵垢)というアカウントが、ころからに抗議した経緯を何枚かにわけてgoogle documentで公開していた。

魚拓 https://archive.vn/dNvR5

その抗議文のスクリーンショットを載せる。

実際の問い合わせ内容
①「コバヤシアヤノ側からの問い合わせ」
上のスクリーンショットで貼られていたリンク↓
https://docs.google.com/document/d/1XiU1HBA4wQC6pHBUG0tLI5E5lVSMhsYDMrrWnki0moA/edit?usp=drivesdk

このスクリーンショットをみると「王谷晶はペドフィリア差別を発信しています ペドフィリアをチャイルドマレスターと混同し、そしてLGBTQ+と一緒にしてはならない、としています」と主張し、「Qにペドフィリアが含まれるのはデマ」という王谷晶さんのXでの発言を問題視していた。

つまり、コバヤシアヤノさんは「ペドフィリアがLGBTQ+に含まれないことがペドフィリア差別である」と考えているということだ。

②「ころから側からの返信」
上のスクリーンショットで貼られていたリンク↓
https://docs.google.com/document/d/1RgPqXMUi5XyYKjgHnmy-8i_hLRYgYgvNYTrOB0iYUtw/edit?usp=drivesdk

この書面にリンクが貼ってある王谷晶さんの投稿は現在削除されているが、web archiveで確認したところ、以下のarchiveがもとのURLと一致していたので再掲する。

北丸雄二さんの投稿は以下の通り。

③「コバヤシアヤノ側からの返信」
上のスクリーンショットで貼られていたリンク↓
https://docs.google.com/document/d/1zyhr0jL833Zu668CuNoUX1ev-Q0U_EkShXOC738CqLI/edit?usp=drivesdk

出版社 ころから からのアナウンス

2023年8月28日、ころからから「『イン・クィア・タイム』の帯について」という声明が発表された。

ちなみに『イン・クィア・タイム』の帯の文面はこの写真で確認できる。

各位

このたび小社刊『イン・クィア・タイム アジアン・クィア作家短編集』(イン・イーシェン他編、村上さつき訳)に関して、作家の王谷晶さまにご寄稿いただいた帯コメントが本書にふさわしくないのではないか、一時的にせよ帯の取り外しや文言の差し替えを行うべきではないかとのご要望が寄せられています。社内で検討した結果、以下の理由から現時点ではご要望にお応えしかねることをお知らせいたします。

・当該の帯コメントにいかなる差別、排外の要素が含まれないため
・帯コメント以外のご発言に関しては、王谷さまの文責で行われており、小社として関知するものではないため
・本を販売する書店もまた出版社と同等の権利を有するクリエイターであるとの見地から、帯を付けて販売するか、外したり別の帯に差し替えて販売するなどの決定権は、小社同様に書店にもあると考えるため

なお、指摘されている王谷さまのご発言はインターネット上の公開の場でなされたものと認識しております。ゆえに、王谷さまに対する反論や異論の表明は、ネットユーザーの誰もが行うことができます。そうした公開の場で、どのようなレスポンスがなされるかについては、小社としても注視してまいりたいと考えております。

また、以下のことを社として明確にしておきたいと考えます。
「ころからは、ペドフィリアを含むあらゆる内心の自由について、いかなる制限もなく保障されるべきだと考えております。」
以上、ご理解いただければ幸甚です。

2023年8月
ころから株式会社
代表取締役 木瀬貴吉

抗議者は王谷晶さんのSNSでの発言を問題視していたのにもかかわらず、ころから側は「帯コメントが本書にふさわしくないのではないか」と書いていて、帯コメントの文面に問題があったかのように発表している。
(これはわたしの推測だが、もしかすると、ころからは論点をずらすことで「社との見解として、ペドフィリアを含めてLGBTQと認めている」旨の言質をとられることを避けたのかもしれない)

