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DNAの混入疑惑問題について整理する(経緯と意見)(その2)

 前回のノートで、Twitter上で議論されているDNAの混入疑惑問題についての経緯を説明した。まず、繰り返し言っておきたいのだが、前回のノート、そして、今回のノートの記事は、個人を非難したり、攻撃したりするようなことを目的とはしてない。

 経緯についての話題は、このノートで伝えたいことの本筋ではないのだが、前回は、一応、当時の状況が分かるエビデンスを沢山入れておいた。だが、まだ納得されない人もいるようである。

 残念であるが、そういう人たちには何を言っても無駄だろう。自分が経緯としてるものは、単に、ありのままの事実を並べたものである。あとは、個人の倫理観に基づく判断の問題である。


 今回のノートでは、DNAの混入疑惑問題についての自分の解説を意見として述べる。まず、解説に進む前に、皆さんにTwitterでのコロナ界隈に存在する温度差というものを理解して頂きたい。
 簡単に言えば、このコロナ界隈は、ワクチンについて強く反対している人たちと弱く反対している人たち(最小限に反対しているだけの人たち)が混在する。


 立場が違えば、対立が生まれるのは当たり前である。この立場の違いは、いろいろな言い方で表現できるだろうが、分かりやすく言えば、反ワクチンと呼ばれるのを嫌う人たちと反ワクチンと呼ばれてもよいという人たちがいる。
 例えば、現役の医師などは、仕事上の立場を考慮し、反ワクと呼ばれるのを嫌う傾向にある。


 その一方で、現役を退いた医師などの専門家は、仕事上のことは気にせずに、ワクチンに生じうる懸念を幅広く訴える。
 反ワクの代表格の専門家は、福島教授だろう。福島教授は、「反ワクというレッテルを貼りたい奴は貼れ」と堂々と宣言した。



 これに対し、対極的にあるのが、反ワクと呼ばれることを嫌う人たちである。彼らは、ワクチン慎重派とも呼ばれる。常日頃から、反ワクを馬鹿にし、反ワクの立場にある専門家を貶めるために、「デマ」や「トンデモ」という言葉も平気で使う。


 
 彼らの好きな言葉は、「学会」、「論文」、「似非科学」である。



 ちなみに、この界隈で影響力のある宮沢さんは、反ワクの言説に近いことを言うときもあるし、実際には、反ワクの専門家の人たち(福島教授など)と一緒に活動することもある。
宮沢さんは、再三、
「反ワクではない」
「反ワクと呼ばれたくない」
と訴え続けた上で、



 反ワクチンに対して、「非科学のトンデモ」というレッテルを貼りながらも、反論や喧嘩をしないと明言している。


  なお、ワクチンに弱い反対(ワクチン慎重派)の立場をとる人たちは、コロナワクチンも高齢者に接種することやマスクの着用には賛成している傾向もある。



 いずれにしても、ワクチン慎重派の人たちは、反マスクや反ワクチンと言うようなレッテルを貼られることを嫌っている。


 ちなみに自分は、ワクチンの中止を特に強く求めているわけでもない。むしろ、ワクチン信者は、自分の費用でこれからもワクチンを接種すればいいと思う。

 実際のところ、コロナ騒動で、不誠実な専門家やメディアの言説、そして、論文のインチキも数多く目にしてきた。完全に医療というもの、そして専門家に対する信頼を失った。過去、今までにワクチンが人の命を救ったことがあったかもしれない。だが、コロナワクチンで奪った命は、今までにワクチンが救った人命の数よりもはるかに多いだろう。そのことを医療に携わる人たちが認めるまでは、到底信用はできない。
 現実的に、少なくとも現在のワクチンに害があること、そして、過去のワクチンにも害があったことは確信している。今後、自分が生きている間はいかなるワクチンを打つこともない。だが、この有害さは、ワクチンを打つ人がいなくなればうやむやにされてしまうのではないかと危惧している。ワクチンを推奨してきた人たちには、是非、ワクチンを打ち続けて欲しい。そういう意味では、ワクチンには反対しておらず、むしろ、ワクチン推奨派であると言ってもよい。



