【注意】この記事には「ペドフィリア」に対する擁護的な言及や、性被害者への二次加害やフラッシュバックをおこしている様子の投稿(文面)のスクリーンショット画像があります。
「#ペドフィリア差別に反対します」というハッシュタグが出回った背景
8月29日頃から、Xにおいて「#ペドフィリア差別に反対します」というハッシュタグや「ペドフィリア」という言葉がトレンド入りしていた。
わたしの見ていた光景だと、「あらゆる差別に反対します」と反差別を掲げるなかで特に先鋭的な意見の人たちが、積極的に「#ペドフィリア差別に反対します」というハッシュタグを使っていた。
そして一部の(アカウント名の横にレインボーフラッグやトランスフラッグを載せているような)人たちが、そのハッシュタグに連帯したりペドフィリアに擁護的な発言をしていた。
しかし「『ペドフィリア差別を許すな』って言ってる人たち、トランスヘイターですよ」「分断工作」「噓言ってんじゃないよ」「(このハッシュタグは)差別者が作ったんじゃないか」などの誤解が生じて混乱していた。
大まかな流れとしては栗原さんが把握している通りなのだが、
Xで説明するにはとても長くなりそうなので、ここでわたしがMastodonやXで観察した事実関係を記録として残すことにする。
チャイルドマレスターとペドフィリアの定義
まず最初に「チャイルド・マレスター」「ペドフィリア」という言葉の意味を確認しておく。
(参考)
Mastodonにて
わたしは6月ごろから、Mastodonで「#ペドフィリア差別に反対します」「#チャイルドマレスターとペドフィリアはちがいます」「#ズーフィリア差別に反対します」「#性的欲求そのものは加害ではない」というハッシュタグが使われていることを把握していた。
だいぶ尖った思想だなと驚いたわたしはそれらのタグを使っている界隈を観察することにした。
すると8月7日に『イン・クィア・タイム』という本の翻訳者である村上さつきさんがMastodonとXの両方で以下のような意見を表明した。
『イン・クィア・タイム』とはころからという出版社から2023年の8月に出版されたばかりの本である。2022年の8月に出版された本である。
なぜ急に『イン・クィア・タイム』という本が出てきたのか分からなかったが、この本は村上さつきさんが翻訳者であり、王谷晶さんの発言で何らかの「ペドフィリア差別」と捉えられるような発言があり、王谷晶さんが『イン・クィア・タイム』の帯に文章を書いていたことについて、出版社に抗議した人が複数名いたらしいことがわかった。
村上さつきさんのこの発言をみて、Xでの王谷晶さんの投稿を数か月ほどさかのぼってペドフィリアに言及されている投稿を検索してみたところ、以下の投稿が該当するようだった。
この方たちの主張によるとどうやら「ペドフィリアとチャイルドマレスターは異なり、実際に加害するのはチャイルドマレスターなのだから、小児への性加害について言及する際にペドフィリアという言葉を用いることはペドフィリアに対する“差別”」だと考えているようだ。
(※わたしはこの意見には同意していない)
そしてこのように「ペドフィリア」と「パンセクシュアル」「ヘテロセクシュアル」を並列していた。
コバヤシアヤノさんによる、出版社 ころから への抗議文
コバヤシアヤノさん(@KobayashiA65731)(現在は鍵垢)というアカウントが、ころからに抗議した経緯を何枚かにわけてgoogle documentで公開していた。
その抗議文のスクリーンショットを載せる。
実際の問い合わせ内容
①「コバヤシアヤノ側からの問い合わせ」
上のスクリーンショットで貼られていたリンク↓
https://docs.google.com/document/d/1XiU1HBA4wQC6pHBUG0tLI5E5lVSMhsYDMrrWnki0moA/edit?usp=drivesdk
このスクリーンショットをみると「王谷晶はペドフィリア差別を発信しています ペドフィリアをチャイルドマレスターと混同し、そしてLGBTQ+と一緒にしてはならない、としています」と主張し、「Qにペドフィリアが含まれるのはデマ」という王谷晶さんのXでの発言を問題視していた。