王谷晶さんの謝罪文

8月29日14:19、王谷晶さんによる謝罪文が投稿された。

以前単行本『イン・クィア・タイム』の帯を寄稿したころから社から以下のアナウンスが出ました。他の版元様から経由でも同様のご指摘をいただき、ペドフィリアとチャイルドマレスターを混同しペドフィリア差別を助長していると思われる自己の過去ツイートをいくつか削除いたしました。帯の取り扱いにつきましては各版元・書店さん等にご判断をお任せしたいと思います。私のほうとしましてはもちろん外していただいてかまいません。→

改めまして今後も全ての差別に反対しているという自らの言葉に矛盾しないよう強く気をつけたいと思います。あらゆるセクシュアリティは他者の人権を侵害する行為以外の権利は全て有しており、内心の自由は保証されるべきという考えです。→

ご指摘の労を煩わせてしまった皆様、また私の発言で苦しめてしまった皆様、誠に申し訳ありませんでした。現在業務の関係でまとまった時間がとれず、Twitter上のみでの対応になることをお許しください。

自分の認識の間違い、勉強不足によりセクシュアリティのひとつであるペドフィリアと現実に加害行為を行うチャイルドマレスターを混合させ、特定のセクシュアリティを犯罪・加害と結びつけ周縁化するような発言をしたことを反省します。この二つは混同して語ってはいけないものです。→
あらゆるセクシュアリティへの差別と暴力に反対する者として、ペドフィリア差別にも反対します。
また言うまでもないですが今件を指摘をしてくださった方々に対する攻撃、陰口などはやめてください。私はこの件に関して庇われること、慰められること、一切望んでおりません。何卒よろしくお願いします。

ころからへの批判や王谷晶さんに対する糾弾

ころからが社のHPに声明を載せたり、王谷さんが謝罪文を書いて以降も批判や糾弾が続いた。

①村上さつきさん

このアカウントは凍結されたため、スクリーンショットを載せる。

②坪井里緒さん

このアカウントも凍結されたため、スクリーンショットを載せる。

③コバヤシアヤノさん

現在鍵垢になっているため、鍵垢になる前にこのアカウントは凍結されたため、残せた範囲でのスクリーンショットを載せる。

④じゅごんさん

8月30日ころから王谷晶さんが「謝罪文」を削除し、

このように、幼児期に受けた性被害を思い出したことにより大変な動揺がみられるなか、それでもなお引用で執拗に詰問される様子が見ていられず、わたしは名指しして糾弾者の振る舞いを指摘した。

※余談になるが、じゅごんさんは『美とミソジニー』という本の陳列についてジュンク堂に抗議した人でもある。

じゅごんさんの投稿に添付されていた画像1/3
じゅごんさんの投稿に添付されていた画像2/3
じゅごんさんの投稿に添付されていた画像3/3

⑤しぃさん

「#ペドフィリア差別に反対します」に連帯する人や擁護的な意見を表明する人たち

※「#ペドフィリア差別に反対します」のタグをつけていた小島包さんは、諫めるような呉樹さんの投稿をきっかけにしたのか、以下の理由を述べて投稿を削除した。

ツイート画面のスクショ。以下内容:
ほんの少しでも「当事者」の立場に立って考えてたらこんなことできるか? ジャニー喜多川や四谷大塚の事件が衆目を集めている今、ハッシュタグまで作って、ときにはトランスジェンダー差別の問題と並べて、「反差別を表明」することが、この荒んだ言論空間でどのような反応をもって迎えられどのような「議論」を巻き起こすか、それが当事者にとって(ついでにトランスジェンダーにとっても)どれほどの負担となり得るか、想像を巡らすことはしなかったのか? 想像しようとしなかったというのなら、その表明は誰のための表明だ?

(さすがにこのハッシュタグの使用を諫めるような方がいたのは、どこか救いのように思える。しかし「『議論』を辞めないフェミニストは恥を知れ。」の意味が分からない。「勝ちに行く」ためにペドフィリアの話題に関してはno debateで曖昧にしておくということなのだろうか?)