 自分は、反ワクと呼ばれてもよいと思っている。むしろ、問題は、自分に反ワクと名乗るだけの資格があるかどうかだろう。このノートの記事では、説明の都合上、自分は、反ワクの立場である(心筋炎などの証明されているものに限らず、超過死亡の問題などを取り上げ、ありとあらゆる観点からワクチンに反対する立場である)、と言っておこう。

 また、mRNAワクチン容認派 VS mRNAワクチン反対派など、いろいろな温度差の表現の方法はあるだろうが、いずれにしても、立場の違いは明確である。これらの立場の違いを理解せずに、どんな議論を行っても意味がなく不毛であり、中傷合戦に発展するだけである。お互いの立場によって、目指すところ、正しいものは異なるということである。

 「ワクチンに反対している者同士、上手くやりましょう」などと言う人がいるが、それは誤りだ。反ワクの人たちは、慎重派と呼ばれている人たちとは同じ行動をとることができない。それは相手側も同じだろう。思想についての議論は不要である。お互いの正義が違うのである。


 本ノートでは、反ワクの人々の立場、つまりワクチンに真剣に反対している人々にとって、正しいか、誤っているかを解説するだけである。慎重派の人々には彼らの論理があり、彼らの説明があるだろう。

 DNAの混入疑惑問題については、日本だけで陰謀論扱いにされ、真剣に疑義を唱えた人々に悪いレッテルが貼られて言論が弾圧された。ワクチン慎重派の人たちにとっては、その行動は正しいことであり、正義である。学会でコンセンサスが取れていない事柄について取り上げ、ワクチンに強く反対する人たちをデマやトンデモと呼び、中傷し、名誉を失墜させることは、彼らにとっては、悪い奴らを懲らしめただけに過ぎない。

 だが、このようなことは、我々の反ワクの立場では、許しがたいことである。

 このことを十分に念頭に置いた上で、これから先の意見を述べよう。

意見:

 新田さんとその周りの人たちは、「東大で検証したら、(Kevinさんが主張するような量の)DNAが入っていなかった」、東大や京大の専門家がDNAの問題について、安全性に懸念がないと太鼓判を押した」、「科学が分からない素人は騒ぐべきでない」と説明している。

 語弊がないように言うと、経緯の所で説明したように、新田さんは、DNAが入っていないと言っているのではなく、むしろ、微量の混入は当たり前であると公言した上、安全性には問題はないと言っている。



 だが、DNAの混入疑惑を重く見た人々は、新田さんの側(東大)だけで検証しても説得力がない、納得ができないと感じている。

 新田さんの主張、実験方法が科学的に正しいのか、そうでないのかは、双方の専門家が直接討論してみなければ結論に近づかない。だが、自分は、個人的には、科学的なことを論じる以前に、ワクチンを提供したり推進したりしている機関、組織(東大)が、「異物の混入はない」と説明しても説得力がないと感じている。

(1)新田さんの立場の問題

 一つには、新田さん個人がコロナワクチンに疑問を持っているにせよ、東大が組織として、モデルナと協力し、mRNAワクチンの開発を行っていることである。



 東大は、大学全体として、ワクチンを推進する組織であるということは明白であり、先日も、ワクチンの急造を始めると宣言した。


 新田さんは、そんな東大でワクチン研究を行っている。新田さんは、科研費を充分にもらった上で、mRNAワクチンの研究を行っているといっている。だが、これは推進のための研究である。東大は、「mRNA技術の有害事象の解明を目的とした科研費」を充分にもらったわけではない。


 新田さんは、有害事象の解明に向けて研究をすると言っているが、そのようなデメリットを研究するために研究費が潤沢に出るわけでもない。大学としては、製薬会社と提携している以上、ワクチンの中止ではなく、ワクチンの開発、ワクチンを市場に投入することを目的とした研究が行われる。


 宮沢さんは、ワクチン後遺症患者の会で明言している。
「いいですか。推進のお金で安全性の研究をやろうと思ってもなかなかできないです」


 これが東大でmRNAワクチンの研究をしても、薬害を解明することができない理由である。

 東大という組織とモデルナとがつながりがあるという意味で、新田さんとモデルナとの利益相反の問題を指摘する人もいるが、直接は新田さんは、モデルナからお金をもらっているわけではない。