つまり、コバヤシアヤノさんは「ペドフィリアがLGBTQ+に含まれないことがペドフィリア差別である」と考えているということだ。
②「ころから側からの返信」
上のスクリーンショットで貼られていたリンク↓
https://docs.google.com/document/d/1RgPqXMUi5XyYKjgHnmy-8i_hLRYgYgvNYTrOB0iYUtw/edit?usp=drivesdk
この書面にリンクが貼ってある王谷晶さんの投稿は現在削除されているが、web archiveで確認したところ、以下のarchiveがもとのURLと一致していたので再掲する。
北丸雄二さんの投稿は以下の通り。
③「コバヤシアヤノ側からの返信」
上のスクリーンショットで貼られていたリンク↓
https://docs.google.com/document/d/1zyhr0jL833Zu668CuNoUX1ev-Q0U_EkShXOC738CqLI/edit?usp=drivesdk
出版社 ころから からのアナウンス
2023年8月28日、ころからから「『イン・クィア・タイム』の帯について」という声明が発表された。
ちなみに『イン・クィア・タイム』の帯の文面はこの写真で確認できる。
抗議者は王谷晶さんのSNSでの発言を問題視していたのにもかかわらず、ころから側は「帯コメントが本書にふさわしくないのではないか」と書いていて、帯コメントの文面に問題があったかのように発表している。
(これはわたしの推測だが、もしかすると、ころからは論点をずらすことで「社との見解として、ペドフィリアを含めてLGBTQと認めている」旨の言質をとられることを避けたのかもしれない)
王谷晶さんの謝罪文
8月29日14:19、王谷晶さんによる謝罪文が投稿された。
ころからへの批判や王谷晶さんに対する糾弾
ころからが社のHPに声明を載せたり、王谷さんが謝罪文を書いて以降も批判や糾弾が続いた。
①村上さつきさん
このアカウントは凍結されたため、スクリーンショットを載せる。
②坪井里緒さん
このアカウントも凍結されたため、スクリーンショットを載せる。
③コバヤシアヤノさん
現在鍵垢になっているため、鍵垢になる前にこのアカウントは凍結されたため、残せた範囲でのスクリーンショットを載せる。
④じゅごんさん
8月30日ころから王谷晶さんが「謝罪文」を削除し、
このように、幼児期に受けた性被害を思い出したことにより大変な動揺がみられるなか、それでもなお引用で執拗に詰問される様子が見ていられず、わたしは名指しして糾弾者の振る舞いを指摘した。
※余談になるが、じゅごんさんは『美とミソジニー』という本の陳列についてジュンク堂に抗議した人でもある。
⑤しぃさん
「#ペドフィリア差別に反対します」に連帯する人や擁護的な意見を表明する人たち
※「#ペドフィリア差別に反対します」のタグをつけていた小島包さんは、諫めるような呉樹さんの投稿をきっかけにしたのか、以下の理由を述べて投稿を削除した。
(さすがにこのハッシュタグの使用を諫めるような方がいたのは、どこか救いのように思える。しかし「『議論』を辞めないフェミニストは恥を知れ。」の意味が分からない。「勝ちに行く」ためにペドフィリアの話題に関してはno debateで曖昧にしておくということなのだろうか?)
王谷晶さんの動揺と混乱
8月30日の夜頃、王谷晶さんはより混乱・動揺してしまっているようだった。
(フラッシュバック注意)
その後、彼女はアカウントに鍵をかけ、9/2に予定されていたイベントの中止が発表された。
王谷晶さんによる経緯と現状の説明
8月31日14時半ごろ、王谷晶さん本人によりふせったーを通して経緯と現状の説明がされた。
@tori7810さんの伏せ字ツイート | fusetter(ふせったー)
わたしは意見の違いからか王谷晶さんにブロックされているが、さすがにこの文章を読んで心が痛んだ。
糾弾者たちの反応
しかしそれでも「最悪です」「ペドフィリア差別反対できないみたいです」と不満があるようだった。
「死者が出る」……?えーと、どんな立場で……??