たぬきのたからばこさんの連続スレッドでは、
最初に(コバヤシアヤノさんが問題視していた)王谷晶さんの投稿が引用されていた


王谷晶さんの動揺と混乱

8月30日の夜頃、王谷晶さんはより混乱・動揺してしまっているようだった。
(フラッシュバック注意)

その後、彼女はアカウントに鍵をかけ、9/2に予定されていたイベントの中止が発表された。


王谷晶さんによる経緯と現状の説明

8月31日14時半ごろ、王谷晶さん本人によりふせったーを通して経緯と現状の説明がされた。

@tori7810さんの伏せ字ツイート | fusetter(ふせったー)

「全ての差別に反対する」という言葉についてずっと考えていました。私はそれができると思っていたし、それを目指したいと思っていました。目指すべきだとは今も思っています。でも同時に今自分にそんな事を考える資格はないのかもしれないとも思っています。差別とは私の中では、生存がおびやかされること(自死に追いやられることも含め)、個ではなく属性のみを見られ暴力や偏見を受けること、とにかく命の問題だと思っています。そして個々の生存に優先順位をつけるのはおかしいですが、それでも全ての人の中でもより立場の弱いもの、未成年者の健やかな生活や安心を考えたいと思っています。

過日、過去の私のツイートにより差別が助長され、非常に辛い状況にある。それを削除し差別に反対してほしいというメールを頂きました。私は自分の言説で生存を脅かされる人が居てはいけないと思い、すぐに削除に対応し(その中には確かに揶揄や差別的な言葉も含まれていました)差別反対の旨を書き込みました。この差別反対とは、上記の通り誰もどんな属性の人も、暴力を受けたり死んだりしてほしくないという気持ちで行いました。その気持ちは今も変わらないです。しかし、これは拙速だったと今は思っています。ただでさえ未成年者にとって安全とは言えないTwitter空間で、2万人超のフォロワーに向けてその言葉を選んで表明をするのは配慮がありませんでした。この時の表明を見てショックを受けた方もいると思います。ここを読んでいただけているか分かりませんが、ごめんなさい。オープンな場での表明を求められていましたが、もっとクローズドな場で一度きちんとお話し合いをすべきでした。

その後も、私は自分の考えをまとめるためにいろいろなツイートを拙速にしました。これも間違った行為だったと思っています。混乱して浅い知識と理解でなされたからです。私のツイートに引用で訂正の希望がたくさん付きました。訂正を求める行為そのものは間違っていないと思います。ただたくさんの人から一度にそれが来て、一つ一つちゃんと考えないといけなかったのですがかなり混乱をしてしまいました。名前を呼び捨てで繰り返し呼ばれるのは個人的に辛かったです。自分もやらないようにしたいと思いました。とにかく私のせいで誰かの生存を脅かしてはいけないと思いました。これは利他的な気持ちだけでなく、私の保身や傲慢さも含まれていたと思います。自分は誰一人傷つけず差別もしないでいられるんだと、この時点ではまだ思い上がっていました。

そしてそのツイートを読んで、サバイバーの人たちが苦しい思いを吐露しているのを見て、はっとして、いくつかを削除や訂正しました。この時点でやっと、愚かにも、自分のツイートがサバイバーの方も読んでいることに思い至りました。以前にも何度か書きましたが、私もサバイバーです。隠していたわけではないですが、普段はあまり公表していないので、付き合いの短い人が知らないのはしょうがないことだと思います。一番古い記憶からだと37年、苦しさと消えない記憶を抱えて生活しています。だからサバイバーの人の事も考えたかった。申し訳ないと思った。トリガーを引かれた苦しさは私も持っているものです。後述の通り私も強いフラッシュバックが起きてしまい、まだ不具合が収まらないです。こんな強い心身の反応が起こるとは自分でも予想外で、思ってもいませんでした。

そこに「この文脈でサバイバーの話をするのは、属性と加害を結びつけることになる」と引用が来ました。それは、その指摘そのものは正しいと思います。特定の属性と被害経験を同一の文脈で語るには慎重さが必要です。その慎重さが私に無かったのは確かです。さらにその前に、一度削除した、属性の明確な名称を書いた差別反対の言葉を書くようにと強く要望を受けました。しかしそこでキャパシティが限界になってしまいました。個を見ずに属性全てを犯罪に結びつけるのは差別偏見で、それが広まる事により苦しんでいる当事者が適切なカウンセリングやサポートや医療含むケアに繋がりにくくなってしまうということを今回理解しました。それは分かります。そしてその属性の名称を見たり書いたりする事で苦しむのが差別心であり偏見だと言われたら、否定できません。