 多くの人々が疑問を感じている理由は、新田さんがモデルナとの直接的な利益相反があるというよりも、単に、大学内での新田さんの立場である。

 東大は、mRNAワクチンを推進しており、新田さんも、そうである。


 現時点でもmRNAワクチンには期待を抱いていて、そのことを隠すこともない。


 コロナ界隈では、多くの人がmRNA技術、少なくともmRNAワクチンに対して否定的である。


  本来は、見守っていればいいDNA混入疑惑問題に、敢えて口をはさむということは、mRNAワクチンを推進する東大(新田さん)の立場として、「mRNAワクチンの研究開発に水を差すような流れは止めなければならない特別な理由があるのだろうか?」と人々が考えるのも当然である。


 いずれにしても、単に、人々が納得しないのは、簡単に言えば、新田さんの立場である。新田さんがコロナワクチンを推進せずに、どちらかというと疑問視する活動をしているが、新田さんは反ワクではなく、基本的には、コロナワクチンに疑問を持っているだけのワクチン推進派である。

 新田さんは、現在のmRNAワクチンには疑問を呈し、接種の推奨には反対している。だが、それはコロナワクチンについての話である。東大の現在のワクチン開発、製造に対して反対するような行動もとっておらず、そのような趣旨の発言もない。



「現在のワクチンには反対しています。まだ、薬害は解明されていません。ですが、とりあえず、次のワクチンの開発、製造は容認します。開発にも協力します。それが普通の科学者なんです。いいですよね?」
 こんな感じでいいと思う反ワクの人がいるわけがない。遺族の人たちも納得できないだろう。

 ワクチンに反対しているのであれば、ワクチンに対するネガティブイメージを拡散するだろう。つまり、その立場では、懸念されうるワクチンの薬害を最大限に訴えていく。

 ワクチンに賛成しているのであれば、ワクチンに対するポジティブイメージを拡散するだろう。ワクチンの薬害を矮小化し、証明された薬害しか認めない。

 これは新田さんの人格を否定しているわけではない。新田さんを責めているわけでもない。このような、ワクチンの姿勢は、東大に所属する新田さんの立場では別に悪いことではない。

 慎重派と呼ばれる人たちは、証明された薬害のみを追求すればよく、ワクチンの薬害が社会問題になることを望んでいない。ドイツで行われるような大きなデモは望んでいないということである。


 このノートを閲覧して勘違いする人がいるので何度も言うが、新田さん自体を攻撃しているわけではない。単に、先ほど述べたように、東大は、mRNAワクチンを推進している。これだけで多くの人は納得はできないだろう。

(2)新田さんの思想の問題

 新田さんは、講演で「10人中1人が死ぬけど3人が助かるワクチンがあるとしたら、公権力がそれを全員に強制するのもやむなし」ということを言っている。

 ナカムラクリニックの中村さんはこう言っている。


 反ワクの人達は、自分を含め、皆んなそうだと思うけどのだけど、

「まず医療は害をなすなかれ」という精神がある。

 メリットとデメリットに基づいてワクチンの接種を人に強制するという思想はない。「一定の被害を出して、強制接種で根絶に成功させよう」という思想は誰も持っていないだろう。


 「新田さんは、単に極端な例を挙げているだけなのだ」という説明もありそうだが、こういう考え方が着想されるだけでも反ワクの人々は、違和感を感じてしまうものなのだ。

 仮に、メリットがデメリットよりもはるかに大きいワクチンがあったとしよう。全体からみたら個々のリスク(亡くなる人の数)は微々たるものかもしれない。 でも実際に薬害で亡くなる人とその家族にとってはリスクは100%でしかない 。 こういう全体主義による強制接種は、自分の思想とは対極にあり、到底受け入れられない。


 ワクチンの薬害で家族を失った人の前で、「一定の被害が少し出たが、沢山の人が助かった」という説明を正当化できるのだろうか?