坪井里緒さんの指す「当事者性の強い者やいま追い込まれている者」「当事者」とはペドフィリア当事者のことだろうか。
※ご自分がされていたトランス差別と向き合い、差別をやめると宣言されたあの文章とは、「要約すると、『私は差別してた。差別やめる。差別やめよう』という話です」から始まる、王谷晶さんが自らの「トランス排除を反省」していることを表明したぷらいべったー(リンク 無題 - Privatter)のことと思われる。
(「トランス排除を反省」という言葉は【拡散希望】誰も排除しない、排除させないためのリンク集(2023/08/08更新) - mimemo に書いてある表現をそのまま用いた)
混乱して動揺している状態の人に意見表明をせまり、本人による経緯説明に対しても「最悪」「死人が出る」と表現していた。
反差別を掲げる以前にまず人として最低限の思いやりを持ったほうがよいのではないか?
坪井里緒さんによるスタンスの明示と経緯説明
「ペドフィリア、チャイルド・マレスターと性的指向」というブログ
しぃさんが書いたこの「ペドフィリア、チャイルド・マレスターと性的指向」というこの記事を読んで、「納得するところや学ぶところがたくさんあった」という意見も散見された。
以下に、このブログに対するわたしの個人的な意見を述べる。
「ペドフィリアとチャイルドマレスターは違う」とペドフィリアを擁護している意見のブログを読んでみたけど、やはり同意できなかった。
ペドフィリアを肯定すること自体が、現実の児童や保護者に対する脅威になりうるのではないか?
最後にある「まとめ」を引用する。
この「『同意』のない対象を欲望することそれ自体も、その欲望を満たす目的で同意のない行為を模した性行為を同意のうえで行うことも、他者の自由や尊厳を奪う行為ではない」という部分に、わたしは異論を唱えたい。
行為自体は問題がないとしても、反復すると条件づけ学習になるし、小児に対して行為を行う心理的抵抗感がさがる懸念がある。
人間の理性を信頼しすぎているし、ペドフィルとチャイルドマレスターの違いすら理解できないまま行動する大人に対して、小児やその保護者たちにどう自衛しろというのだろう。
欲望を煽るだけ煽って、そのことが招く結果に対してあまりにも無責任すぎるのではないか?
戦時中の兵士は人殺しの訓練として人形を銃剣で突き刺したりしていたが、 「同意のない行為を模した性行為を同意のうえで行う」のも、非人道的行為への抵抗感を減らすことには変わりない。
東海林毅さんとのペドフィリアをめぐるやりとり
東海林毅さんのことは、トランス女性当事者でもあるイシヅカユウさんが主演を務める短編映画『片袖の魚』の監督として知っていた。
(わたしは『片袖の魚』も拝見しました)
Xで東海林毅さんのこのような投稿を見かけたので、わたしは証拠としてのスクリーンショットを添えて投稿したところ、
(※ペドフィリアに肯定的な言及をするアカウントは凍結されやすいという理由から)
ご本人からメンションが来て意見の表明を求められたので、やりとりの流れを記録しておく。
(参照した投稿と添付されている画像)
この東海林毅さんは「令和5年度杉並区立男女平等推進センター啓発講座」で第3回 12/6「社会で生きる/トランスジェンダーとは」を担当されるようだ。
おわりに
これまでは主に実際にあった発言の記録としてスクリーンショットや投稿のリンクを中心に載せてきた。
ここではわたしの個人的な意見を述べる。
「LGBTQにペドフィリアが含まれる」というデマについて
「トランスヘイター/差別者たちがLGBTQにペドフィリアが含まれると主張している」と認識している人がいる。
例を挙げよう。
「Qにペドフィリアを含めてLGBTQ+全体が危険だと散々言ってきたのはトランスヘイターなのに」
「なんでも最近『LGBTQ+にペドフィリアが紛れ込んでる』とQアノンが主張してんだって。トランスヘイトの主張がQアノンと被ってんのウケる」
「LGBTQにはペドフィリアも含む」というのは「ヘイト側が用意したクラシックな船」と表現する人もいた。
しかし、①「コバヤシアヤノ側からの問い合わせ」にあるように、コバヤシアヤノさんは「ペドフィリアがLGBTQ+に含まれないことがペドフィリア差別である」という考えでころからに抗議していた。
そしてわたしが継続して観察した光景によると、「#ペドフィリア差別に反対します」のハッシュタグに連帯したり、ペドフィリアに擁護的な意見を述べているのは、「あらゆる差別に反対します」と掲げ、ふだん積極的にトランスジェンダーの権利について発信してきた人たちも多くみられた。
トランスアライの意見の相違
清水晶子さんは「ペドフィリアはセクシュアリティの一つだと思いますし、ペドファイルはその意味ではセクシュアルマイノリティです。それは否定できない」と主張している。
(「性暴力や性虐待を許容しないこととは、別の話」とも言っているが、清水晶子さんは、ペドファイルを許容する風潮が小児への性暴力や性虐待を助長する可能性があることを考慮しないのだろうか?)