でも今の私には無理です。今はこれ以上その事について読んだり書いたりするのができません。その名称を自分の手で多数の未成年者やサバイバーの人たちに見せることもできません。自分の過去言説により引き起こされた他者の差別発言を諌め広く呼びかけて下さいとも要求を受けました。それもできません。ごめんなさい。それをしたら私が壊れてしまうと思います。

頭ではいろいろな事を冷静に理解したつもりですが、心身がついていけないです。学術的に属性名称と暴力行為を行う者は同一ではないというのは分かりました。でもそれをすっと飲み込んで、別なのだからフラッシュバックを起こす必要はない、とはなれませんでした。その言葉をただ純粋にその言葉として受け止められませんでした。他にも同じ状態になる人はいるんじゃないかと思うと本当に苦しく、申し訳ないです。自分の辛さを優先してしまってすみません。

誰の命も脅かされてほしくないというのは今も本心です。特に子どもたちへの暴力や搾取は一切許さない、大人はその発生を防ぐ努力をし、起きてしまった被害には全力でケアとサポートをするべきという考えも変わりません。しかし最早誰に何を言っても信じてもらえないかもしれません。でも私はこれ以上今は進めません。無責任で本当に申し訳ないです。
最後に、冒頭の方もいきなり私にメールをしたのではなく、出版社ころからから直接話し合ってはというサジェストがあってのことらしいです。私はこの対応が適切なのかどうかも今は自分の頭で判断できません。話し合いは人間同士必要不可欠なことですが、私の方が、その準備も覚悟もできていませんでした。そこに関しても申し訳なく思っています。

(現在、郷里の母に家に来てもらっています。なので心身の症状はありますが大丈夫です。暖かい言葉をかけて下さったみなさん、本当にありがとうございます。お一人づつに返信ができなくてすみません。お仕事で迷惑をかけてしまった皆様には、後日改めて直接お詫びをさせてください)

わたしは意見の違いからか王谷晶さんにブロックされているが、さすがにこの文章を読んで心が痛んだ。

糾弾者たちの反応

しかしそれでも「最悪です」「ペドフィリア差別反対できないみたいです」と不満があるようだった。

https://mstdn.books-lighthouse.com/@sazki_m/110982590314481347
https://mstdn.books-lighthouse.com/@chilly_hacca/110982603013516627
https://mstdn.books-lighthouse.com/@chilly_hacca/110982827649325657

「死者が出る」……?えーと、どんな立場で……??
坪井里緒さんの指す「当事者性の強い者やいま追い込まれている者」「当事者」とはペドフィリア当事者のことだろうか。

https://mstdn.books-lighthouse.com/@chilly_hacca/110982822810502843

ただ生きていて、“存在”するだけで有害だと、名前すら口に憚られる有害な者らなのだとしてしまう。命の「重さ」に差をつけ「より大切にされるべき存在」を決め打ち、排除することがどれだけの実存を奪うのか。“2万人超のフォロワーに向けてその言葉を選んで表明”することがどういう効果を為すか。
その2万の中にあなたが消した属性の者がいないといえるのか。加害をせず「行為」をせずに、ただ「生きている」者を排除できるか。今回の差別に反対する者の中にも、加害された子供や被害経験を持つ者も当然いる。その上で「属性と加害を紐付けることは、加害の抑止にはなり得ない」と言っている。
今回の差別に抵抗している者は、児童を対象とした性暴力・性加害に強く反対している。「惹かれ」そのものが加害でないと知っている。「惹かれ」そのものを行為と直結するのはほかの属性をも消してしまうことを、知っている。