 自分は、正しいかどうかはわからないが、「ワクチンを打つことで誰かが死ななければならないのなら、潔く全員で一緒に死にましょう」、と言う考え方だ。

 そして、世間では、ワクチンのメリットとデメリットに基づいてワクチン接種の判断をするという考え方がある。だが、そのメリットとデメリットは誰が判断するのか?大抵は、御用専門家と呼ばれるワクチンを推進する専門家や医師が判断している。

 つまり、「不確かなものは騒がず、証明された薬害のみを訴えよう」、「メリットとデメリットでワクチンの接種を推進しようという」という立場や思想を持つ新田さんの側だけで何かを検証したとしても、反ワクの活動をしている人たちにとっては、共感が得られない、信頼が得られない、ということである。

 新田さんは、mRNAワクチンの製造に係る研究をしている部署とは別の部署に属しているようである。
 具体的には、新田さんの所属は、東京大学大学院医学系研究科というところだ。


 ワクチン開発を行う東大の河岡教授(医科学研究所)や、

 東大キャンパスにあるモデルナ関連のオリシロなどとは、新田さんの部署とは一見関係ないようにも見える。


 だが、東大は全体としてみれば、 ワクチン推進の風潮がはびこっている。

 例えば、新田さんは、具体的には、高柳研究室に所属しており、直属の上司は、高柳 広という人物である。

 この人物は、パンデミック期の日本骨免疫学会の挨拶で、こう述べている。

「FDAの厳しい治験を通ったワクチンが感染を減らした。mRNAワクチンは、人類の叡智の結晶である。コロナワクチンにより、コロナが制圧されると期待する。ワクチンによって正常な日常を取り戻されるだろう。」

 つまり、新田さんの直属の上司は、完全なるワクチン推進派、狂信的なワクチン信者である。

 このようなワクチン教が浸透した環境下では、新田さんの立場を考えると、福島教授のような、ワクチンに正面から疑義を呈するような活動を行うことができるとはとても思えない。というか、行えたとしても、弱腰になるだけだろう。そのような状況では、周囲の反ワクの人々からは、「新田さんは、先頭に立ってワクチンに反対する活動をしているのだ」、という信頼を得られにくいのである。

 それ以前に、東大では、ワクチンの良い面しか見ていないだろう。ワクチンを推進する東大では、ワクチンの悪い面の情報はなかなか入ってこないものだ。そのような組織の専門家は、専門家といってもメリットの知識ばかり詳しく、デメリットの知識については素人である。
 薬害がない状況ではそれでもいいのだろうが、ワクチンによる甚大な薬害がでている現在のような状況では、メリットの情報はもういらない。デメリットのみを追求して研究する専門家が必要である。


 こうしてみると、あくまでも新田さんは、少なくとも外形上は、ワクチンを提供した政府の主導によってワクチンを推進する研究を行っている組織(東大)に所属する一員であり、関係者である。

 たとえ、利益相反の問題がないとしても、そのようなワクチン推進に傾倒した雰囲気が蔓延した巨大組織の中でワクチン研究をしているという事実がある以上、理解を得られるわけがない。


 そして、日本でも、世界でも、現実に多くの尊い人命が失われ、沢山の被害が発生した。ワクチンの中身が分からないという根本的な問題に、大切な家族を奪われた人々が納得できる訳がない。




 食中毒が大量発生したら、原因物質を調べるために念入りに検査を行うだろう。料理を提供しているお店の店員が、「異物の混入はない、安全だ」と言い張っても誰も信用はしないだろう。そのお店にたとえ誠実な店員が雇われていたとしても、食中毒の原因の検証は、きちんと行わなければならない。

 ワクチンで大量死者が発生した場合も同じであり、中身を調べるのは当たり前のことである。それには、契約がどうこうとかは関係はない。 ましてや、全ての中身を調べてもいないのに、「根拠がない」だとか軽々しくいうべきではない。「安全だ」、「もう騒ぐな」と言えるのは、全部の中身を調べ終わって、抜き打ち検査も行って、疑いを持った人が立ち会って、毒がないと誰もが認めた時である。 大量食中毒を出したお店の人間が「毒が入っていない」と言っても、そんなことは許されない。