また、わたしと引用でやり取りした東海林毅さんは、杉並区立男女平等推進センター啓発講座で講演をするだけの発信力がありながらも、以下のような発言をしていた。
たしかに「#ペドフィリア差別に反対します」で連帯したり、反差別の観点からペドフィリアに擁護的な人はごく一部なのかもしれない。
しかし、そういったごく一部のひとが「Qにペドフィリアが含まれるのはデマ」という投稿をした王谷晶さんをつるし上げて、彼女が「ペドフィリア差別にも反対します」と謝罪するまでの事態になったし、
ころからという出版社に抗議して「ころからは、ペドフィリアを含むあらゆる内心の自由について、いかなる制限もなく保障されるべきだと考えております」という文面が出版社のHPに掲載されたのもゆるぎない事実だ。
わたしが観測できる範囲で把握しているなかでも10人に満たない人数でここまで影響力を及ぼせるとは驚きだ。(もしかしたらクローズドなコミュニティにはもっといるのかもしれないが)
そして「#ペドフィリア差別に反対します」というハッシュタグや「ペドフィリア」という言葉がトレンド入りするほど拡散されてしまった。
わたしはペドフィリアについて肯定的に言及することそのものが、小児へのヘイトスピーチだし、小児性被害サバイバーたちへの二次加害になるし、子どもを育てている親御さんたちへの心理的な脅威になると思う。
わたしがこの記事で掲載したスクリーンショット群や投稿の数々も、別にわたしがアライになりすましてフォロ―して潜入して収集していたわけでなく、発信者が鍵垢でなかったり全体の公開範囲で投稿されていたものばかりだ。
SNSというのは多くの人の目に触れるところで、そういった場所でペドフィリアに擁護的な意見を表明することが、すでに内心で済まなくなっている段階なのではないだろうか。
太田啓子さんは「ペドフィリアがLGBTQに含まれる、はずがない。」と断言している。しかし、これは清水晶子さんの「ペドフィリアはセクシュアリティの一つ」という発言と矛盾しているように思える。
このようにトランスアライたちの中でも言うことがバラバラで意見が割れているようなので、「Q」「Q+」「クィア」にペドフィリアが包括されるのかどうか、統一された見解を教えてほしい。
そして、今回のころからに対する抗議者や王谷晶さんに糾弾していた人たちのように、反差別のスタンスから「ペドフィリア差別に反対します」と主張しているアライに対して、トランスヘイター/TERFと呼ばれる人たちが反論することを「トランスヘイター/TERFがペドフィリアをLGBTQ+に含めようとしている」というのは事実の誤認ではないだろうか。
歯切れ悪くもペドフィリアを否定しきらない理由は
なぜ建前としてでも「ペドフィリアは一切許容できない」と断言できないのだろう。
子どもも社会の構成員であり、保護者たちは常々不審者情報に気を張り巡らせて生活しているし、(小児期の)性被害者もいるなかで、歯切れ悪くもペドフィリアを否定しきらない言説というのは、そういった人たちの心理的安全性を損なうのではないか?
共存を考えるならば、クィア理論が社会に及ぼす影響を考えてほしい。
なによりもわたしは「児童を性的対象にすべきでない」というのは、党派性で判断したり、議論するまでもない前提だと信じているし、子どもの人権のためにも性暴力サバイバーたちのためにも、今後そういう社会になっていくことを心から願っている。
(この記事に載せているスクリーンショットは、わたしだけが撮ったものではなく、発言の記録として公開されているXでみられた投稿からも多くをお借りしました。この場で感謝申し上げます。)