https://mstdn.books-lighthouse.com/@chilly_hacca/110982825373863513

辛い状況下であることは分かっているし、今すぐにすべてを理解して欲しい、動いて欲しいなど全く思わない。引用で指摘していた者が「指摘」していたのは、差別を謝罪する文面の中に差別が含まれたらまずいからだ。差別が他者を殺す者で以上、「完璧な」反差別などひとりでは難しい以上、他者のまなざしなしには為し得ない。だから互いに指摘し合うし、批判し合う。批判は誹謗中傷ではないし、指摘はあら探しではない。ただ、それが今は辛いという感情は全く否定しない。一度持ち帰る、でいい。けれど立ち返るまでにこのような文章が流され続けるのであれば、当事者はどうすればいいのか。
ご自分がされていたトランス差別と向き合い、差別をやめると宣言されたあの文章(※)を読み直して頂きたいです。今まさに、あの文章で反省なさっていたことと、同様のことをしてしまっていると思います

※ご自分がされていたトランス差別と向き合い、差別をやめると宣言されたあの文章とは、「要約すると、『私は差別してた。差別やめる。差別やめよう』という話です」から始まる、王谷晶さんが自らの「トランス排除を反省」していることを表明したぷらいべったー(リンク 無題 - Privatter)のことと思われる。
(「トランス排除を反省」という言葉は【拡散希望】誰も排除しない、排除させないためのリンク集(2023/08/08更新) - mimemo に書いてある表現をそのまま用いた)

混乱して動揺している状態の人に意見表明をせまり、本人による経緯説明に対しても「最悪」「死人が出る」と表現していた。
反差別を掲げる以前にまず人として最低限の思いやりを持ったほうがよいのではないか?

坪井里緒さんによるスタンスの明示と経緯説明

https://mstdn.books-lighthouse.com/@chilly_hacca/110989148781296887
https://mstdn.books-lighthouse.com/@chilly_hacca/110989153548973791
https://mstdn.books-lighthouse.com/@chilly_hacca/110989156290935006
https://mstdn.books-lighthouse.com/@chilly_hacca/110989159567815396
https://mstdn.books-lighthouse.com/@chilly_hacca/110989162067983072


「ペドフィリア、チャイルド・マレスターと性的指向」というブログ

しぃさんが書いたこの「ペドフィリア、チャイルド・マレスターと性的指向」というこの記事を読んで、「納得するところや学ぶところがたくさんあった」という意見も散見された。

以下に、このブログに対するわたしの個人的な意見を述べる。

「ペドフィリアとチャイルドマレスターは違う」とペドフィリアを擁護している意見のブログを読んでみたけど、やはり同意できなかった。
ペドフィリアを肯定すること自体が、現実の児童や保護者に対する脅威になりうるのではないか?
最後にある「まとめ」を引用する。

まとめ
「LGBTQ+にはペドフィリアが含まれる!だから『LGBTQ+運動』は危険だ!」に対して、自分は次のように答えたい:
「性暴力もクィア差別も他者の自由と尊厳を奪う行為である。自分が信じる『LGBTQ+運動』は自由と尊厳を求める運動だから、性加害する「権利」もだれかを差別する「権利」も求める運動ではありえない。だが、「同意」のない対象を欲望することそれ自体も、その欲望を満たす目的で同意のない行為を模した性行為を同意のうえで行うことも、他者の自由や尊厳を奪う行為ではない。それでもなお、「キモチワルイ」「異常だ」以外の十分な理由も出せずにこれらが「規制」され「矯正」されるべきだと主張するのならば、ないしはそれを前提とするのならば、あなたが繰り返しているのは他者の自由と尊厳を奪う行為でしかないから、自分が信じる『LGBTQ+運動』は自由と尊厳を求める運動である以上、強く批判する。」

ペドフィリア、チャイルド・マレスターと性的指向 – sykality (wordpress.com)

この「『同意』のない対象を欲望することそれ自体も、その欲望を満たす目的で同意のない行為を模した性行為を同意のうえで行うことも、他者の自由や尊厳を奪う行為ではない」という部分に、わたしは異論を唱えたい。

行為自体は問題がないとしても、反復すると条件づけ学習になるし、小児に対して行為を行う心理的抵抗感がさがる懸念がある。

人間の理性を信頼しすぎているし、ペドフィルとチャイルドマレスターの違いすら理解できないまま行動する大人に対して、小児やその保護者たちにどう自衛しろというのだろう。
欲望を煽るだけ煽って、そのことが招く結果に対してあまりにも無責任すぎるのではないか?