 薬害が発生していないのであれば、研究者の利益、製薬会社の利益を尊重して、検証を非公開としたり、契約を開示しないようにすることも可能だろう。

 
でも現実はそうではない。沢山の人々が亡くなったのだ。


 そして、ワクチンを接種して、重い障害を負った人々が現実に存在している。


 そのような状況であれば、研究の利益や製薬会社の利益など、ワクチン研究者の権利保護などを考える余地はない。医療において、健康ほど重要視すべきものはない。健康が損なわれた以上、最大限の事実の解明に努めなければならないのである。


 そして、ワクチンは、バイアルによってばらつきがあることが分かっている


 

 ロットによっては、致命的なものが存在する。


 一つのバイアルに問題なくても、他のバイアルに問題がある可能性が高い。

 Kevinさんによれば、Kevinさんが調べたバイアルで、DNAのプラスミドは主に断片化されていたものの、ロットによって混入量にばらつきがあると考えられる。

 欧州医薬品庁(EMA)が10ロットを調べただけで、ロットによって、815倍ものばらつきがあることが分かった。このようなばらつきがあることを前提とすれば、数個のバイアルを調べただけでDNAが混入していない、プラスミドが混入していないことの証明にはならない。


 また、現実問題として、ワクチンを接種する段階では、信じられないような医療ミスが多発しており、ニュースでも騒がれている。


分量を間違ったり、


他のワクチンを接種したり、


期限切れのワクチンを接種したり、



ありとあらゆるミスが発生している。


 こういったミスの原因として、ワクチン業務に不慣れな人材が現場で使用されているといった実態を一因として指摘できるだろう。コロナワクチンを急造して大量に接種する関係で、コロナ関連の職種で、大量に求人が増えた。経験のない人材を雇用しているのだ。


 勿論、こういうミスは、製造工程でも発生している可能性が高い。

 ワクチンを急造するために、工場でも経験のない人々を採用したりしているのだ。



 そして、生産の管理がきちんとできていないためだろう。異物の混入も当然発生する。モデルナワクチンでは、金属片の混入もあった。



 つまり、接種の段階だけでなく、製造工程もずさんであるとみてよいのだ。


 とにかく、ワクチンの中身が分からないことが一番の問題なのである。



 中身が分からない以上、どんな言いがかりであろうが、何を言われても仕方がない。 例えば酸化グラフェンが混入されているという話もあるぐらいである。

 ワクチンの製造に関わる文書を見ると、「酸化グラフェン」という表現が一応存在していた。どの段階か不明であるが、製造工程で、酸化グラフェンが何らかの形で使用されているようである。

https://phmpt.org/wp-content/uploads/2023/02/125742_S1_M4_4.2.1-vr-vtr-10741.pdf



 勿論、単に製造工程で使用されているからといって、ワクチンの中身にそんなものが入っているとは断定できず、このノートで自分がワクチンに酸化グラフェンが入っていると断定するような主張をしたいわけではない。
 あるファクトチェックは、酸化グラフェンが使用されているのは、生産工程ではなく、効果検証の研究結果であり、酸化グラフェンが含まれていないということは、ロイター等が検証したと主張している。 


 どんな異物の混入でも、それは設計上のモデルでは入っていないことになっている。ファクトチェックでは、当然、否定されてしまうだろう。だが、このノートで議論しているのは、DNAだろうが何だろうが、もともと、本来は入っていてはならない異物が「何らかの理由で」混入しているという話だ。ロイター等が全てのバイアルを検証したわけではない。ファクトチェックは、設計上のモデルとしては入っていないと言っているだけであり、それは当たり前の話だ。「(モデルとしては)、入っていない」から、全てのバイアルに異物が混入していないことを証明できたとは言えないのである。

 本来は入っていないはずの金属片もワクチンには混入していた悪い実績がある。「ずさんな」製造工程であれば、バイアルによっては、そういったありえない異物、他の異物も、「ミスなど」によって、混入する可能性さえあるという話である。そういうものは、全部のバイアルを調べてみないと分からない。

 あるお店で大量の食中毒を出してしまえば、いくらお店の店員が安全で清潔だと言っても、人々は、なかなか信用しないだろう。「ゴキブリが入っているのではないか?」という言いがかりをつけられても仕方がない。ワクチンの場合もこれは同じ理屈だ。