戦時中の兵士は人殺しの訓練として人形を銃剣で突き刺したりしていたが、 「同意のない行為を模した性行為を同意のうえで行う」のも、非人道的行為への抵抗感を減らすことには変わりない。

東海林毅さんとのペドフィリアをめぐるやりとり

東海林毅さんのことは、トランス女性当事者でもあるイシヅカユウさんが主演を務める短編映画『片袖の魚』の監督として知っていた。
(わたしは『片袖の魚』も拝見しました)

Xで東海林毅さんのこのような投稿を見かけたので、わたしは証拠としてのスクリーンショットを添えて投稿したところ、
(※ペドフィリアに肯定的な言及をするアカウントは凍結されやすいという理由から)

ご本人からメンションが来て意見の表明を求められたので、やりとりの流れを記録しておく。

@000Gwen
「人間の情動に上下、貴賤は無い」「“治療”の対象にするな」という主張の〈①どの部分〉が〈②どのように〉「ヤバい」のか具体的にお示しください。

東海林毅さん、こんにちは
①異性/同性との性愛行為とペドフィリア(ネクロフィリア)を並列している点
②(ペドフィリアの)“治療”を否定しているように読める
ところが「ヤバい」と思いました
ペドフィリアは同意を取ることのできない小児に対する性加害ですし、ペドフィリアについて肯定的に言及する時点で小児へのヘイトスピーチであり、かつての小児性被害者への二次加害になりえます。
それとも「ペドフィリア」と「チャイルド・マレスター」は違うという言い訳をなさいますか?

まずは当前ですが性的同意を取れない小児に対する性行為は性暴力であり犯罪です。どこにも肯定する文言はありませんよ。
①異性/同性との性愛行為とペドフィリア(ネクロフィリア)を並列している点
 →性愛行為という点では同じですよね。違うんですか?
②(ペドフィリアの)“治療”を否定しているように読める
 → 人間の指向、嗜好共に“治療”で変える事には反対です。

東海林さんが異性/同性との性愛行為とペドフィリア(ネクロフィリア)を同じ「性愛」として扱っていることにより、「子どもの人権」という視点や「性被害者」「子どもを育てている親御さんたち」への配慮に欠け、「性的同意」という性愛に必須な概念を無視していることが分かりました。
わたしはペドフィリアとネクロフィリアのような性的同意を取り得ない嗜癖を表明したり、それらについて肯定的に言及することも子どもと保護者の心理的安全を損ない、性被害者に対する二次加害に相当するように思います。

また「人間の指向、嗜好共に“治療”で変える事には反対です」と、ペドフィリアの治療に対しても反対の立場を取られていることにも大変驚きました。
治療すらしないのであれば、欲望がエスカレートしていく一方ですよね。欲望を煽るだけ煽って、そのことが招くであろう悲惨な結果に対してあまりにも無責任すぎるのではないでしょうか。

(参照した投稿と添付されている画像)


ヘイトを許さない一市民(@nohate38306133)さん、画像お借りしました
ヘイトを許さない一市民(@nohate38306133)さん、画像お借りしました

今までいただいたご返信から、東海林さんのお考えに対するわたしの個人的な意見は「ヤバい」から「よりヤバい」になりました。
クィア理論を忠実に解釈するうえでは正しいのかもしれませんが、社会的コンセンサスを得るのは難しいのではないかと考えます。

お言葉ですが、トランス女性が主役を演じる数少ない映画作品「片袖の魚」の監督として、こういったことを公の場で発言したらどう受け止められるかという客観性と社会性、エスカレートした欲望がもたらす結果への想像力、「子どもを守る」という倫理観は、表現者として最低限でも持ち合わせたほうが良いのではないでしょうか。
わたしから申し上げられることは以上です。
長々と失礼しました。