 ワクチン絡みで様々な不正や詐欺も行われており、そういった悪い人たちが度々検挙されている。



  例えば、製造段階でも、悪意を持って、故意に変なものを入れる人もいるかもしれない。

 モラルのないアルバイト店員が働いている飲食店では、わざと汚いものを食べ物に入れたりする人もいる。



 実際、自分自身のこれまでの人生の中でも、飲食店で提供された食べ物にゴキブリが混入しいた経験は2度ある。他の虫や髪の毛などが混入していることは結構ある。

 そういった悪いことがワクチンの製造でも発生しないとは言い切れない。急造ワクチンの製造工程に携わる人々の中にも、不適切な求人で集めた人が沢山混じっているのである。


 ワクチンのDNAの混入を問題視している研究者たちに、新田さんの実験に基づいて、疑似科学だ、デマだと悪いレッテルを貼る人たちが、製造段階でのばらつきや、ミスや不正にまで責任を持てるのだろうか?



 仮に、新田さんが検証した1つ、数個のバイアルにDNAが混入していなかったことが正しいとしても、世界中に存在する全てのバイアルについて、危険性が天文学的に低いなどと、問題がないと太鼓判を押し、責任をとれるのだろうか?


 ワクチンの薬害で家族を失った遺族の人たちの前で、「世界中に存在する全てのバイアルについて、DNAの混入はあり得ない、ばらつきも、ミスも不正も存在しない。製造工程はきちんと管理されている。そんなことを言うたちは疑似科学だ。少なくともその点については安全なんだ。」と、堂々と言えるのだろうか?


 この点に関し、新田さんは、現在でも、あくまでも少数の簡易的な実験モデルに基づいて、安全性を主張しようとしている。



 つまり、新田さんは、製造工程におけるばらつきも、接種される人々の身体的な個人差も考慮せずに、
 「実験結果で安全であるならば、全ての人にとって安全だろう」と仮定しようとしているのである。

 「ある人にとっては、副作用がなく、安全だった。だから、全ての人にとって安全だろう」

 これも一つの考え方である。新田さんの意見は、ワクチンを推進する立場では、正当な意見である。

 だが、立場を変えてみるとどうだろうか?

 反ワクの立場にある人々は、少数のモデルの実験で問題がないからといって、「様々な身体的な特徴を有する、未知のアレルギーや疾患を抱えた莫大な数の人々に対してワクチンが接種される以上、少なくとも微量は混入されることが判明しているDNAの問題が全く生じないとは到底言えない」と考えるだろう。

 以前、そばなどのアレルギーで亡くなった児童もいた。大抵の人は、単なる例外中の例外と判断して気に留めないだろう。それがワクチン接種を推進する人たちの考え方だ。



 そして、ワクチンでは、実際に、沢山の人が亡くなっている。何が起きているか、本当のところは全く解明されていない。
 そう考えれば、「実験では、問題は起こらなかった。私には副作用がなかった。だから皆さんにも副作用はないはずだ。安全だ」などという論理は、採用できない。

 疑念を持っている人々を納得させられる方法は、実験ではなく、事実である。それは、少数のモデルや実験で安全性を示すことではなく、全てのバイアルを、公開で、疑念を持っている人が立ち会って確認するかどうかである。
 ワクチンにDNAが入っているのが科学的に正しいかどうかは、素人の自分には分からない。そこに意見を加えたとしても、説得力はないだろう。だが、科学的なことを論じる以前に、
(1)製造工程でのばらつき、ミス、不正が存在する可能性がある
(2)大量に不特定多数の人に大量に接種されるものであり、人々には個人差がある。

という問題がある。



 このような問題を無視しようとしているのがワクチンに対して慎重派の立場をとる人たち考え方である。正直、「どこが慎重なのだろうか?」と思わざるを得ない。

 いずれにしても、少なくとも世界の多くの誠実な科学者が、既に真剣に疑問視し、大きく取り上げている。

  新田さんは、当初、Kevinさん一人が言っていることを信用するべきでないと言った。

 でも、現在では、研究者生命をかけて声を上げている科学者は、一人ではなく、大勢、世界中に存在しているのである。


 ワクチンの接種を推進する組織に所属する日本の一人の科学者が1つ、もしくは数個のバイアルを非公開の方法で、「簡単な方法で、実験を行い」、検証しただけで、世界中の科学者が納得するのだろうか?


 世界中の何百万人、何千万人という人々を沈黙させられるのだろうか?




 自分はそうは思わない。 そう考えると、世界の科学者のそれぞれが透明な形で検証できるオープンな場が提供されるように訴えていくことが必要である。その上で、仮にワクチンにDNAの問題がないことが全ての疑念を持った科学者によって再検証されれば、それはそれでよいことなのである。

  そして、DNAの混入を問題視している人たちは、その問題だけを取り上げているわけではなく、超過死亡の問題など、様々な視点を持って、ありとあらゆる訴えかけを行っている。


 DNAの混入の問題を足掛かりに、ワクチンの多くのバイアルの中身が確認できれば、もっと大きな問題が見つかる可能性がある。

 例えば、ドイツでは、バクディ博士を中心に、DNAの混入の問題を含み、ありとあらゆるワクチンの問題が取り上げられ、啓蒙活動が大々的に行われた。その結果、ワクチンの薬害が国中の多くの人々に周知された。その結果、社会問題となり、人々がワクチンの薬害を訴えた。現在では、300件以上のワクチンの薬害訴訟が行われている。


 それだけではない。ドイツではワクチン後遺症についての人々の認識も高い。


  世界のワクチン後遺症の半数以上の報告がドイツで行われている。ドイツ人は、バグディ博士たちのような、誠実な専門家による啓蒙活動のおかげでワクチンの薬害に気が付いたのである。


 その結果、既に、ドイツの保健大臣は、薬害を認めざるを得なくなったのである。



 DNA疑惑の問題など、様々な疑念をなかったことにしない。このような問題をきっかけとして、社会問題に発展し、結果として、ありとあらゆるワクチンの薬害が周知されることはワクチンに反対する人にとっては良いこと、朗報だろう。だが、基本的にコロナワクチン以外のワクチンを推進する新田さんのような人々にとっては、社会問題に発展していまうことは、悪い知らせ、とても不都合なことである。ワクチン全体の信用が失墜してしまうからである。ワクチン慎重派の人たちの主戦場は、あくまでも学会、論文上である(彼らは、あくまでもモデル上、設計上の問題を議論しているだけである。製造工程の問題など、実社会で起こりうる不都合な他の問題は全く考慮していない。マスクのマネキン実験の場合も同じだった。実験上だけで議論していた)。

  勿論、日本でワクチンの薬害の啓蒙活動を行っている人たちもいる。東北有志医師の会では、巨大な電光掲示板上で、ワクチン中身の疑義の問題を世の中に周知させようとした。このような電光掲示板に広告を掲示するのにも高額な費用かかっていることだろう。そのような活動の裏には、善意の人々の寄付がある。


 ワクチンの問題点を指摘し、社会問題につなげるような、活動に行動力を使うことなく、反対に、疑義を唱えて実際に行動を行っている人たちに対して、疑似科学だなどと安易にレッテルを貼って騒ぐなという意見をいたずらに繰り返すことは、善意の人々の活動を台無し、拠出したお金を無価値にし、そんな善良な人々の気持ちを踏みにじる行為である。


 そもそも、ワクチンにDNAが混入しているかどうかというのは、単なる事実であり、科学的に誤っているなどということは到底、証明できない。


 大前提として、ワクチンの中身が分かっていないことが一番の問題なのである。ワクチンの中身が分からない状態で、人間が沢山死んだり、重い後遺症を抱えた。ワクチンの中身が分からなければ、どんな言いがかりをつけられても仕方がない。
 例えば、福島教授は、特に根拠があるわけではないが、「厚労省の職員のワクチンの接種率は10%だ」と言った。

 多くの人は、言いがかりだと思うだろうが、やましいことがなければ、潔白を証明すべきである。そして、死亡が沢山発生している以上、その証明責任は、安全だと言い張ってワクチンを提供してきた側にある。