この東海林毅さんは「令和5年度杉並区立男女平等推進センター啓発講座」で第3回 12/6「社会で生きる/トランスジェンダーとは」を担当されるようだ。

おわりに

これまでは主に実際にあった発言の記録としてスクリーンショットや投稿のリンクを中心に載せてきた。
ここではわたしの個人的な意見を述べる。

「LGBTQにペドフィリアが含まれる」というデマについて

「トランスヘイター/差別者たちがLGBTQにペドフィリアが含まれると主張している」と認識している人がいる。
例を挙げよう。
「Qにペドフィリアを含めてLGBTQ+全体が危険だと散々言ってきたのはトランスヘイターなのに」

※記事公開時には、この投稿のリンクを掲載していたが、被引用者から
「(自分の発言は間違ってないけれども)さらし上げのように感じる」との訴えがあったため、
元のリンクを削除し、アカウント名が見えないようにしてスクリーンショットを掲載した。

「なんでも最近『LGBTQ+にペドフィリアが紛れ込んでる』とQアノンが主張してんだって。トランスヘイトの主張がQアノンと被ってんのウケる」

「LGBTQにはペドフィリアも含む」というのは「ヘイト側が用意したクラシックな船」と表現する人もいた。

しかし、①「コバヤシアヤノ側からの問い合わせ」にあるように、コバヤシアヤノさんは「ペドフィリアがLGBTQ+に含まれないことがペドフィリア差別である」という考えでころからに抗議していた。

そしてわたしが継続して観察した光景によると、「#ペドフィリア差別に反対します」のハッシュタグに連帯したり、ペドフィリアに擁護的な意見を述べているのは、「あらゆる差別に反対します」と掲げ、ふだん積極的にトランスジェンダーの権利について発信してきた人たちも多くみられた。

トランスアライの意見の相違

清水晶子さんは「ペドフィリアはセクシュアリティの一つだと思いますし、ペドファイルはその意味ではセクシュアルマイノリティです。それは否定できない」と主張している。
(「性暴力や性虐待を許容しないこととは、別の話」とも言っているが、清水晶子さんは、ペドファイルを許容する風潮が小児への性暴力や性虐待を助長する可能性があることを考慮しないのだろうか?)

また、わたしと引用でやり取りした東海林毅さんは、杉並区立男女平等推進センター啓発講座で講演をするだけの発信力がありながらも、以下のような発言をしていた。

たしかに「#ペドフィリア差別に反対します」で連帯したり、反差別の観点からペドフィリアに擁護的な人はごく一部なのかもしれない。

しかし、そういったごく一部のひとが「Qにペドフィリアが含まれるのはデマ」という投稿をした王谷晶さんをつるし上げて、彼女が「ペドフィリア差別にも反対します」と謝罪するまでの事態になったし、
ころからという出版社に抗議して「ころからは、ペドフィリアを含むあらゆる内心の自由について、いかなる制限もなく保障されるべきだと考えております」という文面が出版社のHPに掲載されたのもゆるぎない事実だ。

わたしが観測できる範囲で把握しているなかでも10人に満たない人数でここまで影響力を及ぼせるとは驚きだ。(もしかしたらクローズドなコミュニティにはもっといるのかもしれないが)

そして「#ペドフィリア差別に反対します」というハッシュタグや「ペドフィリア」という言葉がトレンド入りするほど拡散されてしまった。
わたしはペドフィリアについて肯定的に言及することそのものが、小児へのヘイトスピーチだし、小児性被害サバイバーたちへの二次加害になるし、子どもを育てている親御さんたちへの心理的な脅威になると思う。

わたしがこの記事で掲載したスクリーンショット群や投稿の数々も、別にわたしがアライになりすましてフォロ―して潜入して収集していたわけでなく、発信者が鍵垢でなかったり全体の公開範囲で投稿されていたものばかりだ。

SNSというのは多くの人の目に触れるところで、そういった場所でペドフィリアに擁護的な意見を表明することが、すでに内心で済まなくなっている段階なのではないだろうか。