 ワクチンのDNAの混入疑惑の問題も同じである。たとえ、一部の人が「安全だ」、「嘘だ」と確信していても、検証はきちんと行わなければならない。

 また、DNAの混入が微量であろうが、安全であろうが、それを嫌う一般の人々もいるのである。

 それを「素人は黙れ」などということは言ってはならない。



  ましてや、ワクチンの中身の疑義に研究者としての信頼をかけて訴えている人たちに安易に悪いレッテルを貼るのは間違っている。


 これが、自分が(反ワクの人々が)考えている「正しいこと」である。


 追記:

 先ほど述べたように、自分のような科学の素人が、科学的な内容を議論するのは説得力がないため、基本的な説明は受けてきたものの、今までそんな科学的議論は避けてきた。本件は、科学的なことを論じる以前の問題だと思われる。だが、科学的な見地から、DNAの混入問題についての現在の状況を確認しておこう。

 藤川さんによれば、Kevinさんは、外部の人の立ち合いの下で、ワクチンに多量のDNAが入っていることを示すデモンストレーションを堂々と行っている。


 そして、 荒川さんや村上さんも指摘しているが、オランダや米国の他のグループが、Kevinさんの実験方法に従って、追試を行って、DNAの混入検出に成功している。  

荒川さんのノートより↓




 米国のサウスカロライナ大学の教授は、はっきりと述べている。
「ファイザーのワクチンにはプラスミド DNA が含まれています。・・・驚くべきことであり、懸念を引き起こしています。早急に厳格な安全性審査に対処する必要があります。ファイザーとモデルナは将来のワクチンからプラスミドを取り出さなければならない。(ここでのプラスミドがDNAの全長の意味を示すかどうかは不明だが、懸念すべき問題が確認されたことは間違いない)」


 つまり、DNA混入問題は、デマだと言われてこの界隈で迫害され続けてきたが、専門家の見解によれば、怪しい話ではなくなってきた。

「製造メーカーと利害関係がない研究チームで科学が再現され、DNA混入が確認された。正規のワクチンのロットを使用した実験でこの結果が出たのでDNA混入問題はかなり信憑性が高い段階となった」


 つまり、現在では、科学的な見地から考えても、もはや、少なくとも疑義を唱える位には十分な証拠があると言えるだろう。

 最後になるが、今回のDNA混入疑惑の問題で、この界隈での意見が割れ、人間関係が完全に崩壊してしまったことに触れておく。この問題に対して賛成しようが、反対しようが、中立でいようが、どの立場を取ろうが、結局は、多くの人間関係を失ったことだろう。

 自分は、デマ、トンデモなどという言葉を使ってレッテルを貼り、反ワクの人たち中傷した人には共感できないし、多くのそんな人たちをブロックした。Twitter上のそんなツイートに対していいねをつけた人たちもブロックした。その中には、自分に対して今まで友好的な関係があった人たちも多く含まれる。だが、このことを黙認することはできない。

 前回のノートの記事については、

 根拠もなしに、人を犯罪者扱いにし、それに対して、確認することもなく、いいねをつけたりするような人もいた。


 そういう最低の行動は許すことはできないし、今となっては、そういう人たちとの人間関係は、破綻して正解だったと思っている。


 彼らにとっては、ワクチンに対して、ファクトチェックを乗り越えられないようなもの、学会などで証明されていないものであっても疑義を唱えているような反ワクの人々に悪いレッテルを貼ったり、犯罪者と呼ぶことで、懲らしめることが正義なのだろう。

 だが、自分は、言論を弾圧することは許せないし、中立のふりをしてそういう行動に同調したりする人や、そういう行動を軽視し、見て見ぬふりをする人たちにも共感はできない。それが立場の違い、お互いの信じる正義の違いである。

 哲学者であるショーペンハウアーは、こう述べている。

「真実は最初は嘲笑され、次に激しく攻撃され、最後に、真実に抗えなくなったとき、それは明白なものとして受け入れられる」

 DNA疑惑の問題にもこのことが言えるのではないだろうか。

 自分はこう思う:
 問題を最初に突き止め、批判を受けながらも警鐘を鳴らした科学者たちが本当の専門家である。


 中傷はもう必要はない。時は万物をあるべき場所に収めるのだ。

「すべての王はその玉座に座り、すべての道化師は、サーカスに行く」


いつも読んでいただき、ありがとうございます。なんとか続けていければと思っています。