ペドフィリアがLGBTQに含まれる、はずがない。全く性質が違うでしょう。含まれるといわないと「ペドフィリア差別」だ、なんて、あり得ないです。子どもの性的同意というものを観念できない以上、ペドフィリアの願望はそれ自体が加害的であり、したがって「ペドフィリアだ」という【表明】を人目に触れる何らかの方法ですることはそれ自体加害性があるわけで、それを怖がり警戒することは何も差別ではないでしょう。加害行為への恐怖なのだから。これはペドフィリアの外部的行為であって内心の自由に留まるものではない。
ペドフィリアを表明せず何の加害行為もせず内心に留めているにもかかわらず何かであぶりだそうとし、「犯罪を犯さないように予防拘禁しよう」とかしたら問題だが、どうも今取り沙汰されている言説は、そういうことについて「ペドフィリア差別しないで」といってるわけじゃないでしょう。 
自分の願望に加害性があることを承知している人は、他者に恐怖感を与えないよう、自分の内心になんらか折り合いをつけた行動をとることもできるはずで、あえてそうしないことを警戒されるのは仕方ないことです。そういう警戒を非難するのはおかしい。
子どもを性的対象にする表象や願望を堂々と公共空間に流すことは明らかに加害性がある(これは実はペドフィリアなのか、厳密にはそれとは違うものも混じっていることもあり得るとも思いますが)。少なくとも今の日本社会には実際に、例えば子どもが性的対象として描かれる表象が公的団体の広報に載るほど、子どもの性的対象化に無頓着すぎる現象が横行していて、こういうことは、特に子ども時代に性被害に遭ったことがある人や、今現に性被害を怖れている子どもや保護者に恐怖感を与えている。そういうことが横行しているのはつくづくひどいと思います。もしそういうことへの抗議を指して「ペドフィリア差別」といいたいのなら、あまりに筋違いなことです。                また、性的マイノリティ差別がひどい現状もあり、特にトランスジェンダーを性犯罪者と区別がつかないかのように語る言説の横行がひどいのは周知の通りと思う。そういうなかで「ペドフィリアがLGBTQに含まれないと言うなんて差別だ」というのはめちゃくちゃで、色々とカオスすぎ。

太田啓子さんの投稿(https://twitter.com/katepanda2/status/1697062676273451149?s=20)

太田啓子さんは「ペドフィリアがLGBTQに含まれる、はずがない。」と断言している。しかし、これは清水晶子さんの「ペドフィリアはセクシュアリティの一つ」という発言と矛盾しているように思える。

このようにトランスアライたちの中でも言うことがバラバラで意見が割れているようなので、「Q」「Q+」「クィア」にペドフィリアが包括されるのかどうか、統一された見解を教えてほしい。

そして、今回のころからに対する抗議者や王谷晶さんに糾弾していた人たちのように、反差別のスタンスから「ペドフィリア差別に反対します」と主張しているアライに対して、トランスヘイター/TERFと呼ばれる人たちが反論することを「トランスヘイター/TERFがペドフィリアをLGBTQ+に含めようとしている」というのは事実の誤認ではないだろうか。

歯切れ悪くもペドフィリアを否定しきらない理由は

なぜ建前としてでも「ペドフィリアは一切許容できない」と断言できないのだろう。

子どもも社会の構成員であり、保護者たちは常々不審者情報に気を張り巡らせて生活しているし、(小児期の)性被害者もいるなかで、歯切れ悪くもペドフィリアを否定しきらない言説というのは、そういった人たちの心理的安全性を損なうのではないか?
共存を考えるならば、クィア理論が社会に及ぼす影響を考えてほしい。

なによりもわたしは「児童を性的対象にすべきでない」というのは、党派性で判断したり、議論するまでもない前提だと信じているし、子どもの人権のためにも性暴力サバイバーたちのためにも、今後そういう社会になっていくことを心から願っている。

(この記事に載せているスクリーンショットは、わたしだけが撮ったものではなく、発言の記録として公開されているXでみられた投稿からも多くをお借りしました。この場で感謝申し上げます。)


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